内藤 瑛亮 (監督)
映画『許された子どもたち』について【1/4】
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2020年6月1日(月)よりユーロスペース他にて全国順次公開
内藤瑛亮監督が、出世作である『先生を流産させる会』と同様、実際に起きた少年犯罪を題材に自主体制で作り上げた新作『許された子どもたち』が、いよいよ公開を迎える。いじめにより同級生を殺してしまった少年に、少年審判は無罪に相当する「不処分」の決定を下した。重い罪を許されてしまった子どもは、その後の人生をどう生き、どう成長するのか……? 子ども時代に同世代が起こした事件の報道に触れ考え続けてきた疑問を、内藤監督は膨大な文献にあたり、子どもたちとのワークショップを通して、多角的な視点で考え、観る者に渡す。観客は、不寛容な時代に生きる恐怖を主人公・キラとともに噛み締めながら、「今から彼を救う方法は?」と急き立てられるように考えることだろう。刺激に満ちた渾身の「教育映画」、コロナ禍で公開が延期となっていたが、営業再開となった映画館で真っ先に観る作品にはぜひこういうものを選んでほしい。STAY HOME週間中のある日、内藤監督にZoomでインタビューを行った。 (取材:深谷直子)
(主な監督作品)『先生を流産させる会』(12)、『高速ばぁば』(13)、『パズル』(14)、『ライチ☆光クラブ』(16)、『ドロメ 女子篇/男子篇』(16)、『鬼談百景』(16)、『ミスミソウ』(18)
STORY とある地方都市。中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星(いちかわ・きら)は、同級生の倉持樹(くらもち・いつき)を日常的にいじめていた。いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。警察に犯行を自供する絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理(まり)の説得によって否認に転じる。そして少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定する。絆星は自由を得るが、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。
――『許された子どもたち』の公開を楽しみにしていました。作品に関する情報は結構前から目にしていましたが、どんなふうに作られた作品なんですか?
内藤 企画が始まったのは『先生を流産させる会 』(12)の公開前ぐらいからです。僕が小学校4年生のときに起こった山形マット死事件に着想を得た物語を作りたいと思っていました。あの事件の加害少年たちは、最初は自供したのですが否認に転じ、家庭裁判所でも無罪にあたる「不処分」という決定が下されました。その後、高等裁判所で罪が認定されましたが、「もしあのまま法的に許されたとしたら、彼らはどう育っていくのだろうか?」という疑問があって、そういう話をやろうと8年ぐらい前から練っていました。当初は商業映画として考えていて、なかなか僕がやりたい形でゴーを出してくれるところがなく頓挫していましたが、2015年に川崎市中1男子生徒殺害事件が起きて、僕が描きたい問題と根っこがつながり、なおかつ現代的な問題も表出した事件だと感じたので、「これを今撮りたい」という思いが強まり、自主制作でもやろうと2016年ぐらいから準備を進めていきました。2017年にワークショップを行い、その年の夏から年末年始、翌2018年の春にかけて撮影しました。自主体制のため仕上げに約1年かかってしまいましたが、ようやく公開というところまで持ってこれました。
――実際の事件を元にした映画を作るのは、『先生を流産させる会』以来のことになりますね。今回挑戦してみたかったのはどんなことですか?
内藤 ひとつの事件だけを題材にするのではなく、いじめや少年事件に関わるいくつもの事象を取り入れて、多面的な問題を内包するフィクションを作ろうというのが目標としてありました。共同脚本の山形哲生さんと一緒に様々な文献を読んで、いじめや少年事件に関する問題点が表出するエピソードを二人で挙げていき、どういう形で脚本に反映させるか話し合いました。また、『先生を流産させる会』は、実際の事件では男子だった加害者を女子に変えたことで、「男の罪を女になすりつけている。監督はミソジニストだ」というご批判を受けたんです。僕は当時「ミソジニー」(女性嫌悪)という言葉も知らず、配慮に欠けていたことを反省して、その後ミソジニーに関する文献をいろいろ読んで勉強しました。その中に「男性が女性を嫌悪する背景として、”男らしさ”に囚われているということがあるんじゃないか?」という指摘があって。この社会は男性優位主義が根強く、そこで生活していると、男は自然と男らしさというものに囚われてしまう。そうすると弱い自分を受け入れることができなくて、強い自分を過剰に、ときに女性を蔑視してでも作ってしまうんじゃないか?と。そうした考えを本作の主人公のキラ(絆星)のキャラクター作りに反映させました。キラもある意味男らしさに囚われているところがあって、自分を心配してくれている母親にも悩みを打ち明けることができず、強い自分であり続けようとする。かつてはいじめられていた彼が誰かをいじめるのは弱い自分が受け入れられないからではないか?というふうにキャラクターを考えていきました。『先生を流産させる会』での批判があったおかげで、考えを改めたり、深めることができ、この作品に反映することができたのはよかったなと思います。
――この作品は男子が主人公ではあるんですが、男子の視点だけに偏らず、男女の対比が表れる部分も結構あるなと思いました。中盤で女子の間のいじめが描かれますが、キラたち男子のいじめが単純に強い者が弱い者いじめをするという感じなのに対して、女子のいじめは相手の非に対する正義感からみたいな理由が一応ありますよね。
内藤 そうですね、男子のいじめと女子のいじめが出てくるので、それぞれ性質が違うふうに描いています。男子のいじめは、わかりやすく露骨に一人をリンチしているようないじめじゃなくて、人間関係の中でいじめが起きていて、そういうのが今は強いんじゃないかと思います。昔のようにわかりやすい不良がいなくて、コミュニケーションスキルの高さでカーストの位置が決まる。キラと被害者となる樹がいる少年グループの中で、多分彼らに樹をいじめている意識はなかったんです。ただ、キラたちは樹を明らかに下に見ていて、キラが樹に乱暴な言動をすることはあってもその逆はない。「俺たちはこういうノリだから」とか「いじめじゃなくてイジリだよ」という認識をみんな持ってて、いじめられる側もそれを友達の関係だと思っているかもしれない。よく女子の方が陰湿だと言われますけど、男子には男子特有の陰湿さがあるなと思います。口には出さない力関係を当たり前のものとして共有している怖さを、男子のいじめで表そうと思いました。 後半に登場する桃子は、担任の先生からセクハラを受けた被害者なんですが、彼女の落ち度を責める同級生たちからいじめられています。強盗や車泥棒の被害者が疑われることはありませんが、性犯罪は被害者が疑われることが往々にしてあります。彼女をいじめるのは女子だけでなく、男子も含めて同級生たちが、被害者である桃子を加害者であるかのように仕立てあげ、排除します。こちらはいじめ加害者が自己正当化する不条理を表そうと思いました。
――様々な問題を含む作品ですが、核となっているのはいじめそのものではなく、加害者とその家族がその後どんな経験をするか?ということですね。
内藤 凶悪事件の文献を調べていくと、被害者とその家族、あるいは加害者個人についてのものは結構あるんですが、加害者家族に関する文献は少ないんです。脚本の初期段階では被害者家族と加害者家族を同じ分量で描いていましたが、それだと焦点がブレるので、あまりスポットの当たらない加害者家族にフォーカスすることにしました。加害者家族の支援活動をしている阿部恭子さんという方のインタビューや著作を読むと、加害者家族は理不尽な差別を受けることが多くて、例えば夫が会社の女性同僚を盗撮していたという事件が起きると、妻が会社の人に呼び出されて「あなたが旦那さんを満足させていなかったからこういうことをしたんだ」と責められてしまうと。日本では罪の責任は個人ではなく家族という共同体が負うものだという発想があるんですね。少し前に長崎で男児誘拐殺人事件が起きたときにも、政治家の鴻池祥肇が「加害者少年の親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」という発言をして問題になりました。個人を認めず、古い家族観、家父長制に今も縛られているんです。今のコロナウイルスの給付金を個人ではなく世帯主に支給するというのもそうです。加害者家族を描くことで、そういう日本社会全体の抱える問題につながっていくのではないかと思いました。
主演:上村侑 出演:黒岩よし,名倉雪乃,阿部匠晟,池田朱那,大嶋康太,清水 凌,住川龍珠,津田 茜,西川ゆず,
野呈安見,春名柊夜,日野友和,美輪ひまり,茂木拓也,矢口凜華,山崎汐南,地曵豪,門田麻衣子,三原哲郎,相馬絵美
監督:内藤瑛亮 プロデューサー:内藤瑛亮,田坂公章,牛山拓二 脚本:内藤瑛亮,山形哲生
撮影監督:伊集守忠 照明:加藤大輝,山口峰寛 録音・整音:根本飛鳥 録音:小牧将人,南川淳,黄永昌,川口陽一 編集:冨永圭祐,内藤瑛亮
音楽:有田尚史 サウンドデザイン:浜田洋輔,劉逸筠 助監督:中村洋介 制作:泉田圭舗,佐野真規,山形哲生
配給:SPACE SHOWER FILMS ©2020「許された子どもたち」製作委員会
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