内田伸輝 (映画監督)
杉野希妃 (プロデューサー、女優)
映画『おだやかな日常』について
2012年 12月22日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
前作『ふゆの獣』で、4人の男女が織りなす生々しい感情の応酬に人間の業を見せ、驚きを与えた内田伸輝監督が、新作『おだやかな日常』の舞台に選んだのは震災後の東京。目に見えない放射能は、この地で暮らす人々の元にも忍び込みながら、以前と変わらない日常を営ませるように一見見える……、が、閉塞した世界で起こる数々の衝突には人の心の闇が映し出され、我が身を振り返り胸に深い痛みを覚えた。そして失敗から立ち上がることができる人の強靭さに、未来の光を感じた……。俳優から濃密な感情を引き出す即興の演出で、これまでの震災映画にはなかった「震災後の世界に生きる人」の姿を見事に描いた内田監督と、困難な企画に賛同しプロデューサーと主演を務めた杉野希妃さんに、東京フィルメックスの会期中にインタビューを行った。おだやかな午後、映画祭の晴れがましい高揚感にも包まれながら、とても真摯に言葉を選んでそれぞれに込めた思いを語ってくださった。(取材:深谷直子)
杉野希妃 1984年生まれ、広島県出身。慶應義塾大学在学中にソウルに留学。2006年、韓国映画『まぶしい一日』で映画デビューし、『絶対の愛』に出演。帰国後2008年に『クリアネス』にて主演。2010年に主演兼プロデュースした『歓待』が第23回東京国際映画祭日本映画・ある視点部門作品賞などを受賞した他、100以上の映画祭からオファー殺到。2011年、第24回東京国際映画祭で「アジア・インディーズのミューズ」という特集が組まれ、第33回ヨコハマ映画祭の最優秀新人賞、おおさかシネマフェスティバル2012の新人女優賞を受賞。その他の主演兼プロデュース作品は『マジック&ロス』(10)、『避けられる事』(10)、『大阪のうさぎたち』(11)など。“Kalayaan”(12)、『ほとりの朔子』(13)、『審査員』(13)などが公開待機中。
――東京フィルメックスでの『おだやかな日常』のジャパン・プレミア上映おめでとうございます。内田監督にとっては最優秀作品賞を獲った『ふゆの獣』(10)に引き続きの出品となりますが、前作が完全な自主作品だったところから、今回はプロデューサーが付く作品へとひとまわり大きくなっているのも素晴らしいことだと思います。監督はQ&Aで、杉野さんにプロデュースをお願いしたのは海外で上映したかったからだとおっしゃっていましたが、海外を目指すというのはどういうお気持ちからのものなのですか?
内田 震災後、自分が住む東京の状況も大きく変わりましたが、世界にどれだけその実態が伝わっているのだろうっていうのが僕自身まったく分からない状態だったんです。行動とか表面的なものしか伝わっていないんじゃないだろうかという気がしていて、そこで生活している人たちに密着して撮ったものを見せたい、より多くの国の方々に観て理解してもらいたいというのがあって。杉野さんは海外の映画祭に『歓待』(10)などでよく行かれていたので、お願いをして海外にも広めようという思いがありました。
――震災という題材だったから海外に向けて発信したかったと。
内田 そうですね。まあ常に、『ふゆの獣』とかでも海外の映画祭を意識するものはあって、その理由はやっぱり、自主映画であっても海外の映画祭に行くと映画は映画なんだっていう感覚で観てくれるという楽しさがあるので元々好きだったんです。でも今回はもうそういう楽しさとは違って、より多くの国の方に観てもらうことで多くの方にこの現状を知ってもらいたかったのです。
――杉野さんは監督のお話を受けて、企画のどのようなところに賛同されて一緒にやることにしたんですか?
杉野 被災地をドキュメンタリーで撮られる方はすごく多かったんですけど、私は震災以降、被災地から中途半端に離れた「東京」という場所が、人としての在り方とか、人とのコミュニケーションとは何なのかということをすごく問われる場所だなあと感じていたので、監督のお話を聞いて、この映画を海外でも通用する作品にしたいという思いがすごく強く湧いてきたんです。もちろん日本でも一人でも多くの方に観ていただきたいと、賛否両論あろうことは念頭に置いた上で思います。嫌悪感を覚える方もいると思うし、気に入ってくださって、例えば癒されるという方もいると思うんですけど、じゃあなんで自分は嫌悪感を覚えるのか、なんでこの映画に癒されるのかということを突き詰めると、その先に多分その人が持っている価値観だとか人生観だとか社会性だとかが透けて見えてくると思うんですね。議論できる映画になればいいなあという気持ちで作りました。
――私も観て、放射能に対しての人々の鈍感さだとか不毛な口論に苛立ちを覚えたり、つい1年半前の光景や不安だった気持ちをもう忘れてしまっている自分にショックを覚えたりしました。震災のことは常に頭にあるつもりでも、無意識に遠ざけてしまっていた部分が生々しく蘇ってくる感じでした。
内田 ここに描かれていることは、セリフにしても東京に住んでいる人にとってはよく聞いたセリフだと思うんですけど、ただそのよく聞いたセリフって結局忘れていっちゃうところがあると思うんです。
杉野 風化されていくっていう感覚がありますよね。
内田 それを逆にオブラートに包むと、何か違ったものになってしまうんじゃないか、直接的に伝わってこないんじゃないのかなっていうのを感じますね。
杉野 今までどこかで起こってきたものを、もう一度ドラマとして構築し直すっていうことに意味があると思いました。同じことを繰り返しやってるっておっしゃる方もいると思うんですけど、私たちとしてはそれをもう一度提起して、もう一度見返してもう一度追体験して、そこで今の私たちがどう思うかというのを見せたかったというのはありますね。
――まだ生々しく感じられるうちに思い起こさせてくれるというのは、今しかできないとても大切なことだと思います。監督は去年の6月には杉野さんにお話を持ちかけていたとのことで、本当に震災後の早い時期から考えていらしたんですね。私は去年の夏の『ふゆの獣』の公開時にも内田監督にインタビューをさせていただきましたが、そのときに「次の映画は夫婦の物語になる」とおっしゃっていて、それがこの作品だったということですよね。
内田 ああ、そうですね、そのときには既に構想がありましたね。
――結婚した夫婦のその後の話を撮りたいとおっしゃっていて、それがこういう大きなテーマを持ったものだったのに驚きました。元々はユカコたち夫婦だけのお話として考えていたそうですが。
内田 そうですね、元々はそうでしたが、その後杉野さんとお会いしてから構想が膨らんでいきました。ユカコとタツヤの夫婦の話だけではなく、震災と原発事故によってお母さんたちが子供の未来を不安に思っているという状況を入れないと震災後の東京を描き切れないんじゃないかっていう部分がずっとあって。で、杉野さんとお話をして出演もしていただくことになり、ユカコには僕の中ではリンクしなかったのですが、だったらサエコとしてお母さん役をやってもらうのが適切かなっていうのがありましたね。