今月の注目作
(2004 / 日本 / 塚本晋也 )
瞳に映える緑の木々が

膳場 岳人

 塚本晋也監督と浅野忠信がタッグを組んで、世にも感動的な映画を作り上げた。この映画は人間の「生死」というものを、 真っ向から描こうとしている。それから「霊」なるものの重みを完全に把握している。何より、 誰かへの愛がすべての登場人物を突き動かす原動力となり、物語を起動させている。とにかく、世代、男女の隔てなく、 騙されたと思って劇場に駆けつけてほしい。何も感じなかったり、それほど心を動かされない人もいるかもしれないが、それでも「見てよかった」 と思えるだけの価値が、必ずどこかにあるはずだ。ともあれ、これは問答無用で必見の一本だ。

※ 以下の文章はネタバレしているので、映画を見たあとに読むことをお勧めします。

 死んだ恋人の遺体を解剖する男――。猟奇趣味的にも映る、そんな意表を突いた設定が、 解剖実習という医学生必修のイニシエーションを縦軸にして、普遍的な「死と再生」のドラマに昇華されてゆく。 ここでの解剖は度を越して丹念な愛撫であり、愛惜の念にみちた喪の仕事だ。人間は生老病死を宿命づけられているだけでなく、 愛別離苦の悲しみからも逃れられない。そのどうにもならない「四苦八苦」の試練を、この映画の主人公は人体解剖を通して乗り越えていく。

 幼い頃から親族からも両親からも「医者になる」と言われ続け、本人もそのことに疑いを持たなかった医学生・博史(浅野忠信)。ある日、 恋人の涼子(柄本奈美)と同乗していた車に居眠り運転のトラックが突っ込み、涼子は死亡。博史は一命を取り留めるが、 すべての記憶を失ってしまう。病院を退院後、彼は再び医学部に入学、解剖実習の時期を迎える。しかし、彼のもとに廻された献体の遺体は、 死んだ涼子のものだった――。

 慄然とするような不思議な巡り合わせだが、彼は実習のなかばまで、それが恋人のものであることに気づかない。 恋人がいたことすら覚えていないのだ。だがふとしたきっかけから記憶が蘇りはじめ、涼子という恋人がいたこと、生前の彼女との交わりは、 互いの首を絞めあい、死を疑似体験するという病的なものだったこと等を思い出す。主体性の希薄な人生を送ってきた博史は、 その浮き世離れした静謐な佇まいや、殺伐とした内装の住居が示すように、"生きながら死んでいる"とでもいった空虚さを持て余していた (いる)に相違ない。死んだ涼子も、余人には解せない暗さを心に秘めていたことが、遺族の証言によって明らかとなる。となると、 居眠り運転のトラックとの衝突事故は偶然の産物にすぎず、二人は最初から心中を遂げようとしていたのではなかったか?  そんな疑念さえ持ち上がる。

 「死」で結ばれていた恋人への思いは、心中未遂で生き残ってしまった者の寂寥を埋めるかのように、やはり「死」によって補われる。 博史が自分で作り出したのか、あるいは亡霊が死の国へと手招きしているのか、そのあたりをごくあいまいにしたまま、博史の心の中に、 冥府の汀で戯れる涼子が登場する。彼女が生命力溢れるダンスを披露する浜辺は、色彩に溢れ、燦々と陽光が降り注ぐ、亜熱帯の楽園である。 そこでの彼女との逢瀬は、博史にとってかけがえのない時間となる。一方、博史の生きる現実世界は、解剖実習以外の時間を除き、 鬱蒼とした重い雨に包まれた荒涼たる巷だ。こうして博史のアイデンティティは、"うつし世は夢、夢こそまこと"といった転倒を見せはじめ―― その世界観に共感する人は少なくないと思う――狂気の淵へと歩を進めはじめる。

 そんな博史に接近する医学生、郁美(KIKI)もやはり、「死」の影を引き摺っている。 彼女は付き合っていた大学の先生を自殺に追いやった。しかし郁美は、博史のように亡霊に翻弄されることはない。 博史が故人を愛していることに嫉妬の炎を燃やし、逆に「生きる」ことへの意欲を奮い立たせていく。 彼女が警察署で博史への思いをぶつける場面は胸に迫る。どこまでもクールに構えている郁美が、 著しくバランスに欠けた人間性を剥き出しにして、愛を乞うからである。一方、楽園の涼子もまた、亡者としての本性をあらわにする。 「一人にしないで!」という狂ったような叫びは、博史に対する郁美の求愛とほとんど同じもので、生と死に引き裂かれる男の物語として、 まことに完璧な対比を成している。このあたりの構造は、溝口健二の『雨月物語』さながらで、一見、あまりに明快すぎる「楽園」のロケ地・ 沖縄が、日本の原始的な霊異の風土を具現するために選ばれたことは明白だろう。惜しむらくは、 涼子が最後に変に倫理的な態度を見せて成仏することだ。ここは無意識過剰の幽霊らしく、「ひとりはいやだ、いやだ、いやだ!」と、 どこまでもわがままを貫き通してほしかった気はする。

 こうした展開が示すように、この映画は一種の霊異譚であり、悲痛なラブストーリーだが、同時に医学生の「解剖実習の一部始終」という、 ちょっと類例の見られないモチーフを存分に取り扱ってもいる。黙祷を捧げてから「ご遺体」にメスを入れ、皮膚を剥ぎ、 筋肉や内臓にこびりついた脂肪をこそげ落とし(余談だが、この場面ほど「太っていることは恥ずかしい!」と思わされた場面もない)、 内臓器官や骨格、神経や血管の構造を隅々まで丹念にスケッチする(取り出した眼球を半分に切り、 中から水晶体を摘出する場面のはっとするような美しさ。そのちっぽけな透明の物体が、 生前の故人の見てきたすべての風景を記録しているのではないかという想像力を刺激する)。解剖を終えると、 腑分けされたすべてを元通りにして棺に納め、故人が三途の川を渡るために必要な死に装束や杖、白百合等とともに荼毘にふす。一連の描写に、 危惧されたグロテスクさは感じられない。そればかりか、なぜ解剖実習という経験が医学生に必要なのかが、強い説得力をもって迫ってくる。 若者とは軽はずみな生き物であるから、遺体を徒に弄ぶ場面も若干挿入される。しかし監督は、実習に取り組む生真面目な医学生のように、 「献体」という行為に対して最大限の敬意を払っており、その敬虔な姿勢が作品にある種の崇高さをまとわせている。実際、この映画を見て以来、 筆者も献体について真剣に検討中である。

 涼子は息を引き取る前、唐突に意識を取り戻し、病院への献体をやけに力強く希望したという。その涼子の遺体が、 数年を経て医学生に戻った博史の前に辿りつく。そのあまりにもできすぎた巡り合わせに、生き残った者たちは慄然とする。だがその奇縁は、 博史の父親(串田和美)の取り計らいであったことが判明する。それは、このスピリチュアルな物語の世界観に反発するような、唯物的な証言だ。 息子の記憶を取り戻してあげたい一心で、彼は大学の担当教授(岸辺一徳)に手配を依頼したのだが、息子が狂気じみてくるにしたがい、 自分の行為が裏目に出たことを後悔する。そんな彼に、教授は根回しなどしていないとあっさり告げる。ここでの、 「規則を犯すことはできませんから」という台詞が実に意味深だ。本当は根回しをしていたのに、 彼の苦悶を和らげるために嘘をついたのかもしれないし、本当にこれは霊的な現象で、涼子が博史との再会を導いたのかもしれない。 いずれにせよ真相は教授の胸だけに仕舞い込まれてしまう。事実、それはどちらでも良いのだ。やがて解剖実習は終わりを告げ、 博史は生きていくことを選択するのだから。すべてが終わったあとの、博史と郁美による「ごめん」「ありがとう」という短い会話は、 彼らの成長を端的に表して微笑ましい。実り多き解剖実習を終えた博史の瞳に、生命の躍動を感じさせる緑の木々が映える。いつしか雨は上がり、 楽園の色彩が現実世界に宿っている。この場面が与えてくれる清浄な感動は、とても一言では言い尽くせない。

 それにしても浅野忠信は何という役者だろう。「僕はどの時間を生きているのかな」と、迷妄の最中にある不安を父親に吐露する場面。 息子を慮った父親から「もう解剖実習はやめよう」と説得され、「そんなことしたらぶっ殺すからな!」と人が変わったように言い放つ。 彼は逆上した父親に殴られるが、嘲ったような顔のままだんまりを決め込む。しかしその瞳には薄っすらと涙が浮かんでいるのだ。そこに、 甘やかされて育てられた男の子供っぽさ、卑小さがくっきりと浮き彫りにされる。彼は亡き恋人を思い続ける内向的な医学生というだけではなく、 気の触れかかった繊細な神経を持つ青年であり、何かといえば意固地になる我侭な息子でもあるわけだ。また、この映画においては、 しばしば肝心な場面で彼の表情が見えなくなる。肩まで伸びた髪の毛が邪魔をするのだ。しかし、 その髪の毛すら見事な演技を披露していると言うべきだろう。終盤のある重要な場面でも、浅野は悲しみに震える背中だけで、 観客に落涙をもたらす卓越した演技を披露している。いまさらながら稀有な役者だ。

 郁美を演じるKIKIも印象的だ。綺麗に切り揃えられた前髪、こわさを孕んだ切れ長の瞳、幽霊のように白い肌。 その引き攣ったような顔立ちは、藤井かほり、真野きりな、りょう、といった塚本晋也的ヒロインの系譜に連なるが、 浅野忠信の際立った存在感にちっとも負けていない。ほかの役者陣も皆好演している。昨今、「愛する人の死」 というお涙頂戴モノの定番モチーフが映画やTVドラマで花盛りだが、塚本晋也監督の主題へ対する真摯さと映画作家としての力量は、 そういった有象無象の通俗性とは縁遠い位相にある。ああ、この映画に出逢えてよかった。

(2004.12.17)

2005/05/01/12:54 | トラックバック (0)
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