インタビュー

パーシー・アドロン監督 公式インタビュー
映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』について

http://www.cetera.co.jp/mahler/

2011年4月30日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開!

インタビュー

――あなた自身のマーラーと言う作曲家との出会いを教えてください。

パーシー・アドロン監督1

監督:パーシー・アドロン
1935 年 6月ドイツ、ミュンヘン生まれ。ミュンヘン大学で美術史と演劇を学び、俳優、ラジオのナレーター、司会などの多彩な仕事を経験、1970 年にはテレビで映画評論を担当。1973年から、放送局AKDで、アートや人間を描くドキュメンタリーの制作・演出・脚本を手がけるようになる。1981 年に“Céleste”で映画監督としてデビューする。‘87年の『バグダッド・カフェ』が世界的に大ヒットし、注目を集める。その他代表作には『シュガー・ベイビー』(84)、『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』(89)『サーモンベリー』(91)など多数。自分の一族へのオマージュを捧げた“The Glamorous World of the Adlon Hotel”なども手がけるなど、現在も精力的に活動している。
アドロン監督 私の父はいつも言っていました。マーラーの音楽など聴くな!おぞましい!あれは指揮者の音楽だ(作曲家によるものではない)!と話していました。つまりマーラーの頭の中にはそれまでに指揮してきた音楽だけがあり、それが彼の音楽を構成している、悪趣味なコラージュだ、と言うのです。私の父は有名なテノール歌手でした。トリスタン、パルシファル、ジークフリート、ジークムントを始めとするワーグナーの大きな役を歌っていました。
当時18,19歳だった私は父の好みを尊重し、マーラーを聴くことはありませんでした。こうして私はマーラーの存在さえも忘れていたのです。多くの人々も彼のことは忘れていました。そしてマーラー自身が「50年待つように」と言っていたように、当時はまだ時期が熟していなかったのです。そして皆さんもご存知のようにヴィスコンティの映画『ベニスに死す』が公開されました。(交響曲)第5番のアダージェットが、そしてマーラーが一躍皆さんに知られるようになりました。私自身も同じで、父が間違っており、私がとても興味を抱く音楽だと知ったのです。私は映画を作る仕事に就き、私の故郷に育ったある画家のドキュメンタリーを撮ることとなったのです。そのときに私はマーラーの音楽を聴き、マーラーが南ミュンヘンの自然、民謡、山々、人間史、そういった全てが美しいまでに彼の音楽の中で描写されているのです。(マーラーの音楽は)セリフのないオペラなのです。こうして私はマーラー中毒になりました。ヘッドフォンをつけてマーラーと共に過ごした夜は数知れません。彼の交響曲をどれだけ繰り返し聴いたか知れません。本当に美しい体験でした。他のクラシック音楽の作曲家は幼い頃から聞いて知っていましたが、マーラーは違いました。それは突然雷のように私の人生に現われたのです。

――マーラーの交響曲の中には3番のように自然を描いたものもあれば、5番や10番のように自分の内的な感情を深く表現したものもあります。そしてあなたはその内的な感情を表現した作品に絞って用いられました。その選曲についてお話しいただけますか。

アドロン監督 この映画を作るに当たっての選曲の基本は全てあの手紙とその物語にありました。1910年の夏のある日の昼食の前、マーラーはグランドピアノの上にあるその手紙を発見しました。宛名は芸術監督マーラー、そしてその中身は燃え上がるような彼の妻、アルマへのラブレターだったのです。彼はそれを破り捨て、途方にくれたのです。同時期に彼はこの交響曲第10番の下書きを始めています。それが唯一完成した第1楽章のアダージョです。妻との問題と言う個人的な問題の解決を求める中、絶望の中、ぼろぼろにされ、怒りに震える中で、そんな中で彼は作曲を続けようとしたのです。そしてこの作品には彼のおぞましい夏が鏡に映し出されるように描かれています。それは彼のフラストレーションだけでなく、結婚生活の幸せな日々の思い出、輝く思い出も描かれています。この交響曲がまさにこの映画全編に用いられます。エサ=ペッカ・サロネンの指揮で全ての録音を行いました。
『マーラー 君に捧げるアダージョ』3音楽は私にとってとても大切なものであり、映画においても決して飾り物にはなりえませんでした。音楽はそれだけでナレーションの役割を果たすとさえ思っています。映画にとっては対等のパートナーなのです。物語と音楽は対等なパートナーなのです。時にはシーンを音楽が引き継ぎます。マーラーの表情を見、そして音楽を聴くことで彼の感情が理解できるのです。アルマについても同じです。
この映画のためにはあと二つ作品を選びました。1つはあの有名なアダージェット。これはマーラーとアルマがその幸せな日々の中でアルマがマーラーの作品の写譜をしているシーンに用いました。ここで私たちは彼らの幸せと、彼女がオーケストラ譜を読むことのできる才能ある女性であったことを知ることができます。
3曲目に選んだのは交響曲第4番の緩楽章、アダージョです。極上の美しさを持った作品です。これはマーラーがこの美しい女性と出会い、恋に落ちるときに用いました。
この映画にはこの3つの、比較的短い音楽のみが使われています。決してマーラーのベスト盤、あるいはコンピレーション・アルバムと言った形にはなっていません。

――あなたは第10番の楽譜から部分的なスコアを寄りだすときにはご自身でなさったのですか。

アドロン監督 正直言って、サロネンが私の部分的に抽出するやり方を気に入らないのではないか、と怖れていました。マーラーの交響曲を分解するなんて、やったことのないことですし、作曲家を尊敬してやまない指揮者としては前代未聞のことでしょうから。私の希望に対してサロネンは「Yes,Yes,Yes」と言い、どのようにやりたいのか聞いてきました。私は「曲の中から、私がいう、たとえばチェロのここの部分を抜き出して演奏するような形で録音したい」と言いました。それを聞いたサロネンは少し考えて、「本気?」と聞き、「では明日までにリストを作ってください」と言ったのです。
それからが大変でした。私は確かに耳は良いし、音楽に対する記憶力も良いです。でも演奏家でも音楽家でもありません。結局、ホテルに戻り、一晩かけて音楽とスコアを必死に照らし合わせながら、欲しい部分、確か48箇所だったと思いますが、のリストを作成しました。翌朝、そのリストをサロネンに渡すと彼は「ありがとう、これは良い」と言って、小節番号の指示を与えながら録音にかかりました。

――あなたは作曲家でもあるサロネンを選ばれたのは大変に賢明な選択だったと思います。彼との出会いについてお話いただけますか。

『マーラー 君に捧げるアダージョ』4アドロン監督 サロネンはまだ20代のときにロサンジェルス・フィルハーモニックに客演し、その後音楽監督に就任しました。あまりのすばらしい演奏に感動した私たちはコンサートの後で楽屋に行きました。そしてそれが3回、4回と重なるうちに、また会えたね……と言ったことになり、さらにはオペラにぴったりの台本があると彼に告げたのです。それは天文学者と音楽家の話でした。サロネンはその音楽において大変に雄弁ですが、彼自身が言葉を発するときはとても短く、明快で、ある意味凝縮されています。その彼が「『バグダッド・カフェ』のファンです」と自ら言ったのです。そこで私は彼に私の書いた台本を渡し、それについて互いに意見を交わし、プランを立てたりしました。そしてその話をする中で、バイエルン放送交響楽団のために彼のドキュメンタリーを撮ることとなったのです。彼のテレビ・ドキュメンタリーを撮ったとき、彼はちょうど《LAヴァリエーションズ》を完成させたところで、彼がロサンジェルス・フィルハーモニックと共に最初のリハーサルを行う風景を撮影しました。彼はそのポートレイトをとても気に入り、私たちの友情は深まり、それ以来ずっと付き合いは続いています。

――あなたの今回の映画ですばらしいと思ったことのひとつが、これだけ音楽家が出てきながら、指揮をするシーンがないと言うことです。私は良いことだと思いました。

アドロン監督 何がお粗末かというと、指揮者の振りをしようとする役者ほど悲惨なものはありません。(笑)絶対にうまくいくはずがないのです。マーラーがフロイトとの面談の後、汽車の中でちょっと(ここで身振りを入れる)する場面がありますが、これだけです。私が彼に指揮をすることを許したのは……(笑)。確かに本物の指揮者を使った吹き替えなら可能かもしれませんが、私はそのような映画は撮りませんから。『アマデウス』のシーンを覚えていらっしゃるでしょう。指揮とは何かを分かっていないのです。めちゃめちゃでした。

――あなたがこの映画で人物の名前を出し、その人物がカメラに向かって話しをする手法をとられました。つまり、観客に向かって直に語りかける手法を用いていますね。なぜこのような手法を用いられたのですか。

『マーラー 君に捧げるアダージョ』5アドロン監督 息子のフェリックスと脚本を書く中で、私たちはあの時代の雰囲気、香りをもっと出したいと思うようになりました。でもそのためだけのシーンを増やしたくありませんでした。そのことによってお金だってもっともっとかかってしまうだけでなく、とても長い映画にもなってしまいます。そしてそれは登場人物からも離れたものになりかねません。そのときにゴシップの街ウィーンという側面を用いることを思いつきました。これは楽しかったし、難しいこともなく、そしてさらにはいろいろな要素を結びつけることも可能となりました。そして実際に残された手紙を始めとして、歴史的な事実をそこに織り込むことも可能となったのです。ある意味、ここで話される言葉は私の言葉と言うよりも彼らの本当の言葉なのです。

――先ほど伺いそびれたのですが、マーラーとフロイトの二人が出てくるシーンでモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》のアリアを歌いますが、あそこの選曲も大変に良いですね。

アドロン監督 あの場面は面白いでしょう。実はフロイトが《ドン・ジョヴァンニ》を知っていたことは歴史的な事実です。そしてさらにはフロイトは音楽を怖れていました。フロイトはミュンヘンのホテルのロビーでピアノの演奏を聞いて、3回も失神しているのです。私には信じがたいこことでしたが、でもフロイトには、このちょっとヒステリックな症状があったことは記録が残っているのです。そしてある人が彼を《ドン・ジョヴァンニ》のオペラに連れて行き、それは大丈夫だったと言うのです。その後も彼はオペラに行きましたが《ドン・ジョヴァンニ》以外のものは決して聞こうとしなかったそうです。この演目だけが彼に危害を及ぼさなかったのですね。

――この映画ではマーラーとフロイトのように実際に出会っていると言う記録から話が始まっています。ではその話を展開させる上での想像力と言う意味では共同監督と2人に想像力がそこにはたらいているのでしょうか。

アドロン監督 まず2人で残された記録を吟味するところから始まりました。そして残された資料からさらに掘り下げていくことをしました。つまりまずは残された記録、資料を理解し、そこからこうであっただろう、こうであったはずだという話を導き出したのです。マーラーとフロイトの面談にしても、彼らが午後に運河を散歩しただけでなく、翌朝マーラーがアルマにまだライデンにいる旨の電報を打っていることから、マーラーが帰りそびれた、つまり最終列車を逃したのなら、フロイトもまたライデンに泊まったとする考えが導き出されました。そしてもし二人がそこに泊まったのなら、同じホテルであった可能性も高い。そして夜も同じホテルにいたのなら、もっと深い話が交わされた可能性が高い、夜はもっと親密なことが起きる時間帯……と言った具合です。 そしてマーラーは交響曲第10番の自筆譜の中にアルマの名前を書き記しています。まるで悪魔が踊るかのようにその名前が書かれているのです。彼が自暴自棄になっていたことも容易に想像できます。彼はあの自筆譜を破棄しようかとも考えていました。悪夢にも悩まされていました。だからこそフロイトを訪ねたのです。そしてマーラーは彼に罪を問われるのです。誰が罪を犯したのか。罪を犯した人間は結婚生活において1人ではなく2人いたことが分かるのです。事態を理解することで初めて見えてきたのです。フェリックスも自らの結婚生活で困難に直面したことがあります。ですから私たち2人の制作過程においてはとても個人的な感情もそこに入ってきていたのは事実です。

『マーラー 君に捧げるアダージョ』6――この映画の中でマーラーの苦しみとアルマの苦しみが混ざり合う、苦しくて、同時に美しいシーンが見られました。例えば山の斜面のシーンです。あのカメラワークに『バグダット・カフェ』の最初のカメラの傾いたアングルのシーンを思い出しました。男女の仲はある意味で変わらないのかもしれませんし、違う切り口でここまで見せてくださったことに感心しました。

アドロン監督 『バグダット・カフェ』の方が様式的なものを追求することが可能でした。もっと大胆な色彩やアングルそしておふざけが可能でした。でもマーラーのような映画ではそうはいきません。この映画においては近似感が大切でした。登場人物への親近感が求められました。その中で撮影監督のベネディクト・ノイエンフェルスは、彼自身がその撮影においてすばらしいストーリー・テラーなのです。つまり、彼はストーリー・テラーのカメラ・アイをもち、いつも登場人物に近いのです。カメラ自身まで心臓の鼓動がつたわり、距離感がない感覚があるのです。
この映画では歴史的な距離感はありません。それはあたかも現代に起きているような感覚があります。そここそが私と息子がこだわったところでもあります。私たちは歴史のひとこまを今このときにまで引っ張ってきたのです。登場人物は現代を生きる私たちにとても近い存在であり、決して昔話ではありません。現代、今日、起きてもおかしくない物語、夫婦の物語なのです。年配の有名な指揮者、作曲家と20歳の才能豊かで若い女性の組み合わせ。彼女自身その才能を開花できたかもしれないのに、彼は自分を支えてくれる伴侶、妻が欲しかった。
結局、私は色彩感を始めとする様式的においては、歴史物のような映画は作りたくなかった。むしろ私たちが自分たちに置き換えられるような映画を作りたかったのです。

――アルマという女性はあのような特別な、芸術家に囲まれたような環境で育ったから輝いていたのでしょうか。それとも現代においても通じる女性像として捉えるべきなのでしょうか。

アドロン監督 彼女は時代を超えてとても魅力的な女性であったことは確かです。ただ容姿が美しかっただけではありません。でもとても官能的であリ、同時にとても知性的だったのです。ですからこの二つを持ち合わせていたことが彼女を限りなく魅力的な女性にしていたのでしょう。それから彼女はピアノがとても上手で音楽的な才能も持っていた。何しろ彼女の先生は当時の最も有名な先生の一人であるツェムリンスキーでしたから、とても高い教育をうけていたことは間違いありません。ですからピアノの下(!)のみならず、ピアノに向かっても本当に魅力的だったのでしょう。彼女がマーラーと出会った時、既に大変な数の歌曲を作曲していたのです。つまり彼女は本当に作曲家になりたかったのでしょう。許されるなら、ですが……。

パーシー・アドロン監督2――今回の作品においては本当に美しいシーンや深いシーンが多くあり、堪能させていただきましたが、差支えがなければ次回作についても教えていただけますか。

アドロン監督 次回作はもっと軽いタッチのものとなり、『バグダッド・カフェ』のようなドイツ・アメリカ的なスタンスの映画となります。それはニューメキシコのリオグランデで展開されます。仮題は『グレートヒェンのバスハウス』、日本語でグレートヒェンの温泉と言ったところでしょうか(笑)。『バグダット・カフェ』のマリアンネ・ゼーゲブレヒトがグレートヒェンという温泉の女主人を演じます。

――とても楽しみにしています。ありがとうございました。

( 2011年2月2日 ユーロスペースにて )

映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』作品情報

C R E D I T
監督・脚本:パーシー・アドロン,フェリックス・アドロン
出演:ヨハネス・ジルバーシュナイダー,バーバラ・ロマーナー,カール・マルコヴィクス,フリードリヒ・ミュッケ,
エーファ・マッテス,レナ・シュトルツェ,ニーナ・ベルテン,ミヒャエ ル・ダング ル,マックス・マイヤー
撮影監督:ベネディクト・ノイエンフェルス AAC/BVK 編集:ヨッヘン・クーンストラー
2010年/ドイツ・オーストリア/ドイツ語/102分/35mm/カラー/ヴィスタ/ドルビーSRD
(c) 2010, Pelemele Film, Cult Film, ARD, BR, ORF, Bioskop Film GmbH
配給:セテラ・インターナショナル
http://www.cetera.co.jp/mahler/

2011年4月30日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開!

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  • 監督:パーシー・アドロン
  • 出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト, CCHパウンダー,
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  • おすすめ度:おすすめ度5.0
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2011/04/05/02:26 | トラックバック (0)
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