木村 文洋 (映画監督)
映画『愛のゆくえ(仮)』について
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2012年12月1日(土)より、ポレポレ東中野にて上映中
大阪、名古屋、京都にて公開決定
前川麻子の同名戯曲をもとに、木村文洋監督が完成させた『愛のゆくえ(仮)』は、元オウム真理教の平田信と彼を隠匿した女をモデルにしながら、私たちに奇妙な「親密さ」を抱かせる映画だ。木村監督にとっては前作『へばの』(08)から約4年ぶりの新作。筆者が監督の話をおうかがいするのも『へばの』公開時以来となる。この間、木村監督はどんなことを思ってきたのか? また本作にこめられたメッセージとは?(取材/文:佐野 亨)
木村 文洋(映画監督)
1979年青森県弘前市生まれ。2008年、青森県六ヶ所村核燃料再処理工場に勤務、生活する家族を劇映画で描いた『へばの』を初長編監督。ポレポレ東中野で公開されたほか、カイロ国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭などで上映され、話題となる。現在まで国内外の映画館、大学、スペースなどで自主上映中。
戯曲から映画へ
――『愛のゆくえ(仮)』は、木村監督にとって約4年ぶりの新作となりますが、前作『へばの』のあと、どんな企画を考えていらしたんですか?
木村 『へばの』の主人公である紀美が幼い頃に別れた、息子と母との話がありました。六ヶ所村から、汚染を恐れて、80年代に東京に出てきたという物語です。その母子は長年、都会のなかで新興宗教コミュニティの相互扶助の絆で結ばれてきた、という話なんですが、これは長年自分のテーマとしてありました。『へばの』を撮る以前からあった物語で、公開後はこれを形にしようと思っていました。ただ結局、3年間かけても脚本がまとまりませんでした。そして昨年は東日本大震災があり、ほぼ半年、映画のことを考えられなくなってしまった。昨年の夏以降、ようやくチームを編成して脚本作業に入り出していたところです。タイトルは『息衝く』です。 『愛のゆくえ(仮)』は、今年1月にお話をいただきました。前川麻子さんが11月におこなう舞台用に書き下ろした戯曲が2本あって、高橋和博(本作のプロデューサー兼カメラマン)が、そのうちの1本を映画にしたい、と。
――前川麻子さんと出会われたきっかけは?
木村 『へばの』に主演した吉岡睦雄さんは東京へ出てきた際、俳優を志すにあたって前川麻子さんのワークショップで演技を学んだのだそうです。つまり、前川さんは吉岡さんのお師匠にあたる方なんですね。そのご縁があり、2008年の前川さんの作・演出舞台『モグラ町』を観に行って、知り合いました。
――この映画は、没になったほうの戯曲をもとにされているとうかがいましたが、完成版とはどこが異なるのでしょうか?
木村 物語がまず全然違うんです。舞台『愛のゆくえ(仮)』に採用された方は、ある男と別れてその弟と交際している女性が、弟のいない時間に男のもとを訪ね、久しぶりに話すという内容です。そのうちにどうも雲行きがおかしくなってきて……という。元オウム真理教の平田信と彼を隠匿していた女性をモデルにしていましたが、これはエチュード段階で没になりました。
――それに比べると、映画は非常に淡々としていますね。僕は元オウム信者をモデルにした映画であるということは聞いていたのですが、どういうスタイルで撮られているのかはまったく知らなかったので、実際に観た印象は、よい意味で裏切られたという感じでした。映画のシナリオは、没になった戯曲からはあまり変わっていないのでしょうか?
木村 もともとは女性の描写にもう少し重心が置かれていました。そこに僕が、寺十(吾)さん演じる男側の要素を増やしていったんです。約2ヶ月で10回くらい改訂を重ね、内容はかなり変わったと思います。どの台詞(言葉)が前川さんのもので、どれが僕のものだったか、いまとなってはわからないくらい。
――戯曲がもとになっていることもあり、この映画は多くの批評家から「舞台的」(演劇的/あるいはこれは演劇だ、か)と形容されるのではないかと思います。でも、僕は必ずしもそう思わない。カメラワークなども含めて、非常に映画的な時間が画面に流れているように感じました。
木村 高橋さんの発案で、「部屋の時間」が中心にありつつ、同時に外の世界、いまの街を撮るということを、映画をつくるうえでの重要な主題としました。モデルになった2人が実際に住んでいた大阪ではなく、東京をロケ場所に選んだのも、作り手である私たちが長い間住んでいた街(都市)を、いままで生活してきたなかでどう観ていたか、切り撮っていくか、ということから考え始めようと思ったからです。それが事実に忠実でなくても(実際の平田の出頭は2011年12月31日であり、大阪から東京までの移動をともなった)、自分たちがあの出頭をフィクションとして再構築し、17年間という時間を考えるうえで、そのような部屋と街を選ぶことが必要だったんです。 60年代、70年代のフランス・欧州の映画には、部屋と街を撮ることで、その当時の世界や国の状況を映す、という側面があったと思います。そうした「部屋の映画」こそがいまは大事ではないかと。そんな話をしているうち、カメラマンが「白黒を選択しよう」と言ったんです。僕もそれは主題に合っていていいんじゃないかと思い、白黒で撮影することに決めました。室内の闇と主人公たちの顔の闇とが同一線上になり、部屋の外に出ると、光のなかで人間の輪郭がやっとはっきりする。時には街の雑踏や暗部に隠れる、あるいは光のなかに溶ける。そのような効果が出せたのではないかと思います。
――あの「内と外」の移動のダイナミズムで一気に見せられてしまうところがあるわけですが、当然、舞台版は室内のなかだけで完結するんですよね?
木村 そうですね。なにより舞台版『愛のゆくえ(仮)』は、部屋の外が一切見えない、ということが物語にとって重要だったと思います。外から意外な来訪者がやって来る、部屋のなかに一人取り残される、ということがどこかサスペンスフルで幻惑的な主題としてありました。映画では、あの部屋のなかの時間が流れていたのか流れていなかったのかわからない、それが急にパッと現実の時間に解き放たれていくということが大事でした。
監督:木村文洋 出演:前川麻子/寺十吾
プロデューサー:高橋和博 脚本:前川麻子/木村文洋 撮影:高橋和博 録音:丹下音響 助監督:遠藤晶 編集:上田茂
音楽制作:太陽肛門工房/丹下音響 宣伝美術:竹内幸生 宣伝協力:加瀬修一 製作・配給:team judas2012
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