(c)青木信二
2009年2月21日より、
ポレポレ東中野他にて順次公開中
ドキュメンタリー映画『小三治』
初日舞台挨拶レポート
&康宇政監督インタビュー
日頃から「撮られることは苦手」と語り、マスコミ取材もめったに受けることのない柳家小三治師匠。
「落語といえば小三治」ともいわれ、現役落語家のなかでもとりわけ熱心なファンをもつこの才人を「主人公」に据えたドキュメンタリー映画が完成した。
古典落語を極めながら、もっと深く、もっとたしかな手ごたえを求めて、思索を重ねる。ときにスキーに興じ、歌をうたい、温泉につかる姿もまた楽し。とにかく小三治ファン、落語ファンは必見の一作である。
取材/文:佐野 亨
2009年2月21日――ポレポレ東中野で『ドキュメンタリー映画「小三治」』がめでたく封切られることとなった。
この日は、小三治師匠の舞台挨拶が行なわれるとあって、朝から劇場前は大混雑。いつものポレポレの客層とはまた違った、鈴本演芸場か新宿末廣亭を思わせる盛況ぶりだ。訊けば前2回の上映も満員だったとのこと。これはポレポレ創業以来の記録である。
やがて舞台挨拶が始まり、まずは監督の康宇政さん、支配人の大槻貴宏さん、ポレポレスタッフの村上朝子さんが登壇。満場の拍手で小三治師匠を迎え入れる。
「私はまだ映画を観ていません。たぶん今後も観ることはないでしょう」
一瞬一瞬が勝負の落語家・小三治らしいひとことに思わずニヤリ。
「どこを見てもキャメラマンがいないんだなあ、という喜びは何事にも替えがたい」
と冗談交じりに語る師匠だが、作品を観れば、どうしてどうして、とぼけた可笑しさに満ちた“まくら”がたりはもとより、哲学的(と呼ぶことを師匠は嫌うだろうけれど)な自己分析、落語論に到るまで、キャメラの前で意外なくらいしゃべっている。
とりわけ印象に残るのは、後半、入船亭扇橋師匠とでかけた温泉旅行のシーン。
「別に前を隠すこともなく撮っていたので、相当モザイクがかかっていることと思いますが……」
と師匠に促されて登壇したのは、まさに扇橋師匠。こう言ってはなんだが、高座で見るよりお元気そう。東中野に住んでおり、「毎日観に行く」と豪語しているとか。
さてさて、記録に残すことがお好きでない小三治師匠。それがどうしてこのような映画を撮ることになったのか。気になるところだが……。
「なにを撮って、どう使うかはなにも知らなかった。どんな映画にするか、それは監督自身もあまり考えていなかったんじゃないですかね。映画にする、映画にすると言ってましたが、なにを夢みたいなこと言ってるのかねえ、と思って相手にしておりませんでした。監督なんて言ってますけど、監督のいない撮影場面もいっぱいありましたから(笑)」
師匠、この映画のみどころは? って、師匠は映画を観ていないのである。
「タイトルに私の名前が入っているから、私はわりかた出てくるんだろうと思うんですけど。私は主役になった憶えはないし。勝手に撮って、勝手になんかつくってんだから、勝手にやってれば、という感じで。皆さんも勝手によく観に来てくれました」
「もう時間でしょ。私はしゃべりだすと止まらないんですよ。映画なんかいいよね、今日は(大拍手)」
そう言いながらも、そそくさと劇場を後にする律儀な師匠でありました。
(2009.2.21 ポレポレ東中野にて)
2009年2月21日より、ポレポレ東中野他にて順次公開
康 宇政監督
Interview
康 宇政(カン ウジョン)
1966年東京生まれ(韓国籍)。東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツ専門学校)卒業後、約2年間フリーの演出助手として活動。1990年、制作会社アド・アバブに入社。2003年に退社し、現在はフリーランスとして活動中。伊勢真一監督をはじめとする演出家やカメラマンなど、ドキュメンタリー志向の強いスタッフとともに長年、仕事をともにする。制作活動はTV中心で、現在はNHK BS-hi「アインシュタインの眼」で総合ディレクターを担当。長篇ドキュメンタリー映画を監督するのは今回が初となる。
――監督はもともと落語がお好きだったんですか?
康 好きでしたが、頻繁に寄席に行くほどではなかったですね。以前、TBSで深夜に放送されていた「落語名人会」をときどき観ていた程度で。
――小三治師匠にお会いになったきっかけは?
康 僕はフリーランスで仕事をしながら、ヒポコミュニケーションズという制作会社に籍を置いているんですが、そこにこの映画を一緒に制作しているオフィス・シマという会社から、「歌ま・く・ら」の録音を手伝ってくれないか、という話があったんです。オフィス・シマは仕事上、師匠とのかかわりが深く、師匠から「歌の勉強用に」と録音を頼まれたんですね。師匠の歌を録れるチャンスなんてめったにないから、せっかくなら音だけでなく映像も、さらにせっかくなら練習風景からとお願いしてみました。そうして2005年から、「歌ま・く・ら」を皮切りに、師匠を撮影することになったんです。僕らスタッフは「映画にしよう」と意気込んで撮っていたんだけど、師匠は「なにやってんだ、こいつら」という感じで(笑)。
――『ドキュメンタリー映画「小三治」』というのが正式タイトルなんですね。TVドキュメントではなくて映画である、という宣言だと僕はとらえたのですが。じっさい、この作品は音楽をいっさい使用していないし、ナレーションも必要最小限に抑えているので、TVドキュメンタリーとは一線を画すつくりになっています。
康 最初はテーマミュージックが必要かなあ、と考えていたんですが、編集が進むにつれて、どんな音楽を入れても邪魔になるな、と思うようになったんです。どんどん音楽が入る余地がなくなってきたというか。それよりは、現場で録った音を最大限に生かして、丁寧に仕上げていったほうがいいんじゃないか、と。音響の米山靖さんは、伊勢真一監督のドキュメンタリーや周防正行監督の作品にも参加されているベテランですが、さすがにこちらの考えていることをすぐ察知して、素晴らしい仕事をしてくれました。
――最小限に音を抑え、過剰さを抑えているからこそ、たとえば温泉のシーンの小三治師匠と扇橋師匠のぼそぼそっとしたやりとりなどが豊かに浮かび上がってくる。
康 映像に関しても、音に関しても、撮れた(録れた)ものをどれだけヴィヴィッドに伝えられるか、ということが課題でした。録った音をそのまま使うのではなくて、整音して音質をクリアにしたり、逆にノイズを足してみたり。それは結局、揃えた素材をいかにナチュラルに見せられるか、ということにつながっていくんでしょうけれど。
――フィルム撮影が主流だった頃のドキュメンタリー映画は、映像と音を別々に収録していたので、違うシーンに別の撮影場面の音をかぶせたり、いまおっしゃったようなノイズを足したり削ったり、という作業を普通にやっていたと思うんですが、DVは同録が基本だから、そのへんは意識的にやらなきゃいけない。逆に音が割れてたり、周囲の雑音が入っていたり、ということを含めてドキュメンタリーのリアルと考えるような風潮もある。その点、この映画はとても丁寧に音の設計がなされていますね。やはりそれは、監督がTVで培った技術が生かされているのではないでしょうか。
康 僕はこの作品をつくるまでは、TVの仕事しかしていなかったんです。ありがたいことに僕の周りには、ドキュメンタリーや映画の現場で経験を積んできたベテランの方がたくさんいらっしゃって、仕事を通じてノウハウを学ぶことができた。それは大きかったと思います。ただ、僕はずっとTVの現場にいたので、TV向きの編集作法が体にしみついちゃってるんです。それをなんとか映画らしくしたいと思って、悪戦苦闘しましたね。
――TVは100人いれば100人に伝えなければいけないけれど、映画はある一定の層をハジくような要素がないと逆に面白みがないですからね。
康 どうしても説明的になってしまうんですよ。シーン構成も、場所の全景から入って、この人とこの人の関係性はこうで……とか。そう考えていくと、どのシーンも縮められなくなってしまう。それで伊勢真一さんに観てもらったところ、「映画ってのはそういうものじゃない。そこまで説明する必要はないんだ」と。僕はTV屋として、どこから観てもその瞬間から物語が追えるような編集の仕方が身についているんだけど、映画というのは、入場料を払って、2時間なら2時間、スクリーンに映し出されるものをお客さんと共有するものなんだ、と。ある意味、作り手とお客さんは共犯者なんだ、ということを教えられたんです。
――高座のシーンでも、当然一つの噺を丸々使うことはできないから、ある部分を抜粋するわけですよね。ラストの「鰍沢」の切り方なんか相当苦労されたんじゃないですか?
康 いやあ、あのへんはもう(笑)。一席くらいは師匠の噺を丸々入れようかとも思ったんですが、そうするとそれだけで1時間になってしまいますからね。たとえば「鰍沢」の場合は、お熊という女は元花魁で、昔じつは旅人に会ったことがある、というくだりがありますが、そこを使ってしまうと単なるダイジェストみたいになってしまう。だったら、いっそそのくだりは全部抜こう、と。ただし、抜きどころを間違えると、師匠らしさがくずれてしまうので、慎重にやらなきゃいけない。
――落語のシナリオはすでに完成されているものから、ちょっといじるとすべてが崩壊してしまう。だから、テーマでは切らずにニュアンスで切ろう、ということですね。そのまえの楽屋のシーンで、扇橋師匠が「トントントン……はい」という、あのくだりがむつかしい、という話をする。それがあとで師匠の高座につながっていくとか。
康 あのくだりも扇橋師匠は「トントントン」とやるんだけど、小三治師匠は扇子を使わないんですよね。僕なんかが言うのは本当におこがましいんですが、あれが師匠の芸の研ぎ澄まされたところだと思います。戸を開けるときも、普通だったら「ガラガラガラ」と擬音を入れるところを、師匠はなにも言わずに、サッと開ける所作だけを見せる。ああいう潔さが格好いいなあ、と思いますね。
――それは師匠がつねづね語っておられる、落語は演じるのではなく、噺の人物になりきるものだ、という考え方につながりますね。
康 これは(柳家)小さん師匠からの教えでもあると思いますが、小三治師匠はとにかく情報ソースを調べまくるんです。そうやって蓄積したものが噺の世界にバシバシッとつながる瞬間があるのではないでしょうか。
――映画のなかでも、扇橋師匠と「小室山の護符」について話すくだりがありますが、ああいうこともとことんまで納得しなければ先へ進めない。
康 師匠もじっさいに現地へ行かれたこともあるし、もうわかっているはずなんだけど、あらためて確認しないと気が済まないんでしょうね。ここを歩いていって、このへんで道に迷うのか、という、そこが腑に落ちないとできないんですよね。
――「まくら」では、よく考えると過激なことを言っているときもあるんだけど、かならず笑いで包むというか、どこか「隙」をつくっていますよね。
康 言いたいことは言うんだけど、そのことで他人様を傷つけるようなことはしてはいけない、というのが根本にあるんでしょうね。それは芸じゃないんだ、と。
――「人を楽しませるためには、まず自分が楽しいと思わなきゃいけないんだ」という言葉がすごく印象的でした。
康 そう、いつもそのことで苦しんでらっしゃる。本当に生真面目な方だなあ、と思います。師匠は「私」の部分を見せないんですよ。つねに「公」の部分だけで成り立っているような気がします。私的なところでなにか得したいというところがない。だれかを楽しませるということに対して、つねに努力を惜しまないんですね。
――師匠のプライベートまで踏み込もうという意識はなかったんですか?
康 撮影を始めた当初は、郡山剛蔵(小三治師匠の本名)を含めて撮ろう、という話はスタッフのあいだであったんですよ。たとえば、スキーのシーンでも、師匠の家族やお孫さんとふれあうところなんかを撮ってはいるんです。でも、途中で思い至った。僕らには、師匠のパーソナルな面、郡山剛蔵の領域まで入り込む権利はないんだ、と。この映画は、あくまで「落語家・柳家小三治」を描くものにしよう、と。
――なるほど。相手の踏み込まれたくない領域にまでズケズケ踏み込んでいくドキュメンタリーの作り手が多いなかで、それはとても思慮深い考え方ですね。
康 いえ。僕にそこまで撮る力がなかっただけですよ。
――それにしても、師匠の口から「プレイヤーには向いてない」という言葉が出ると、ドキッとさせられてしまいます。
康 前の世代の「名人」といわれる人たちの姿を見ているから、こんなレベルで満足しちゃいけないんだ、という思いがつねにあるんでしょうね。考えてみれば、この映画をつくることは、師匠にとってなにが落語か、ということを考えるのと同じように、僕にとってなにが映画なのか、ということを考える機会だったように思います。
――撮る側としては、これだけ考えている人が目の前にいるんだから、自分も本気で考えなきゃいけないんだって思いますものね。
康 いやあ、これほどたいへんなことはない(笑)。
(2009.2.22 ポレポレ東中野にて)
取材/文:佐野 亨
監督:康宇政 撮影:杉浦 誠
出演:柳家小三治,入船亭扇橋,柳家三三,立川志の輔,桂米朝,語り:梅沢昌代
Copyright (c) 2009 ドキュメンタリー映画「小三治」上映委員会
2009年2月21日より、ポレポレ東中野他にて順次公開
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