セバスチャン・ピロット (監督)
公式インタビュー
映画『さよなら、退屈なレオニー』について【1/2】
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2019年6月15日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
2018年カナダでスマッシュヒットを記録した『さよなら、退屈なレオニー』は、自分がやりたいことも自分の居場所もみつからない、カナダの小さな街に住む17歳の少女レオニーの物語。ヒロインのレオニーを演じるのはカレル・トレンブレイ。2015年のトロント映画祭で「未来を担うひとり」に選ばれ、2018年東京国際映画祭で本作が上映された際には、輝きを放つ若手キャストに贈られる<ジェムストーン賞>を受賞するなど、すでに日本の映画ファンも魅了している。本作『さよなら、退屈なレオニー』の監督で、カナダ映画界の新世代として注目を集めるセバスチャン・ピロットの公式インタビューをお届けする。
――何をきっかけに『さよなら、退屈なレオニー』を作ろうと思ったのですか?写真、言葉、アイデア、もしくはこういう映画を作りたいという欲望でしょうか。初めて見た時、この映画はあなたの前2作『Le Vendeur(セールスマン)』、『Le Démantalement(破壊、解体)』とはまるで違う印象を持ちました。それは狙いですか?
セバスチャン・ピロット監督(以下 SP) 前2作よりも見やすい作品を作ろうと思ったのは確かです。それで、この作品には、大衆的な映画の形、少なくともそういう見かけを与えようと思いました。叙情的な要素はなくし、シンプルでダイレクトなスタイルで作りたかった。各カットがまっすぐに目的へと向かうようにしたかったのです。映画を文学作品に例えるなら、簡素で、短く、よけいな修飾語はないけれど、メタファーやアレゴリーを恐れない文章でできた小説だと思います。バンド・デシネや歌だとしても同じです。最初から言っていることですが「ポピュラーソングのように響くように考案した」のです。映画は消えたり現れたりする一つの小さな歌、心に付きまとうようで逃げていく音楽のようであるべきです。当初は大きく洗練された動きを持った動きのある映画を思い描いていましたが、結局は違ったアプローチへと方向転換しました。映画に「そぞろ歩き」の要素を与えるというアイデアはそのままに、もっと正面からの演出を増やしたのです。
つまり、私の他の作品との一番大きな違いは、トーンだと思います。『さよなら、退屈なレオニー』はコメディドラマのトーンを持っています。笑顔で作った映画です。もしこの映画が(以前の作品と)違うように見えても、他の作品と同様に、私自身のヒューマンコメディーに根付いています 。
――レオニーとスティーヴのストーリーがこの映画の中心だとしても、社会政治的な背景が重要な要素になっています。この映画の二つの側面、個人の親密さと社会性について話してください。
SP レオニーは2つの正反対の父親像の間に位置しています。彼女の個人的な状況は社会政治的な状況にも見えるでしょう。彼女はうるさくてポピュリスト、言わば偽の先唱者、影響力のある義父にまとわりつかれています。彼はラジオの王様で、旬の男です。一方で、彼女が愛する理想主義者の父がいますが、彼は不在です。いなくなった父親…ある意味、違う時代の王様でしたが、今ではそうではありません。レオニーのセリフですが「矛盾だらけの家族」です。そして、こういう状況において、レオニーは、二人の父親の間に3人目の父親的な存在、「代用(の父)」というべき存在をスティーヴに見出します。彼は時の外に位置する人物で、3つめの道筋です。 レオニーがある時、この3人の父親的な存在を混同したり、彼らを拒否するのが面白いのではと思いました。
――この映画は遠回しな印象です。何かを話している(例えば青春のこと)が、実は多くの他のことを示唆してる。
SP これは青春映画ではありません。これは私にははっきりとしています。言うなら『Le Vendeur』が車のセールスマンの映画、『Le Demantelement』は酪農家もしくは羊についての映画というのと変わりません。
曖昧さ、青春映画の見かけを利用したことは事実です。「カミング・オブ・エイジ」的な側面も見えるでしょうが、この面からのみこの映画を見るのは間違いだと思います。例えば、今の若者の自然体のポートレイト、今の若者の心理を撮りたかったわけじゃありません。もっと普遍的なものを撮りたかったのです。私の他作品と同様に、私が狙ったのは、このストーリーを通して、今日のケベックのポートレイトを撮ること。時代のポートレートです。遠回しにはしました。アイデア、直感、ある映像が頭に浮かび、次にそれを語るためにストーリーを構築します。これが私のやり方なのです。
――レオニーのストーリー以上に、何が映画の真の主題だと言えますか?
SP これは付きまとうシニズムとその治癒薬である、大きな意味での愛についての映画です。無知についての映画でもあるかもしれません。変だと思われるかもしれませんが、ある意味、今までの作品の中で一番政治的な映画だと思います。なぜなら世界がファシズムの新しい形へと向かっているのでは、という感情を持って作った映画だからです。時に希望の微光が灯る時、それは断続的な光であるか、ほとんどの場合目に見えません。
――映画のタイトル(※原題=「蛍はいなくなった」)のせいかもしれませんが、今作のヒロインは『Le Vendeur』や『Le Demantelement』よりずっと若いにもかかわらず、彼女もまた、何かの「消失」に対面しているように思えます。これはあなたが特に興味を持っているテーマなのでしょうか。
SP 私はちょっとした「世界の終わり」が好きなんです。不在の人、不在そのものが好きです。この映画の場合、「消失」で私が呼び起こすのは、「消失するもの」はもう見られないものである、という考えです。もう私たちの前には存在しない。見られないのです。それが私たちの視界から離れたのか、私たち自身がそれから離れたのか……。英語でいう「vanishing point(消失点)」です。
レオニーは逃げがちです。冒頭のシーンでは八方塞がりの印象を与えて、レオニーがそこから逃げるようにしたかった。レオニーはその場から不意にいなくなります。その場から離れつつ、何かを置いていく。「消失」の概念で私が感嘆するのは、それが親密に「出現」と繋がっているところです。何かが消える時、間も無く何かが現れるものです。
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監督:セバスチャン・ピロット 出演:カレル・トレンブレイ/ピエール=リュック・ブリラント
配給:ブロードメディア・スタジオ © CORPORATION ACPAV INC. 2018
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