内藤 瑛亮 (監督)
映画「先生を流産させる会」について
2012年5月26日(土)より、渋谷ユーロスペースにてレイトショー!
実際にあった事件を元に、中学生のグループによる妊娠中の教師への悪質な嫌がらせの顛末を描いて、自主映画ながら話題をさらっている『先生を流産させる会』。神経を逆撫でするタイトルとは裏腹の丁寧な作りが先入観を鮮やかに壊し、物語に揺さぶられながら62分をスリリングに駆け抜ける幸福な体験を観る者にさせてくれる。本作で長編デビューを果たした新鋭・内藤瑛亮監督に、題材の選択から、説明を排し観客に想像の余地を残した脚本作り、リアリティ溢れる演技を見せた子供たちへの演出や彼女たちの意外な素顔までを語っていただいた。(取材:深谷直子)
内藤 瑛亮 1982年生まれ、愛知県出身。映画美学校フィクションコース11期生修了。短篇『牛乳王子』(2008年)が、スラムダンス映画祭2010はじめ国内外の映画祭にて上映される。BS-TBS『怪談新耳袋 百物語』の一短篇「寺に預けられた理由」(2010)にて、TVドラマ作品を初めて演出。2011年、高橋洋監督『恐怖』のバイラルビデオを制作。長編第一作『先生を流産させる会』(2011)が、カナザワ映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門にて正式招待される。ショートピース!仙台短篇映画祭の311企画『明日』にて短篇『廃棄少女』(2011)を出品。チッツの『メタル・ディスコ』を主題歌に据えた短篇『お兄ちゃんに近づくな、ブスども!』(2012)をMOOSIC LAB2012にて発表。
――『先生を流産させる会』は昨年からとても話題になっていた作品で、ようやく公開が決まったことを嬉しく思っています。実際に拝見して、確かに衝撃的な内容でしたが、「教育映画」という宣伝文句も使われているようにすごく真面目に題材と取り組んでいるのが感じられ、自主制作とは思えないバランスのよさに感心しました。映画美学校の高等科の修了作品として撮られたということですが。
内藤 そうですね、一応。と言うのは美学校って生徒全員が修了作品を撮れるわけではなくて、選ばれた数人しか撮れないんですが、そこからは落選しているんですよ。でも特別枠というのがあって、「機材は貸してあげる、製作費は完成後にちょっとだけあげる、あとは自腹で出して」と、そういうので撮った作品です。
――そうなんですね。題材はどのように選んだんですか?
内藤 自主映画って撮っても人に見せる場がなくて、映画祭とかコンペに出して、賞を獲ったり上映作品として選んでもらうしかありません。前作『牛乳王子』は落選しまくって。運よく上映されても、ホラーなのでお客さんには引かれて、フルボッコ(笑)。やっぱり好まれるのは恋愛映画だったり青春映画だったりするので、このままじゃダメだな、作っても結局人に観てもらえなくては意味がないなと焦ってて。かと言ってウケを狙って恋愛映画や青春映画を撮りたくはない。じゃあどういう題材なら観てもらえるのかなと考えて、そのときに実在の事件を元に映画を撮ろうと思ったんです。
――それも恋愛ものだとかと比べるとコアな世界に思えますが。
内藤 ホラーだとホラーっていうジャンルで線を引かれちゃうところがあるけど、実話を元にした物語ならば人間ドラマとして観てくれるんじゃないかと。自分も興味を持てる題材だし、事件の引きもある。『牛乳王子』で振り向いてくれなかった人に振り向いてもらえると確信していました。図書館で新聞を読み漁って映画になりそうな事件を探しているときに「先生を流産させる会」っていう事件を目にして。
――やはりそのネーミングに惹かれたという感じですか?
内藤 そうですね、この事件のことは起きた当時から知っていましたが、そのときもまず言葉にすごくギョッとして……、「まず」って言うより言葉が全てですね。なんて言葉だろう、こういう発想ってなかったなって、悪意のあり方として。一方、ネット上でこの事件に対して怒っている人は「こんな事件を起こしたヤツは死刑にしろ」とか「実名を出せ」とか、過剰と言うか、大人としてそういう怒り方でいいのかなと疑問に思う部分があったんです。
――事件自体のインパクトとともに、世間の反応の仕方にも思うところがあって取り上げた題材ということですね。でもこれを映画にすることで、今度はその怒りを映画や監督が背負うようなことにもなってしまいました。そこまでの反響は予想外でした?
内藤 あんなにネットを炎上させるとは思わなかったですね(苦笑)。もちろんこれを題材に映画を作るということで背負わなければいけないものが多いだろうとは思っていました。流産を経験したことがある人だとか、子供を産みたいと思っている人、身籠っている人は、このタイトルを見るだけで嫌な気分になるだろうし、そういうことを配慮して過剰に怒る人もいるだろうなと思っていて、でもそれを背負った上で語るべき価値のある話になるだろうと思ったんです。
――生徒の性別は実際の事件では男子でしたが、女子に変えたのはどんな狙いからですか?
内藤 僕がいちばんこの事件に対して戦慄した点というのは、「先生を流産させる会」っていうグループ名なんですね。すごく嫌な気持ちになった。劇中でも言ってますけど、「流産させる」という行為は「人を殺す」ことよりも罪として軽いんですよね。胎児は法的には人と考えられていないから。でも「先生を殺す会」より「先生を流産させる会」という言葉のほうが、はるかに禍々しいし、おぞましくて嫌な気分になる。大事にしているものを否定されたような。それは何でだろう?と。「物語は常に逆説的であるべきである」というのが美学校の講師である井土紀州監督の教えで、このすごく否定された気分を突き詰めていくと、我々が大切にしたいもの、絶対否定されたくないものを描き出せるだろうと考えて。そうしたときに「流産させたい」と思うということは妊娠に対して嫌悪感を抱いていることで、妊娠が自分と地続きである女性のほうが物語としてリアリティを持てるなと思い、女性キャラクターにしました。また、同性にすることで、主人公の女の子たちにとって先生は自分の未来像になり得るし、女の先生からしたら生徒たちは自分の過去の姿になる。自分を乗り越えていくっていうドラマの形にも落とし込めるなと。
――内藤監督の作品には本作以降も含めて女性の強さを描くものが多いので、この事件を取り上げたのも女性をテーマにできる題材だからなのかなと思っていました。そうではなくて、事件に興味を持って脚本作りのセオリーに基づいて膨らませていったら女性の物語になったということなんですね。
内藤 ええ。あと自分が中学生のときに、女の子たちが「セックスで自分たちが生まれたなんてやだよね~」みたいなことを話しているのを聞いて、すごくギョッとしたんですよね。男子中学生ですから「エロいことしたいぜ!」っていう発想しかなく、「えっ、やなんだ!?」ってカルチャー・ショックで。でもその女の子にも数年後には普通に彼氏ができ、「何だったのあれは?」と当時のことを訊いたら「いや、分かんない」って言ってて(笑)。だけどなんか女の子にはそういう時期ってあるんだろうなと思って。女性になる、母親になるっていう変化を成長とともに受け入れていくんだろうけど、その受け入れる前の段階に興味がありました。さらに言うと、新聞記事をパッと見たときに、田園があって高速道路がバックにあって女の子たちが歩いている、映画の冒頭のあの画が頭に思い浮かんだんですね。で、脚本を書く段階で男子にするか女子にするか考えるところはあったんですけど、直感的に思ったことはやっぱり大切にしたほうがいいなと思ったのもありますね。
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