インタビュー
佐々木昭一郎監督

2010年7月24日(土)~7月30日(金)ユーロスペースにて開催

NHKのディレクターとして、多数のTVドラマを手がけ、いまなお熱烈なリスぺクトを受ける佐々木昭一郎監督。既存のTV表現の枠を逸脱したその独創的な世界観は、ドラマや映画というジャンルの垣根をこえて、すでに「佐々木昭一郎」という一個のジャンルと呼ぶしかない。ワークショップの有志たちによって開催される今回の特集上映にあわせて、佐々木監督のお話をうかがった。(取材/文:佐野 亨

佐々木昭一郎(演出家)
立教大学経済学部卒業後、1960年にNHKに入局。ラジオドラマの演出を手がけ、66年に寺山修司脚本の『コメット・イケヤ』でイタリア賞グランプリ、『おはよう、インディア』で芸術祭大賞を受賞。その後、テレビドラマ部へ。『マザー』『夢の島少女』『四季・ユートピアノ』などの作品を発表し、国内外の賞を多数受賞。

ラジオドラマからはじまった

――僕が佐々木作品と出会ったのは、90年代半ば、BS2で「佐々木昭一郎の世界」という特集企画が放映されたときでした。今回上映される『マザー』『さすらい』『夢の島少女』『四季・ユートピアノ』の4本もそのときに観て、たいへんな衝撃を受けたのですが、あとでじつは『八月の叫び』(95)をリアルタイムで観ていたことを知りました。

「佐々木昭一郎というジャンル」上映会
(C)NHK
佐々木 あのドラマを評価してくれる人は少ないんですよ。僕の作品としては珍しく、シナリオのとおりに撮った作品でね。35ミリで、110分版と90分版の2つのバージョンをつくりました。主演の大竹しのぶさんからは、僕が所属しているテレビマンユニオンを通じて、「ぜひ佐々木さんの作品に出たい」ということをつねづねおっしゃっていただいていて、『八月の叫び』のシナリオを書いているときに、ふと彼女のことを思い出したんです。
あのなかで大竹さんがオペラを歌うシーンがあるでしょう。撮影の三日前に「これをおぼえてください」と渡したんですが、本来は相手役がある歌(編註:モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より「手をとりあおう」)なので、彼女はそうとう練習したみたいですよ。アパートの一室でほかのシーンを撮影していると、階下から大竹さんの歌声が聞こえてきて、助監督に止めに行ってもらったこともあった(笑)。本番はモーツァルト劇場で、一発勝負で撮影しました。

――佐々木監督は、どの作品もほぼ一発撮りですよね。

佐々木 2回おなじことをやるとダレちゃいますからね。そのときの出演者の表情とか、風が吹いていたりとか、そういう1回限りの偶然を取り入れながら、なるべくつくっていきたい。

――ディレクターとしての出発は、ラジオドラマですね。

佐々木 僕の人生はすべて偶然なんです。大学へ入ったのも、NHKに入社したのも。当時のNHKの方針として、新人はまず、クイズ、落語、バラエティを勉強し、一年くらいしたら担当を割り振られていく。僕もひととおりやりましたよ。クイズ番組なんかいろんなことを調べられて楽しいし、一生これやりたいなあ、と思っていたら(笑)、ラジオドラマの演出をまかされることになった。当時27歳くらいでしたが、一本目と二本目が失敗して、次が駄目ならディレクターとしてはもうチャンスはないだろう、と。それで思いきって方針を変えたのが『都会の二つの顔』(63)。文学座の研究生だった宮本信子を見つけてきて、相手役には滝野川で魚屋をやっていた横溝誠洸を起用した。
宮本研さんがシナリオを書いた二本目の『手は手、足は足』(63)では、武満徹さんと一緒に仕事をしていた本間明さん(当時、鈴木明)に音響効果でついてもらい、すべて生音でやったんですよ。そうしたらスタジオの役者の声が音響効果に負けちゃったんですね。聞いて、これは駄目だと。
だから、『都会の二つの顔』のときは、二人を街なかに出して、それを手持ちマイクで追っていくという録音方法をとった。これはとても評判がよくて、ラジオテレビ記者会の賞までもらったんですよ。
遠藤利男さんは宮本信子の声を気に入って、当時名古屋で製作していたTVドラマ『名古屋駅前』に、彼女をラーメン屋の娘役で起用しました。

『マザー』『さすらい』

『マザー』
『マザー』 (C)NHK
佐々木 テレビドラマ部に移って、『マザー』の企画を提出したんですが、これが即却下されてしまった。翌年、ドラマ部のトップが川口幹夫さんに変わって、川口さんが遠藤利男さんをプロデューサーにしたんですよ。彼の名伯楽としての素質に目をつけていたのかもしれない。
遠藤さんは僕のやりたいことを認めてくれて、『マザー』の企画を拾いあげてくれたんです。それで遠藤さんとずっと一緒にやっていた撮影監督の妹尾新さんをトップに、チームを編成しました。
遠藤さんのすごいところは、編集を変えて2つのバージョンつくらせたこと。一つは、上を説得するための企画書どおりの作品――捨て子の問題を告発する、というテーマを押し出したもの。もう一つは、海外のコンクールに出品するために、説明的な要素を省いて、主人公の少年により重点を置いたもの。
なによりも僕はケンちゃん(横倉健児)を撮りたかったんです。そして、港の祭りを撮影するために、神戸の街を舞台にした。撮影中、ジャクリーヌ・ジャヌレイさんというスイス人の画家が個展を開いているところに偶然出くわして、言葉はほとんどわからなかったけれど、「港で絵を描いてくれませんか」と交渉して、出演してもらった。そういう柔軟なやりかたでつくっていきました。
撮影もまた柔軟で、線路の上を逃げて走っていくシーンなどは、キャメラを放り投げて渡しながら撮影しているんです。妹尾さんは即興的な撮影が巧くて、葛城(哲郎)は移動撮影の名人だから、まさにスタッフの連携の賜物だと思いますけどね。
それから、『マザー』は、ワイヤレスマイクによる録音をいち早くおこなった作品でもあるんですよ。放映後、今村昌平さんのスタッフから「あの音はどうやって録ったの?」と訊かれたりしました。ミキサーにとっては不本意だったかもしれないけれど、僕は悪い音もあえて使ったんです。ガチャガチャとした街の喧騒とか、クルマが通りすぎるときの雑音とか。骨董品の店でオルゴールを買うシーンなんかは、ジリジリと周囲の雑音が入ってるんですが、それもリアリティだと思ってそのまま使いました。

――『さすらい』は、どういう発端だったのですか?

佐々木 最初、遠藤さんから「井上ひさしと組んだらどうか」と言われたんです。井上さんはNHKの「ひょっこりひょうたん島」を経て、当時すでにたいへんな売れっ子になっていました。僕から「兄弟をテーマにした作品をやりたい」と提案して、物語は井上さんにまかせたんですが、待てどもあがってくる気配がない(笑)。結局、撮影を遅らせるわけにはいかないから、僕が自分でシナリオを書いて、配役にとりかかりました。
主役を決めるのにほうぼう歩きまわったんですが、横浜の外人墓地に行ったとき、ゲートのまえでバイクのエンジンをふかしているやつがいた。それが安仁ひろしだったんです。お茶を飲みながら顔つきを見ていたら、こいつはいいな、と感じてね。その足で彼のご両親に会って、出演の承諾をもらいました。すごく頭のいいやつで、「アドリブで撮影したい」というこちらの要望をすぐに理解してくれましたね。
『さすらい』
『さすらい』 (C)NHK
設定も、彼の暮らしぶりからヒントを得て、つくっていったんですよ。山手のセント・ジョセフ学院に通っていたから、教会の神父さんにも出てもらった。東京ではペンキ屋に勤めることにしよう、と考えて、神泉の近くにあった映画の看板を描いているペンキ屋さんで撮影した。
それから、三沢にロケに行って、外国人のハウスを見てまわっているとき、基地の女を出したいな、と思いついたんです。じっさいにそういう女を探してみたんだけど、求めるようなシュールな女はなかなかいない。僕はいつもシュールなやつしか選ばないんですよ。現実に生きている人間なんだけれど、現実を超えた存在感をもっている人というかね。それで白羽の矢を立てたのが、笠井紀美子だった。彼女は当時、新進のジャズシンガーで、六本木の俳優座の近くでよく歌っていたんですよ。「基地の女を演じてほしい」とお願いしたら、「じゃあ、水着でも着ましょうか」と言うので、それはやめてくれ、と。いまはいいけれど、10年後に観直したときに、なんなんだあの水着は、ということになるからね。普通のTシャツで頼むよ、と。本当に気っ風がいい子でした。

――フォークシンガーの友川かずきや遠藤賢司も出演していますね。

佐々木 友川かずきは、助監督が見つけてきたんですよ。兄とか妹とか、そういう歌を歌っているフォークシンガーはいないか、ということで。初対面で、いきなりギターを抱えて歌いはじめたのをおぼえています。彼を主人公にすることも考えたんですが、東北弁であまりにもわかりやすすぎるし、話をもたすにはもうちょっと謎を持ったやつのほうがいいな、と。友川だと個性が強すぎて、彼の記録映画になってしまう。
遠藤賢司は、友川からの紹介です。寮に帰ると、食べるものはカレーライスしかないという設定だったので、それなら「カレーライス」という歌を歌っている男がいる、と(笑)。

――栗田ひろみさんもこれが初めての出演作ですね。

佐々木 妹という感じの、目のクリクリした女の子を一人、探していたんです。当時、渋谷の西武にアンティークの店があって、そこにオールヌードの少女の写真が飾ってあった。店の人に調べてもらったら、「栗田ひろみといって、13歳の女の子だそうです」と。それで「一日だけ来てよ」と交渉したら、赤いドレスを着て来てくれた。台詞はすべてアドリブ、三時間くらいで撮影を終わらせました。
そうしたら放映後、栗田ひろみへのファンレターや問い合わせがものすごくてね。連絡先を教えるわけにはいかないし、困りましたよ。あの一年後に大島渚の『夏の妹』に出演して、名前が広まっていくわけですが。

中尾幸世との出会い

――二年後の『夢の島少女』では、初めて中尾幸世さんを起用されます。佐々木さんは、中尾さんに限らず、キャスティングをするときには、台本読みをさせたりはせずに、いつも本人のところまで直接会いに行かれるそうですね。

『夢の島少女』
『夢の島少女』 (C)NHK
佐々木 僕は、役を決めるときには、放送局の会議室みたいな空間には絶対に呼ばないようにしています。NHKはいまでも新人を使うさいはオーディションで決めることが多いと思いますが、あれは意味がないし、失礼ですよ。その人が普段生きている場所、いちばん居心地がいいと思える場所に行かなければ、相手の本質はわからない。
もっとも、『夢の島少女』のときは、それでたいへん苦労しました。当時は、現役の高校生が放送局のドラマに出るなんて、とんでもない話だったんです。退校処分になりかねない。女子学園の生徒を追いまわしたあげく、放送局に電話がかかってきて、大変な目に遭ったりもしました(笑)。なかには、その後有名になった子もいましたよ。原田美枝子とかね。ちょうど東宝の映画(『恋は緑の風の中』74、家城巳代治監督)でオールヌードになった直後だったかな。非常にかわいかったけれど、すでに演技をつくることをおぼえていて、僕としてはピンとこなかった。
中尾さんは、千葉で「ルネッサンス」という劇団を主宰している大川義行さんが紹介してくれたんです。教えてもらった番号に電話をかけたら、本人が出たんだけど、低い声でぜんぜん聞こえないのね。あとで訊いたら、お母さんがそばにいてあまりしゃべれなかった、ということらしい。それで上北沢の喫茶店で待ち合わせて、会った瞬間に、この子はいいな、と思いましたね。受験生ならではの鬱屈とした感じがあって、それがすごく僕のイメージに合っていた。髪の毛はオカッパで、「なんでそんな髪型にしているの?」と訊いたら、「いま、流行ってるんです」と言っていたけれど、じつはつげ(義春)さんのファンだった、ということをあとで知りました。だから、僕はつげ義春は中尾さんに教わったんですよ。「サヨコ」という役名にしたのも、そういう事情(つげ義春の「紅い花」に登場する少女の名前が「キクチサヨコ」である。佐々木は、75年に同作をドラマ化。サヨコ役は沢井桃子が演じている)。それで「ご両親に会いに行ってもいいかい?」と訊いたら、「やめてください」と。「私一人で責任を持ちます」と言ったんですね。
冒頭の川のシーンは、秋田の八森で撮影したんですが、その最中に中尾さんのご両親にバレてしまった。お母さんが電話口で「幸世みたいなものが……」と泣いているので、「みたいなものじゃないですよ。素晴らしいですよ」となだめて。撮影を終えてから、東京のご自宅まで謝りに行きました。お父さんが大工職人で、彼女のことを理解してくれていたので、なんとかお母さんにも納得してもらえてホッとしましたね。

――その後、中尾さんを主演に『四季・ユートピアノ』、そして「川」三部作(『川の流れはバイオリンの音』『アンダルシアの虹』『春・音の光』)をつくられるわけですね。

『四季・ユートピアノ』
『四季・ユートピアノ』 (C)NHK
佐々木 今回上映される4本のうち、『マザー』『さすらい』『夢の島少女』までの3本は、一言でいえば「若気の至り」。若さにまかせて、けっこう無謀なことをやっていたと思います。だからこそ、思い入れもあるのですが。
『四季・ユートピアノ』は、そういう意味で、かなり戦略的に、海外での評価などを意識してつくった作品でした。本当は、中尾さんとはこれ一作で終わりだろう、と思っていたんです。ところが放映した段階で次の作品を撮らなければならなくなって、ちょっと強引につくってしまったのが『川の流れはバイオリンの音』(80)だった。いまとなっては、中尾さんに頼りすぎちゃって申し訳なかったな、という気持ちもあります。裏を返せば、そういう出演者がほかにいなかったということなんだよね。
中尾さんは、立ち居振る舞いが自然なんですよ。演技をつくってしまうと、ああいう歩き方はできない。いまのドラマを観ていると、ファッションモデル出身の女優さんが多いけれど、どうも面白みがない。撮影となれば、事務所や広告代理店がみんなついてきちゃうから、本人もすごくつっぱった演技になってしまう。
僕の考える演技というのは、記録映画の延長上にあるんです。中尾さんにしても、安仁ひろしにしても、みんな演技をしながら、ほかのことを考えているような顔をしている。そこがいいんだよね。人間ってそうやって生きているものでしょう。飯を食わなきゃいけないとか、家族とどう向かい合うべきなのかとか、それぞれの人生を背負っている。そういうことがにじみ出てくるような人がいいんですよ。

いつも音楽が響いている

――著書『創るということ』のなかで、「映像のあとから音響効果を考えて音を探してくるのではなくて、映像にとりかかる瞬間にはすでに私の頭脳の中で一つの印象的な音が音楽性をともなって鳴りひびいている」と書かれていますが、音響効果も含め、佐々木作品は、最も本質的な意味で「音楽的」な作品といえるのではないかと思います。

佐々木 漠然となにかに詰まったときは、音楽を流せば解決する、というのが僕の考え方なんですよ。私にとっての音楽は、特定のメロディだけではありません。音響、声、雑音。それらを僕は音楽と認識しています。
『マザー』のときは、音響の織田(晃之祐)が口笛が上手かったので、それを利用したんですね。
『四季・ユートピアノ』で使ったマーラーの「交響曲第4番」は、クラシックの記者をやっていいる僕の弟の部屋から、ある日、聴こえてきたんですよ。まったく偶然に。
それから、『夢の島少女』の「カノン」は、NHK-FMがまだ本放送になるまえに、一日じゅう垂れ流していたのが印象に残って、レコードを買いに行きました。そうやって次の作品には絶対にこれを使うぞ、と考えるわけです。
僕はとりたてて上等な音楽体験はもっていないけれど、音楽を聴く耳に関しては子どもの頃からわりと自信があるんですよ。クラシックでも、一回聴いたらおぼえてしまう。その音感を頼りに、いままでやってきたのかもしれません。

――喜んでいるときにはずんだ曲をつけたり、悲しいときに悲壮な曲を流したり、そういう音楽の使い方は「論理武装」でしかない、という言い方もされていますね。

佐々木昭一郎監督2佐々木 ラジオドラマをやっているときは、湯浅譲二さんや林光さんと仕事をしましたけれど、彼らは変な劇伴音楽はいっさいつくってきませんでした。登場人物の感情や台詞をなぞるようなね。そういうのは非常に軽薄だと思う。
『夢の島少女』で「カノン」のアレンジをお願いした池辺晋一郎さんとも長い付き合いです。30歳のとき、NHKの先輩だった吉田直哉さんに引っ張られて、「明治百年」というドキュメンタリー番組をつくることになり、僕は「西洋音楽」のパートを担当したんです。そのとき、武満徹さんが推薦してくれたのが池辺さんだった。池辺さんは、武満さんの言葉を借りるなら、「エクリチュール」を持っている人。文学でいう文体ですね。
劇伴音楽を手がける人は、自分の音楽で作品全体を支配しようとする人が多いように思いますが、武満さんや池辺さんはそうではなくて、音楽と映像がどのような関係にあるのかをきちんととらえている。

技法ではなく方法論を

――佐々木作品は、ときに個人的な要素が強い、「私ドラマ」というような言い方をされますが、監督ご自身はそれについては否定的なんですね。

佐々木 「私ドラマ」という呼び方は適当ではないでしょう。僕はなにかを私物化したり、私事に落とし込んだり、私的関係に終始したり、「私」のなかだけで片付くことが嫌いなんです。それはすごく単純なことで、シナリオを書いてみればわかるんですよ。「私はいま、○○さんと笑いながら話をしています」という文章は恥ずかしいでしょう。ところが、これを「彼は~」で書いていくと、あまり恥ずかしくない。つまり、紙の上で「私」という一人称が三人称にトランスフォーメーションする。その三人称の世界にこそ真実があり、作家はそこで苦しむべきなんですよ。TVドラマの脚本家は、どうもそういうところが甘い気がする。連続ドラマなんか観ていても、主人公が自分のことばかりずっとしゃべっている。他人の人生を描くときに、そんなにつるつると言葉が出てくるわけはないんでね。作家のなかだけで自己完結しているから、深まっていかないんじゃないかな。

――技法ではなくて、つねに方法論について考えている、ということもおっしゃっていますね。

佐々木 僕は、技法を確立することには興味はないんです。方法論について考えることは、毎回、一つの戦争であって、それはキャスティングについても音楽についてもおなじ。手持ちキャメラでドキュメンタリータッチでやります、ということが先にあるんじゃないんですね。あらゆる技法は、佐々木昭一郎というジャンルをつくるための方法にすぎない。と、今回のタイトルに沿うかたちでまとまったかな(笑)。

( 2010.7.20 高田馬場にて )
取材/文:佐野 亨 協力:中野香

第5回映画上映専門家養成講座 シネマ・マネジメント・ワークショップ2009修了上映会
佐々木昭一郎というジャンル 公式

2010年7月24日(土)~7月30日(金)ユーロスペースにて開催

『マザー』 7月28日(水)21:00~ 上映後トーク…遠藤利男プロデューサー

神戸を舞台に母親を知らない少年と国籍の違う様々な人々との即興の出会いから、孤独な少年の心の中の母親像を詩的に綴る。ドラマともドキュメンタリーとも区別がつかない演出は放送当時大きな話題となった。ロベルト・ロッセリーニも絶賛したとされる、佐々木の映像初演出作品にして傑作と名高い一作。

放映:1969年/56分/初回放送:1971年2月28日(日)
制作:遠藤利男/撮影:葛城哲郎、妹尾新/録音:長谷川忠昭、植松信孝/効果:織田晃之祐
出演:横倉健児、ジャクリーヌ・ジャヌレイ
1971年モンテカルロ国際テレビ祭ゴールデン・ニンフ賞(最高賞)、最優秀創作シナリオ賞、作品賞
『さすらい』 7月26日(月)21:00~ 上映後トーク…葛城哲郎カメラマン

育った施設を後にした少年が東京や海辺の街をさすらい、そこで出会った人々とのふれあいを通して大人へと成長していくロードムービー。繊細な少年が大人へと成長する様は役柄や演技を超えたリアルな姿として映し出される。友川かずき、遠藤賢司、笠井紀美子などミュージシャンも出演している。

放映:1971年/90分/初回放送:1971年12月16日(木)
制作:遠藤利男/撮影:葛城哲郎、妹尾新/録音:渡辺秀男、長谷川忠昭/効果:織田晃之祐
出演:安仁ひろし、栗田ひろみ、笠井紀美子、友川かずき
1972年度芸術祭テレビドラマ部門大賞、『マザー』と『さすらい』で1971年度芸術選奨新人賞
『夢の島少女』 7月25日(日)21:00~
7月29日(木)21:00~ 上映後トーク…鈴木卓爾監督×池田博明さん

少年は川に倒れていた少女を助け介抱する。少女は祖母と暮らした海のある故郷や東京での孤独な日々の記憶を反芻し、少年は少女の存在が心の支えとなっていく。ある日少女は少年の前から姿を消す。繊細な内面を映し出した映像と、パッヘルベルのカノンが織り成す美しい詩篇。中尾幸世が透明感溢れる少女を演じ、以後佐々木作品のミューズ的存在となる。

放映:1974年/80分/初回放送:1974年10月15日(火)
制作:藤村恵/撮影:葛城哲郎/録音:太田進溌、長谷川忠昭/効果:岩崎進
出演:中尾幸世、横倉健児、若林彰 1974年度芸術祭テレビドラマ部門参加作品
『四季・ユートピアノ』
7月24日(土)21:00~ 上映後トーク…瀬々敬久監督×池田博明さん
7月27日(火)21:00~ / 7月30日(金)21:00~ 上映後トーク…中尾幸世さん

ピアノ調律師の栄子が四季を通して、音と共に成長していく姿を描く。幼い頃のピアノとの出会い、家族の不幸など様々な過去の記憶と共に、音や人々との出会いを通して成長していく少女を『夢の島少女』の中尾幸世が生き生きと演じる。ドラマで流れるピアノ演奏、イラストは中尾が担当している。

放映:1978年-1979年/国内版90分/初回放送:1980年1月12日(土)
制作:小林猛/撮影:吉田秀夫/録音:長谷川忠昭 出演:中尾幸世、堀口礼世、小林千秋、工藤斗久
第33回イタリア賞国際コンクールRAI賞(グランプリ)、国際エミー賞最優秀作品賞
創るということ [単行本] 創るということ [単行本]
2010/07/24/16:22 | トラックバック (0)
佐野亨 ,特集上映PickUp ,インタビュー
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