セバスチャン・ピロット監督/『さよなら、退屈なレオニー』

セバスチャン・ピロット (監督) 公式インタビュー
映画『さよなら、退屈なレオニー』について【2/2】

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2019年6月15日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー


セバスチャン・ピロット監督『さよなら、退屈なレオニー』メイキング2セバスチャン・ピロット監督 セバスチャン・ピロット監督『さよなら、退屈なレオニー』メイキング3
――映画のタイトル(※原題=「蛍はいなくなった」)にもなっている表現は何を表していますか?

SP 昔の映画館で、イタリア人にとっては、「ホタル」は、小さな灯りを持って客を席に案内する若い女性のことでした。もぎり嬢です。ある意味レオニーのような人です。
タイトルの『蛍はいなくなった』は、新しいファシズムについて語るために、イタリアで突如としていなくなったホタルをアレゴリーとして記したパゾリーニから影響をうけました。「コリエーレ・デラ・セラ」紙に掲載された「ホタルの記事」の中にあります。パゾリーニによれば、夜に光る小さな光「la luce」はプロジェクターや、娯楽施設の強すぎる光やスピーカーの大きな音で見えなくなったのです。微光をよく見るために照らすことはできません。光の下で、微光は消えるのです。光はある物を出現させたり、消失させたりできます。このタイトルはこの映画を見るためのキーや道筋となります。強制はしませんが……。

――レオニーとスティーヴはありそうにないカップルですが、一方でとても引かれあっています。こういうカップル像をイメージしていたのでしょうか?

SP レオニーとスティーヴが予想に反して結ばれるところを見てみたい、という欲望を観客に呼び起こしたいと思っていました。この映画はこれを基盤にしています。「ありそうにないカップル」、不ぞろいで、不似合いで…これらの表現を私も(このカップル像を作るのに)使っていました。劇中の登場人物にとっても、観客にとってもあいまいな関係を作り出したかったのです。
スティーヴは単純さ、愛です。ロマンティックな愛ではなく、もっと大きな愛です。彼は音楽でもある。この3つの概念は私にとってはこの映画の中で切り離すことができないものです。スティーヴは純粋です。彼の物事の見方はシンプルで時におめでたくもある。それにレオニーは惹かれるのです。彼には嫌みがありません。野心もほとんどない。彼は人生を冷めた目で見てはいません。批判もせず、うまくやります。この温かく率直な人生の物事の見方が、ある意味でレオニーを変えるのです。

――この映画の中で音楽は大変重要な役割を果たしています。どのような意図で音楽を使用しましたか?

SP ゲンズブールはランボーについて語る時、こう言っています。「詩はその純粋たる状態においては、音楽を必要としない。それが腹の立つところだ。俺は音楽が好きだからね」(笑)
音楽が愛、おめでたさ、純粋さの要素を映画にもたらすようにしたかった。なので遠慮せず、「気前よく」使いたかった。不思議なことに、これは音楽に対して禁欲的であろうとする以上に難しかったです。映画に大衆的な形を与えようとしたことも、音楽の多用に繋がっていると思います。

――使用されている歌のリストは驚きですね

SP 使用したポピュラーソングが、リストにした時には驚きました。ヴォイヴォドからミシェル・リヴァール、フェリックス・ルクレールからターナー・コディ、ラッシュの『スピリット・オブ・ラジオ』からアーケイド・ファイア。トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズの『クリムゾンとクローバー』。編集のステファン・ラフルールは映画人でもありミュージシャンでもあって、多くのアイデアをくれました。

――それに加えて、フィリップ・ブローによるオリジナルの音楽が非常に美しく、際立っています。

SP フィリップ・ブローのオリジナル曲については、撮影中からトゥーマッチで、存在感が強すぎるくらいの、映画のトーンとは少しずれたようなものをイメージしていました。「栄光の30年間」の映画のような魔法が欲しかった。フィリップはワグナーの『トリスタンとイゾルデ』と、バーナード・ハーマンから着想を得ました。特に『めまい』の愛のテーマの盛り上がるところです。フィリップ・ブローはとてつもなく大きな挑戦をしました。とんでもない注文でしたから。彼の音楽はこの映画の中で大きな愛の要素をもたらしています。

『さよなら、退屈なレオニー』場面5 『さよなら、退屈なレオニー』場面6 『さよなら、退屈なレオニー』場面7――主要キャストとはどのように仕事をしたのですか?またどのように起用を決めたのでしょう。

SP カレルは直感的で先天的な才能を持った女優で、それを壊してはいけないと思いました。無垢のまま活かしたかった。可能な限りその「原水」を汲み取りたかったのです。俳優たちは彼らのあり様、いえ、こちらに見える彼らのあり様で決めました。作られた役というのは時に素晴らしいですが必須ではないし、時によけいだと思います。作り出さない、ということが必要な時というのがあるのです。私はただそこにいて、俳優たちに与えた自由を手に掴もうとしました。
私の14歳の娘のロマーヌがカレルのことを教えてくれました。彼女が端役を演じているのは見たことがありましたが、娘がテレビを見て私に話をした時に、初めて注意を引かれました。彼女の存在感に驚いたのです。私の娘も同様です。そしてアンヌ・エモンドの『Les etres chers』を見ました。
ピエール=リュックについては『Le Demantelement』で小さな役を演じてもらっていましたが、この時にもっと大きな役をやらせたかったと後悔していました。それを取り返すのが今だと思ったのです。今回はマリー=フランス・マルコットについて同じような後悔を感じました。母親の役はやや引いている存在でいて欲しかった。私が映画で伝えたいことを語るためにそれが必要だったのです。でもマリー=フランスを目の前にし、彼女が与えることができるものを見た時に後悔しました。リュック・ピカールとフランソワ・パピノーについては、彼らの役を反対にするかどうかしばらく悩んでいました。「反対にする」アイデアが面白く、奇をてらったものだったからこそ、最初の考えに戻りました。時に、自分の考えとは真逆に、タイプキャスティングを選ぶこと、あまりオリジナルでないことを選択するというのは、最適解であり、また、非常に難しい決断でもあると思います。

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さよなら、退屈なレオニー ( 2018年/カナダ/英題:The Fireflies Are Gone/96分/ビスタ )
監督:セバスチャン・ピロット 出演:カレル・トレンブレイ/ピエール=リュック・ブリラント
配給:ブロードメディア・スタジオ © CORPORATION ACPAV INC. 2018
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2019年6月15日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

2019/06/11/19:52 | トラックバック (0)
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