広がるアジア・ボーダーレス
ボーダーレス化するアジア映画
『マジック&ロス』(c)2010 Magic and Loss Film Partnersすでに国境を越えた映画作りが珍しくないことは前章で述べたが、特にコンペティション部門では国境を越えているだけではない、既存の映画作りに捉われないという意味でも「ボーダーレス」な映画がいくつか見られた。リム・カーワイ監督の『マジック&ロス』は、日本人のキキ(杉野希妃)と韓国人のコッピ(キム・コッピ)が香港で偶然同じホテルに居合わせ、満室のため同じ部屋に泊まることになるのだが、不思議な出来事が起こり始め……という話。2人は仲がいいと思いきや、コッピがキキの歯ブラシに化粧品をかけるなど妙なシーンがあり、終盤は2人のベッドシーンまであるのだが、全て明確な説明はない。監督は女性間の微妙な関係を描きたかったとのことのことだが、何が起こっているのか理解不能な、双子のような美少女2人を見続ける経験というものは、確かに貴重かつエロティックである。途中から日本語を喋っていたキキが韓国語を話し出し、韓国語を喋っていたコッピが日本語を喋り始めるなど、「2人の入れ替わり」が暗示され、ティーチ・インでは「2人は同一人物?」などと疑問を解決したい観客の質問が相次いだ。
イム・テヒョン監督の『遭遇』では、映画大学への入学を目指す知人の息子の実績作りのため、映画製作を引き受けたジュンホが、これも不思議な出来事に巻き込まれていくという話。この映画は起こっている出来事自体はかなり明確で分かりやすいのだが、急に映画のトーンが変わる。映画撮影が上手くいかず追い詰められていく中盤まではその描写がリアルなドキュメンタリー風なのだが、そのうち監督は黒い髪の女を何度も目撃するようになる。そこで「ホラーなのか?」と身構えた観客はエイリアン風着ぐるみで脱力させられ、しかしラストの思わぬ「遭遇」に湧き上がる感動を抑えることができないであろう。ジャンルを事も無げに逸脱していくこのような映画は、むしろ意図してやるのは難しい面があるのではと思わされ、「映画は生き物である」という言葉の実証のように思われた。
『雨夜 香港コンフィデンシャル』
マリス・マルティンソンス監督 コンペティション部門
(c)KRUKFILMS
桃井かおりが演じるのは香港で中国人の夫とともに暮らす日本人女性、アマヤ (雨夜)。義兄のマッサージ店に勤めるアマヤと、そこに研修に来た世界中を旅しているイギリス人男性ポールとの交流を描く。ポールはリトアニアの人気ミュージシャン、アンドリュス・マモントバスが演じ、ジョニー・トー作品でお馴染みの名優ホイ・シウホンもアマヤの夫役を演じている。異国に住むアマヤの寄るべなさ、女性たちの本心を呼び覚ます媒介としてのポール、佇まいだけで香港らしさを出すアマヤの夫など、俳優たちはいい仕事をしていると思った。
ただ、アマヤが何故香港に居つくことになったのか、ポールが一夜を過ごす女性が誰でポールとどんな関係なのかなどの説明はほとんどなく、終盤、アマヤが息子の住む海辺の街に行くとポールがいるなど脚本面では疑問を感じる面もあった。
後のQ&Aでも桃井さん本人から説明があったが、序盤のアマヤとポールの出逢いのシーンがラストで繰り返されるなど、全般的に映像表現としては面白い試みがされている。ただそれが何のためになされているかというと、アマヤとポールの絆の強さを表現しているにしては当の2人がしっくり来る度が少ない。詩的で情感溢れていながら破綻している面があり、後のQ&Aでも語られるが通常の脚本・演出から逸脱して作られた映画の表現方法がどこに行き着くのか、興味は尽きない。
マリス・マルティンソン監督&アンドリュス・マモントバス
Q&Aにはマリス・マルティンソンス監督と、主演の桃井かおり、アンドリュス・マモントバスが登壇。桃井さんはやはり言葉の苦労が多かったと語った。アマヤは広東語ができるという設定だが、監督に「できない」と言ったところ、「君ならできる」と言われてしまい、吐きながら覚えたとのこと。桃井さんは監督の作品を映画祭で観た時、「複雑で分からなくても、何か切実に表現したいものがある」と感じたという。この映画も、「ストーリーではなく、映画の温度や肌触りで観る映画」だと語る。
現場でも桃井さんは勝手にアマヤのことを「使い込みをして日本に戻れなくなった女」と想定して演じたといい、監督との「妄想合戦だった」。終盤の息子に会いに海辺の街に行くシーンでも、監督が「泣いてくれ」というので桃井さんはてっきり「息子は自殺したんだ」と感じそう思って演技をしたが、後で監督は「息子は生きてるよ」。そしてその後に「ああ、いい話になったね」と言われたという。
マルティンソンス監督は次回作も桃井さん主演のコメディ・ロードムービーを準備中だとのこと。
『いつまでもあなたが好き好き好き』
ウィー・リーリン監督 コンペティション部門
一昨年の大阪アジアン映画祭でも買い物依存症の女性の悲劇を映像美とヒロインの魅力をもって描いた『ゴーン・ショッピング!』が上映されたシンガポールの女性監督、ウィー・リーリンの長編第2作目。ジョイは、自分の勤めるWED(結婚教育局)という機関で作った、結婚式のプロモーションビデオで共演したハンサムな音楽教師ジンに恋をしてしまう。現実と幻想が曖昧になってしまったジョイは、ジンにフィアンセがいることが分かっても猛烈なアタックを繰り返し、その行動はストーカーまがいのものになっていく。常軌を逸してしまう女性の物語という部分は前作と共通しているのだが、前作よりも叙情性が減り、ヒロインであるジョイへの距離と批評性が増している。自分の気持ちに正直に突き進むジョイは健気といえば健気なのだが、同情的に描くというよりは、観客に時に嫌悪感を催させるほどリアリスティックに描いている。
(c) 2010 Singapore Film Commission and Bobbing Buoy Films Pte Ltdかと思えばジョイの行き過ぎた行動はユーモラスに戯画化される場面もあり、この映画は恋愛映画、コメディ、ホラーなど、様々なジャンルの間を揺れているように見える。特定のジャンルに当てはめることができないので、観客は奇妙な宙吊りの感覚の中でジョイの異常な行動をただ注視するしかない。決してジャンルごとのお約束のカタルシスに回収されないことで、緊張感と不完全燃焼感が同居するまま、この映画は捩れたクライマックスに向かう。幻想と現実の間の境界が曖昧になっていたのはジョイだけではなく、この映画自身もそうであったことが突然発覚するのだ。ジョイの飼っていた猫が縫いぐるみであったこと、ジョイの恋を応援してくれていたはずの母がジョイが下宿している先の認知症の老女でしかなかったことが暴露される。
そしてルール破りはラストにまで及ぶ。今まで述べたようなジョイの妄想という要素、批評性、リアリズム、捩れたクライマックスがなければ、まるでハッピーエンドだと誤解されかねないようなラストなのだ。映画の表層で起こっていることを伏線で疑わさせるという、今までにあまりないような技法は観客を戸惑わせるに十分であり、観客は何を信じたらよいか分からないまま何も映らなくなった画面を呆然と眺めることになる。
Q&Aには若き女性プロデューサーで共同脚本のシルビア・ウォンさんが登壇。肝心のラストがハッピーエンドなのか、ジョイの妄想でしかないのかという質問に、「あなたはどう思いますか?」と問いかけた。この映画は、そのことこそを問いかけたかったとのこと。真実とは一体何かという問いかけを映画全体を通して心がけ、モラルとは一体何かということを考える場を作りたかったのだそう。本国シンガポールでは、「一生懸命やれば恋が叶うのか?」などといった批判もあったとのこと。「では、プロデューサーとしてはハッピーエンドとアンハッピーエンド、どちらであるとの意見なんですか?」と食い下がる観客に、「今言いましたよね」と冷たく言い放つシルビアさんに、新世代を担うアグレッシブさを感じた。
アジアの未来に向かって/クロージングセレモニー
まず観客賞が発表され、北村豊晴監督の『一万年愛してる』が選ばれた。この作品は早い時期からチケットが売り切れていたので、ある程度予想できた受賞でもあった。次にABC賞が発表になり、『アンニョン! 君の名は』が選ばれた。観客の間からは歓声があがった。バンジョン・ビサンタナクーン監督と主演男優のチャンタウィット・タナセーウィーも感無量といった風情であった。
審査員の行定勲監督、キム・デウ監督、ミルクマン斉藤氏からの講評は、「このようなデジタル時代では、フィルムより簡単に撮れてしまうが故に即興的な映画作りに流れやすい。脚本を映画の要とする行定監督とキム監督からその点について強い懸念が示された」と厳しさも覗かせた。
バンジョン・ビサンタナクーン監督&チャンタウィット・タナセーウィー
次に来るべき才能賞に移り、候補となったのは、エンタテインメント作品として見事な完成度に達していた『一万年愛してる』と『アンニョン! 君の名は』であったとのこと。「しかし韓客を意のままに操る監督力、アジアを席巻している韓流ブームという目のつけどころの良さなどを称え、今後のタイ映画界、アジア映画界の牽引者としてさらに成長してほしいということでバンジョン・ビサンタナクーン監督に決まった」と発表になった。ダブル受賞となったバンジョン・ビサンタナクーン監督は「I love 大阪!」と感極まった様子で叫んだ。
いよいよグランプリ。みなが固唾を呑むなか、「グランプリ候補は『雨夜 香港コンフィデンシャル』 と『恋愛のディスクール』の2本に絞られた。がしかし練り上げられた脚本と構成の妙、エピソードごとにトーンを変化させる演出が素晴らしく、エンタテインメント性と芸術性両立、完成度の高さという点で『恋愛のディスクール』になった」と発表された。観客の間からは溜息が漏れた。ジミー・ワン監督は満面の笑みを湛え、デレク・ツァン監督はその都会的な風貌に似合わず「おおさかーっ」と叫び、会場を湧かせた。私もコンペティション部門の作品では、私も『アンニョン! 君の名は』と『恋愛のディスクール』が飛び抜けていると思っていた。観客の反応を見てもみなそう思っていたのではないかという印象。審査員と観客の気持ちが一致する受賞結果、その一体感が映画祭の醍醐味であることを思い出させてくれた。そして賞を取った3作品ともが恋愛映画であることは、アジア映画のその弾けるような若さ、無限の可能性を改めて認識させてくれた。
(2011.4.10)
▶ レポート1 レポート2
大阪アジアン映画祭2011 (2011/3/5~13)
『マジック&ロス』 ( リム・カーワイ監督 / 日本・マレーシア・韓国・香港・フランス / 2010 / 82分 )
『雨夜 香港コンフィデンシャル』 ( マリス・マルティンソンス監督 / ラトビア・香港 / 2010 / 92分 )
『いつまでもあなたが好き好き好き』 ( ウィー・リーリン監督/ シンガポール / 2010年/ 90分 )
主なキャスト / スタッフ
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