
わたのはらぞこ


2025年8月23日(土) ~ポレポレ東中野ほか全国順次公開
層になった優しさと、せわしない休憩時間
山々に囲まれた歴史ある街・上田を訪れたヨシノ。
東京での日々に苦しさを感じた彼女がこの街に来た目的は、ゲストハウスでありながら同時に劇場であり、カフェでもあるこの街の特別な拠点「犀の角」を訪ね“休憩”することであった。
かつてこの上田には深い深い海があった。数年前、8メートルものクジラの化石が発見されたこの街を歩きながら、ヨシノは不思議な出来事に次々と巻き込まれていく。
今が現実なのか、夢なのか、過去か未来かも曖昧な時間の中で、ヨシノの“休憩”は予想もしないものになっていって……。
『わたのはらぞこ』は、振付師/俳優の加藤紗希と俳優の豊島晴香からなる創作ユニット「点と」による2作目の長編映画。2人の前作『距(へだ)ててて』はぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2021で観客賞を受賞、海外の映画祭でも上映され、国際交流基金によって世界各国へ配信された。さらに、同作で点とは『週刊文春CINEMA』の「期待の監督5人」に選出されるなど、高い評価を受けた。
『わたのはらぞこ』は、加藤と豊島による3年ぶりの新作。長野県上田市の人々や同地の様々な活動・取り組みから刺激を受けて制作された映画で、撮影も上田でおこなっている。
本作の主人公ヨシノ役で主演を務めるのは、テレビアニメや映画の声優としても広く知られる俳優・神田朱未。そして、加藤と豊島のほか、釜口恵太、本荘澪、湯川紋子、髙羽快という俳優たちが『距ててて』から続投して出演する。前作と同様、加藤が監督を務め、豊島が脚本を執筆した。
また、音楽家の三浦康嗣(□□□(クチロロ))が本作の音楽・音響デザインを担当。三浦が映画音楽を担当するのは、本作が初となる。


- 桜林直子(雑談の人)
いろんな日が積み重なった上に今日があり、今日の中には過去も未来も含まれている。誰かが通った後に道があり、その道を進む人の中には自分と誰かが含まれている。
動かなくなったこころがまた少しずつ動き出すとき、未来に向けて船を漕ぎ進めるのではないかもしれない。過去と未来が混ざり合い、自分と誰かが混ざり合い、行き来する波が運んでくれるのかもしれない。
右肩上がりの成長ではない、時間をかけて層を重ねる日々に思いを馳せた。 - 諏訪敦彦(映画監督)
映画は実は罪深いものである。信じなくてもいい嘘を信じさせたり、見えないものを見る力を奪ったりする。しかし『わたのはらぞこ』は、何も命令しない。信じても信じなくてもいいよ、と言いながらカセキも、キセキも、ウチワも、仏頂面も、ガチャガチャもあらゆるものを肯定し、見えないものを出現させ、人々を繋ぎ、世界を称え、息づかせる。映画の上映が終わった後、戻ってくる私の現実は以前よりも少し「信じられる」ものになっているはずだ。 - 星野概念(精神科医など)
人が途方に暮れそうな時
その人がふと足を踏み入れてしまえる場があったり、ただ声をかける人がいることはとても大切
つながりの可能性がない場と、その可能性がほんのちょっとだけでも開かれている場では、紡がれる物語が大きく変わる
どこかの街で描かれる少し不思議なリカバリーの話
たくさんの音やリリックとともに


- 出井隼之介(ヤーレンズ/お笑い芸人)
嫌な絵が1秒も無い、逆アウトレイジでした。
上田市に積もったやさしさを、そっと掘り出して見せてくれているかの様な、美しく親しみやすい映像。印象的な音と音楽。
不思議が段々ほどけてくる、やさしい物語。
ちょっと疲れてる全ての人に観てほしい映画です。 - 中村佳穂(音楽家)
最近は「よめる人」が増えてきた様に思う。
“理解ができない”言葉は上手く説明できなかった恥ずかしい事であるみたいなそんな風潮。
けど「よめない人」は今目線を上げた先の世界のそこかしこに意外といる。
その人達は、多くの人が気に留めていないなにかにそわそわして、不意に納得して喜び、何気ない行動の中で、怒ったり喜んだりしている。
言葉で言い切らない、日常に点在する隙間はある時にふと人生でリフレインしたりする。
そういう隙間がある人生が私はとても好き。 - いとうせいこう(作家・クリエイター)
『距ててて』を作り出したあの「点と」の二人が、三浦康嗣の音像と鳥や水のささやきと歌を得て、硬直した私たちの体を共振させ、こころを共鳴させる。




脚本:豊島晴香
出演:神田朱未/加藤紗希/豊島晴香/釜口恵太/本荘澪/湯川紋子/髙羽快
音楽・音響デザイン・作詞:三浦康嗣(□□□)
撮影:寺西涼 照明:西野正浩 録音:鈴木万里 スチール:髙羽快 宣伝美術:一野篤
宣伝協力:天野龍太郎/山本梨央/ウスバアミ
企画・製作:点と
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