日本初のオペレッタ映画として知られるマキノ正博監督の「鴛鴦歌合戦」は、
明るい時代劇を得意とした片岡千恵蔵主演、その斬新な歌と踊りの見せ場、明快なストーリーテリング、
今見ても古臭さと辛気臭さとは無縁の超娯楽喜劇だ。音楽面では、ジャズと歌謡が未分化に共存した大久保徳二郎の作曲、
島田磐也の歌詞、ディック・ミネの歌と、テイチクレコードが全面協力し、全編を可笑しくも華やかに飾る。
後の黒澤映画で重要な役割を演じた志村喬が味のある歌を披露するシーンには何度見ても驚かされるし、若きディック・ミネの、
城下をスキップしださんばかりに闊歩する馬鹿殿ぶりや、浪人千恵蔵をめぐるライバルたちの恋の鞘当て、
志村の娘に焼餅を焼かせヒステリーを起させては楽しむ千恵蔵の意地悪な仕種。
日中戦争、第二次世界大戦下、
そしてこれから太平洋戦争へと向かおうという時代の映画であることを微塵も感じさせない。
戦時下の日本でこんな映画が撮られていたのかと驚かされるが、「エノケンのざんぎり金太」や「孫悟空」、成瀬の「秀子の車掌さん」
やその他、この映画の後から終戦までの間に撮られた喜劇映画を数えたらきりがない。
物語の形式は人情、道徳、恋愛譚でありながらも、徹底的にカリカチュアされた人物描写や物語がスピーディーに描写されてゆくことによって、
非常にナンセンスなものになっている。本来なら情感を盛り上げる為に使われる歌が、ここでは欲望や怒り、喧嘩などに多用され、
歌い出しだけでほくそ笑んでしまうユーモラスな歌詞や、「道八茶碗」の曲の使い方など、全編笑いでいっぱいだ。
こういったカリカチュアやナンセンスは、新しい大衆娯楽メディア「映画」
の得意としたところであるが、
国策へと向かっていた軍国主義体制にとっては制御の利かない危険な存在とも映ったのではないだろうか。
映画が公開された2ヶ月前には、ナチスドイツの映画統制法をモデルにした映画法が施行されており、映画界を国策への協力態勢を作るために、
検閲制度が導入され、音楽の世界でも1937年に島田磐也作詞の「裏町人生」が発禁に処分を受けているし、
1938年大久保徳二郎は上海事変で亡くした弟を思い「上海ブルース」を書き、映画の翌年1940年にはディック・
ミネが内務省の指示で三浦耕一と改名させられ、何よりも、数年後にジャズは敵性音楽として禁じられることになる。
260本を数える生涯の監督本数から考えたらちょうど中ごろ、
経歴から考えてもデビューの早いマキノにとっては13年目ではあるが、いまだ31歳。
後に大監督の撮影をする以前の若き宮川一夫も同じ歳。テイチクからやってきた音楽の人材も、島田磐也が30歳。
大久保徳二郎とディック・ミネがともに31歳だった。
戦時下、軍国主義へと向かうきな臭い匂いをかぎながら、ほぼ同じ歳の若い彼らが何を考えながら、
感じながらこんな面白い娯楽映画を作ったかという事に思いを寄せるのはいかがだろうか。
この映画を作った彼らにそのことを聞くことはもう出来ないし、戦時下の状況を聞くこと自体が難しくなっているのだから。
(2006.1.13)
鴛鴦歌合戦 1939年 日本
監督:マキノ正博 脚本:江戸川浩二 撮影:宮川一夫
出演:片岡千恵蔵,市川春代,志村喬,深水藤子,遠山満,ディック・ミネ,服部富子
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鴛鴦歌合戦(1939/日本/監督:マキノ正博) E のら猫の日記
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Tracked on 2006/01/29(日)09:48:57
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