ご他聞に漏れず、自分も自分が生きる世界が、時代が気に入らない。違和感、嫌悪感が常に頭の中に渦巻くわけですが、誠に残念なことに、この時代でしか、自分は生存しえない。別の世界、別の時代に生きる自分などは、もしもの話でしかない――。
『へばの』
2009年1月31日より東京・ポレポレ東中野にてレイトショー公開される本作。青森県弘前市出身の木村文洋監督による初長編作品だ。
青森県六ヶ所村。核燃料再処理工場とその周辺組織が“地場産業”として定着した厳寒の地で生活する紀美(西山真来)と恋人の治。結婚を意識する二人だが、再処理工場勤めの治(吉岡睦雄)がプルトニウムを扱う際、内部被曝をしたことから、二人の関係は――
2006年に六ケ所村で起こった、19歳の男性労働者のプルトニウム吸引=内部被ばく事故をモチーフにしたと思しき本作は、そのアクチュアルな設定に目が行きがちであるが、それを突き抜けて、普遍的な“哀しみ”を描かんとする監督の強い意思が、少し先走って擦り剥け気味になりつつも、貫かれた意欲作である。
冒頭、紀美と治の、一糸纏わぬ睦み合いの寒々とした光景。人が体温を発することも封じられ、寒さの中に、風景の中に取り込まれたようなトーンが全編に渡り貫かれる。「東京に行こう」という空しく、儀式めいた言葉を発するものは、容赦なく劇中から排除され“ここにいる”決意をした者の姿が映し出される。――どんなに忌み嫌い、違和感、嫌悪感を表明したところで、この“世界”でしか、人は生きていけない。その決意のささやかな表明、であったならば、よりわかりやすいカタルシスを得て、観客は安心して帰宅できたかもしれない。
しかし、本作はそうした諦観に帰結するかにみせて、東京へのプルトニウム・テロ、天罰のような銃弾、と、話をとっ散らかすエレメントを取り込んでいく。それらのお題は、紀美と治のドラマと残念なことに、有機的に反応しあうようには至っていない。上出来とは言いがたい、そのゴツゴツとした手触り。そして、提示されただけで終わってしまった観のあるいくつかのお題…。
だが、それは単なる瑕疵ではない。逆に、そうした形で提示されたからこそ、この“舞台”でしか描き得ない“哀しみ”を抽出しようという監督の意思がより明確になり、観た者の胸に奇妙なひっかかりを残す。就寝間際にフト想起されるアノ場面、コノ場面…そう、映画的体験ってヤツだ。それを味わえるだけの力をこの『へばの』は持っている。
木村監督にとって、この『へばの』は、今後彼が世に放っていくだろう、様々な“表現”の大きな序章となっているように思える。赤剥けを起こしながら、放たれる熱い情動を秘めた、厳寒の地の物語。是非、多くの人に注目して欲しい。木村監督の今後も見据えて。
(2009.1.29)
へばの 2008年 日本
監督・脚本:木村文洋 出演:西山真来、長谷川等、工藤佳子、吉岡睦雄
カラー/DVCAM/81分
2009年1月31日より東京・ポレポレ東中野にてレイトショー公開
TRACKBACK URL:
映画『へばの』のトークショーにでます E 味(み)海苔の実 minorinomi
「へばの」という映画のトークショーで話すことになりました。2月4日(水)です。なぜか水曜日が「ノー残業デー」の会社が多いようですので、もし皆様の会社がそ...
Tracked on 2009/02/04(水)14:21:04
映画『へばの』のトークショーにでます E 味(み)海苔の実 minorinomi
「へばの」という映画のトークショーで話すことになりました。2月4日(水)です。なぜか水曜日が「ノー残業デー」の会社が多いようですので、もし皆様の会社がそ...
Tracked on 2009/02/04(水)14:21:04