『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』『エミ』
2011年5月9日(月)、10日(火)、18:00~21:00
渋谷アップリンクXにて上映
脳ミソから愛液が溢れ出るほど欲情しろ!
東良美季/作家・AVライター
映画とはスリルとサスペンスである。何故か?その答えは名著『ヒッチコック・トリュフォー/映画術』の序文「ヒッチコック式サスペンス学」の中で、フランソワ・トリュフォーが明確に書いている。一人の男が家を出て、汽車に乗るべくタクシーで駅へと向かう。それだけならありきたりの映像に過ぎない。ところが男にひと言、「こりゃいかん、大変だ。汽車に乗り遅れちまうぞ」と呟かせるだけで、映画には狂おしいほどの生命力が吹き込まれる。途中信号が赤になるたび、交通整理の警官が現れるたびに、画面にはエモーショナルな躍動感が生まれるからだ。観客はもう、画面の男の行動を他人事だとは思えない。共に手に汗握り、歯ぎしりしながら、駅への道を一心同体となって、フルスピードで暴走していくのである。
ジョン・ウーをこよなく愛しているという長江隆美がヒッチコックをどれだけ観ているかは知らないが、長江の新作インディペンデント・ムーヴィー『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』は、まさにそのように作られている。女スナイパーがロングライフルを構え、とある高層マンションの一室から今まさにターゲットを狙っている。それだけなら、何処にでもあるB級映画だろう。しかしその時、彼女の拳が自身の性器の中へと入り込んでいて、“抜けない”状態だったとしたら──?
まず、女はそれを抜くべく婦人科に電話しようとする。だが、電話帳は冷蔵庫の上だ。左手首までが股の間に入り込んだ状態で、右手を伸ばす。取れない、指が数センチ届かない。突然ドアベルが鳴った。何故かワイドショーのレポーターとカメラマンだ。室内には死体がひとつ。彼女がこの、おあつらえ向けの狙撃場所を確保するため住人を始末したのだろう。さあ、どうする?
トリュフォーはこうも書いている。このようにひたすらスリルとサスペンスだけを追い求めていけば、当然辻褄の合わないデタラメな部分が出て来る。しかしそのデタラメさを至上のイメージへと高めていくことこそが、優れた映画の神髄なのだ、と。長江による『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』も、まさにデタラメに暴走を開始する。
下着泥棒で自らも女装趣味のある中年警官、女子高生買春が趣味の老暗殺ブローカー、カーセックスを繰り返す中年カップル、変態コスプレ好きの裁判官、暴力的な美形長身ギャル、等々。デタラメで異様な人物が、手首まで膣にはまり込んで取れない殺し屋女の周辺を、まさに気が狂ったように駆け廻るのである。
やっとのことで電話が婦人科に繋がった時、女は言う。「拳が性器に入って抜けないんです」、相手は問う、「何故、そんなことになったんですか?」。殺し屋はヒステリックに叫ぶ、「私が知りたいのは、どうしたら抜けるかで、どうやって入ったかじゃないのよッ!」。そう、問いかけることに意味は無い。何故ならそれこそが、この馬鹿馬鹿しくもデタラメに面白い娯楽映画を貫く生命力の正体だからだ。
一方、ナックル原田による『エミ』には、一貫して“しん”とした空虚な風景が写し出される。線路沿いのボロアパート、ゴミ屋敷のような部屋、六〇年代の遺物のような品のないラブホテル、開店前の狭く薄汚い居酒屋の小上がり──主人公の少女エミは、そこで売春を繰り返す。男に金を貢ぎ続ける母親が、彼女にそれを強要するからだ。孤独で世間を恨むアパートの大家、仕事に意欲を見出せない刑事、中年男達はエミの初々しい身体を抱くが、何ひとつ希望は見出せないように見えるし、「こいつ、狂ってる」と呟きながらエミを輪姦する若者二人もやはり、生きるうえでの快楽を知らない。此処は何処だ?東京の片隅にも見えるし、永久に反映を失った地方都市のようにも見える。あるいはハーモニー・コリンが『ガンモ〈Gummo〉』(1997年)で描いた、竜巻がすべてをなぎ倒し、ついでに人々の未来まで奪い去っていったアメリカの田舎町にも似ている。
映画評論家・樋口泰人は『ガンモ』を評し、「望みを失った人々がゴミくずのように生きている様を淡々と描いた」と書いたが、『エミ』に登場する人物達もまた、生きる価値など何も持たないように見える。幸福など到底望めないロードサイドで、彼らは不味いホカ弁を食い、栄養ドリンクを飲み、少しも気持ち良くないセックスをする。未来があるとすれば唯一、エミの客の一人であり、語り部のように登場する不気味なシャブ中のヤクザだけだ。しかし彼がエミに提示する未来とは、W・W・ジェイコブズの恐怖小説『猿の手』で語られる、「三つの願い事」のようだ。
長江隆美とナックル原田について書いておこう。二人は長年アダルトビデオを撮り続けて来た、いわゆるAV監督である。その世界にあっては異才であり鬼才であり、天才と呼んで差し支えないだろう。長江はAV批評誌『ビデオ・ザ・ワールド』(コアマガジン刊)にて、2003年から現在に至るまで、実に4回、ベストワン作品を獲り監督賞を得ている。これはアダルトビデオ四半世紀の長い歴史の中で、彼以外誰も為しえていない偉業である。そしてナックル原田は現在まだ28才の若さながら、同誌2010年度のベストワンを獲得した。
そして特出すべきは、『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』並びに『エミ』が、すべて普段彼らが仕事を共にしているAV女優、AV男優、そしてAVのスタッフによって作り上げられたということだ。前者で女スナイパーを演じる艶堂しほり、そして後者でヒロインのエミを演じるつぼみ、その母親役の桜田さくら、彼女達の演技と存在感を観るだけで、長江と原田が長年どれだけ充実した作品を作り出して来たかを、うかがい知ることが出来るはずだ。此処には一般映画やTVでは観ることの出来ない、生々しくもリアルな「女優」がいる。
そしてもうひとつ、冒頭にインディペンデント・ムーヴィーと書いたが、この2作品はいわゆる「自主映画」ではない。女優、男優、スタッフに対し通常のAVと同じ「ギャラ」を払って制作されている。この点にもまた、今までの日本映画にない、新しい方向性が提示されているはずだ。ちなみに『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』のタイトルにある“抜けない”とは、AVに於いて男性が実用的にその映像を使用出来ない(オナニー出来ない)という意味の専門用語である。これは昨今のAVにありがちな、安直な「抜き」だけに特化した、映像的に観るべき物のない低級な作品に対するアンチテーゼであろう。そして生身の女からは遠ざかり、画面の中のAV女優にのみ性を求める軟弱な男達への警鐘なのだ。此処には監督・長江隆美による「この映像で抜いてみろ」、もしくは「脳ミソから愛液が溢れ出るほど欲情してみろ!」という、痛烈なメッセージが込められている。
2011年5月9日(月)、10日(火)、18:00~21:00
渋谷アップリンクXにて上映
『WORTHLESS WOMEN 抜けない女』
監督:長江隆美(ながえ・たかみ)
1969年生まれ。高校時代より8ミリ映画制作を始め、にっかつ芸術学院で演出を学び、卒業後、自主映画団体LEVELで活動。作品『SIDE B』がインディーズムービーフェスティバルで入選。TSUTAYAでビデオレンタル化される。2000年代よりAV監督として活動。2003年上半期『禁じられた愛欲・かけおち』、同年下半期『誘拐犯と妻』で、『ビデオ・ザ・ワールド』誌作品賞、監督賞を連続受賞。以降も同誌ベストテン第1位を2回受賞している。AVメーカー「ながえスタイル」主宰。
『エミ』 監督:ナックル原田(なっくる・はらだ)
佐賀県出身、現在28才。ラリー・クラーク監督『KIDS/キッズ』に影響され、陶芸家から転身して上京。ニューシネマワークショップにて映像を学び、5年前、長江隆美率いる「ながえスタイル」入社。2008年『同性愛・愛欲物語』で監督デビュー。2010年『調教されるおやじたち・女大家の強制猥褻ボロアパート』にて、『ビデオ・ザ・ワールド』誌AVベストテン第1位を獲得。
『エミ』 監督:ナックル原田 【予告編】
(C)NONBORDER ARTISTS
公式サイト:http://www.nonborder.jp/ 長江隆美監督 twitter:@nagaetakami
2011年5月9日(月)、10日(火)、18:00~21:00
渋谷アップリンクXにて上映
- (著):フランソワ トリュフォー, アルフレッド ヒッチコック
- (翻訳):山田宏一, 蓮實重彦
- 発売日: 1990-12-1
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- 監督:ハーモニー・コリン
- 出演:ジェイコブ・レイノルズ, ニック・サットン
- 発売日: 2005-05-18
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