AMY SAID エイミー・セッド
2017年9月30日(土)、テアトル新宿ほか全国公開
Text:仙道 勇人
41歳の平凡なサラリーマンが、家族に内緒で会社を辞めて、長年の夢であったプロレス団体を興す姿を描いた前作『MASK DE 41』(01)以来となる、村本大志監督の新作映画『AMY SAID』は、前作同様に40代に焦点を当てつつも、よりシビアに40代の現実や心情を浮き彫りにしたビタースィートな群像心理劇だ。
大学を卒業してから20年、映画研究会の仲間達が、彼らのマドンナで在学中に謎の自殺を遂げたエミの命日に集まることになる。当初はお互いの近況を報告し合う和やかな雰囲気の同窓会だったが、仲間の一人が「エミが死ぬ直前に会っていたのは自分で、彼女が死を選んだ理由を知っている」と告白したことで、エミの死から目を背けて来た全員が、それぞれの過去と現在に向き合うことを余儀なくされる……。
本作は、映画研究会という共通のバックボーンを持った人物達による密室劇ということで、随所に映画ネタが織り込まれている。どれも映画好きならニヤリとさせられるものばかりだが、それらはあくまでも劇進行のスパイスでしかない。本作の見所は、当初は年齢相応に仲間に対して余裕のある態度を見せていた40代男女が、「エミの死の真相」というパンドラの箱が開けられたことで、仲間に対する嫉妬や羨望、怒り、苛立ちといった、彼らが20年間に渡って心に秘めていた様々な思いを噴出させるところにある。
また、本作はトリッキーな構成で組み立てられているのも特徴の一つで、彼らが互いの本音をぶつけ合う過程で、フラッシュバックのように挿入される過去の追想と並行して、現在の彼らが抱えている問題も現在進行形であぶり出されていく。時にコミカルに、時にシリアスに過去と現在を横断しながら、彼らは見栄や気取りを捨てて、素の自分の情けない姿をさらけ出していく。そうすることで初めて過去を、エミの自殺によって切断された青春の日々を受容し、青春時代に漲っていた瑞々しい情熱を呼び起こす……かに見えたが、彼らの前に思いがけない形で現実がのしかかってくる。そこには、夢よもう一度と願っても、踏み出そうとする一歩を何かに押し止められてしまいがちな、柵にまみれた40代の現実――人生なんてこんなもんだよとうそぶいて、本当の気持ちを押し殺さなければならない無力感や空虚感、やるせなさが確かに浮き彫りにされていた。そして何より、どうにもならない現実に打ちひしがれる大人達が、大橋トリオのテーマソングに合わせて青春時代の夢のような日々の記憶を辿り、記憶を分かち合うことで、束の間の安らぎを得る姿は堪らなく胸に沁みる。無邪気で幸福だった過去の追憶に浸ることで、少しでも救われた経験がある人ならきっと共感するところも大きいだろう。
と言って、本作は40代の閉塞感や空虚感を青春時代の追憶で埋めて、慰撫し合う姿を映し出しただけの作品というわけでもない。監督は、物語の最後の最後で暴投スレスレの際どいネタを放り込んでくる。人によってはご都合主義と感じる向きもあるかもしれないが、その人物の職業に注目すれば、他の誰でもなくその人物であったことに意味があると気づくだろう。「人生はいつでもやり直しがきく」とはよく言われるが、必ずしも誰もがやり直せるわけではない。やり直したくてもやり直せない者もいるのが現実だからこそ、叶えたかった思いが胸に燻っているのであれば、何歳だろうがその思いを諦めないで欲しい――そんな監督の願いが込められているようなラストカットは、パンドラの箱の中に残された希望そのものであり、全ての中年達に向けたささやかなエールに違いない。
(2017.9.19)
出演:三浦誠己、渋川清彦、中村優子、山本浩司、松浦祐也、テイ龍進、石橋けい、大西信満、村上虹郎、大橋トリオ、渡辺真起子、村上淳
音楽:jan and naomi テーマ曲:「AMY SAID」(大橋トリオ)
監督・脚本:村本大志 脚本:狗飼恭子 企画・製作:佐伯真吾 プロデュサー:関友彦、田中和磨
制作:株式会社コギトワークス 配給:ディケイド 宣伝:フリーストーン
© 2017「AMY SAID」製作委員会
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