今月の注目作
(2004年 / 日本 / 李相日)
永遠に終わらぬ夏を

膳場 岳人

 妻夫木聡の屈託のない笑顔、それがいささか品性とまとまりに欠けたこの映画に輝きを与えている。 ホラ話で人を煙に巻いては笑い、ニタニタ笑いを浮かべながら米軍基地への侵入を試み、自分の通う高校をバリケード封鎖しては抱腹絶倒する。 すべての行動に思想はなく、「体制への反発」といったありきたりな動機すらない。1969年の佐世保に存在するすべてを、 面白おかしく笑い飛ばすため、ただそれだけのために、妻夫木聡と仲間たちは飽きもせずに悪事を繰り返す。好きな女の子を振り向かせるため、 という分かりやすい動機がもっともらしく提示されることもある。しかし、ヒロインである太田莉菜よりも、 相棒である安藤政信との関係に気を揉む妻夫木の姿を見れば、彼が大切にしているものがどちらかは一目瞭然であろう。

 彼らは自分たちの無軌道な行動が、他者に及ぼす迷惑を顧みない。同じような道を歩んできた大人による、 寡黙で冷徹な視線が自分たちに注がれていることを知らない。しかし一瞬だけ、冷静な大人の声が、彼らの狭い世界に冷風を吹きつけてくる。 バリケード封鎖の首謀者として事情聴取を受ける妻夫木が、担当刑事から「人はなんで乞食になるとやろうかねえ?」と語りかけられる場面だ。 言葉そのものは、「乞食に零落れる人々も、かつては君と同じように東大や京大を目指す普通の高校生だったかもしれないね」という、 いたってシンプルなものである。が、容貌魁偉な國村隼の口を通して語られるその言葉は、残酷な怪談のようにおぞましく響く。 楽しければそれでいい、という高校生活に懐疑が生ずる瞬間だ。この経験は妻夫木の今後にかすかな影を投げかけるだろうが、 さしあたって映画はそこを描かない。この映画が描こうとしているのは、彼らが成長していく様子などではなく、 無邪気な笑顔が彩る夏の日々そのものなのだから。筆者はその一点に於いて、上滑り気味なギャグに満ちたこの映画が嫌いになれなかった。

 村上龍による人気の原作小説は、題名が示すように六十年代末期を背景にしている。しかし脚色を手がけた宮藤官九郎は、 その特殊な時代背景の細密な再現を最初から放棄し、いつの時代にも通用する、普遍的な青春映画を成立させようと目論んでいる。それは、 村上龍の自伝的な要素が強い原作に沿って脚色を施すのではなく、脚本家の世界に村上龍の原作を添わせる、ということだ。よって、 この映画を見て「60年代の若者は情熱があって羨ましい」などとは誰も思わないだろうし、「そういう時代だったのか」 と納得させる意味でのリアリティは皆無となっている。バリケード封鎖、ゲバ棒、マルクス=レーニン主義、ツェッペリン、奥村チヨ、等々、 当時の政治状況やカルチャーのすべてが、現代の観客の笑いを誘うための小道具として存在する。 ある種の世代から思い入れたっぷりに語られがちなこの時代を、筆者と殆ど同世代である官藤官九郎と李相日監督は、潔く現代に引き寄せた。 その不遜とも言える制作姿勢は、結果的に映画を良い意味で開き直らせたと思う。

 そうした意味においても、今をときめく妻夫木聡が主役を張る、というキャスティングは大成功である。嫌みのない愛くるしい顔立ちや、 日焼けした二の腕に漲る少年らしさは、女性ファンならずとも魅了されずにいられない。「隣りの家の少年」といった佇まいの彼が、 嶋田久作扮する体罰教師の壮烈な連続ビンタに耐えてみせたり、柴田恭兵扮する父親の台詞にぐずぐずと涙ぐんだりすると、 見ているこちらまで胸がキュンとなってしまう。今さらながら、逸材である。

 その一方で、妻夫木の相棒役を安藤政信が務めたことに関しては、若干の疑問も残る。人物設定も服装も髪型も、どこか要を得ていない、 という印象が始終つきまとった。楽天家の妻夫木をやきもきさせるには、 安藤以上にクールで物静かな雰囲気を持った俳優が必要だったのかもしれない。同じ宮藤官九郎脚本による『ピンポン』 の窪塚洋介とARATAの卓抜なコンビネーションには遠く及ばないのが残念である。

 岸部一徳や柴田恭兵の使い方はうまい。人物造形に深みがあるわけではなく、シナリオ上、実に都合のいい人物配置と活用のされ方なのだが、 役者の力なのか、いかにも人間臭い大人の情感を漂わせて見事だ。ヒロイン・太田莉菜の存在感は間違いなく貴重だが、 個人的にはほとんど出番のない三津谷葉子と水川あさみに惹かれた。今ひとつぱっとしない若者を演じて説得力のある加瀬亮もいい。 今後の日本映画の中枢を担う役者たちが、大挙出演しているだけでも、一見の価値はある映画である。

 校舎の屋上から見える、山と海と川に囲まれた地方都市の鄙びた風景。その狭い世界で、寸暇を惜しんで哄笑にうつつを抜かす彼らの青春は、 今後も永遠に続きそうな雰囲気だ。 教室の片隅で、気心の知れた連中と他愛のないお喋りに興じる幸せなひとときのように。彼らはこの後、 どんな人生を送るのだろうか。その青春の終わりはいかにして訪れるのだろうか――。

 幕切れにおいて宮藤官九郎は、画面で生き生きと躍動していた登場人物たちを、かけがえのない「青春」 という時空に永遠に閉じ込めようと試みる。その結果、映画は冒頭とラストがきれいな円を描いて終わるわけではなく、 接点のちょっぴりずれた円――すなわち、「6」あるいは「9」という数字に似た円――を描いた。 決して終わることがないと信じられていた高校時代の幸福な夏の日々を、『69』という映画はいつまでも生き続けている。 後世に残るような名作ではないが、そのさりげない締め括りには、確かに胸を締め付ける切なさがあった。

(2004.7.16)

2005/05/01/12:24 | トラックバック (1)
69 sixtynine ,膳場岳人 ,今月の注目作
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