今週の一本
(2005 / 日本 / 長崎俊一)
青春の終焉、そして回帰

佐野 亨

 1970年代末期から80年代初頭にかけての日本は、仲間内共同体の時代(この表現は、 漫画コラムニストの夏目房之介氏が生み出したもの)であった。石井聰亙、森田芳光、山本政志、 黒沢清といった後の日本映画界を背負って立つことになる監督たち、内藤剛志、室井滋といった俳優たち、 現在は小説家の保坂和志やドキュメンタリー監督の森達也ら当時日大、立教、 あるいは早大などの学生だった若者たちが8ミリや16ミリでの映画製作に明け暮れ、彼らの情熱の受け皿としてぴあフィルムフェスティヴァル (PFF)が存在した。

 PFFの常連入選者であった長崎俊一は、『九月の冗談クラブバンド』で商業映画に進出した後も、 そんな仲間内共同体における映画製作の幸福感にひたすら自覚的に回帰し続けてきた。1982年に長崎が内藤、 室井を主演に完成させた8ミリ作品『闇打つ心臓』は、インディーズ映画の金字塔として未だ語り継がれる伝説的名作だが、この作品が製作・ 公開された年に生まれた筆者は残念ながら未見である。

 その『闇打つ心臓』の23年越しのリメイクとして企画された本作は、しかし単純なリメイク作品ではなく、 旧作で自分たちの子供を殺して逃げ、互いの傷を舐め合うようにアパートの一室で身を寄せ合った男女(リンゴォ=内藤、伊奈子=室井) の現在と、彼らの運命を反復する若い男女(透=本多章一、有紀=江口のりこ)の物語を並列的に綴った変化球の続編である。 旧作から23年の時が経ったいま、内藤は子殺しの罪を最後まで償わなかったあの時の自分(つまり現代の本多)を「殴りたい」と考えている。 対して、室井は若い男女への憐れみにも似た共感を吐露する。彼らの心情に左右されながらいままさに作られゆく映画の現場をフェイク・ ドキュメント風に織り込む手法はスリリングかつユーモラスで、それによって示される内藤の「殴る」ことへの執着 (過去の自分を断罪しようとする意志)に本作の主題あるいは目的が重ね合わされている。内藤、室井、そして長崎は、本作を通じて、 23年間という自分たちが辿ってきた時間におとしまえをつけようとしているのだ。
 つまりこれは青春の終焉を描いた映画であり、 その主題および筆致において日本映画に久々に復活した伝統的ヌーヴェルヴァーグであるといえよう。

 2組のカップルの人生がひと時交錯する場所は、ヌーヴェルヴァーグの、 そして長崎映画の聖地ともいうべき海であり、その出会いは、 現状から脱却しようともがく彼らが逡巡の果てにやがて同じ場所へと回帰していくことを示しているが、それを見据える視線はどこか明るく、 幸福感に満ちてさえいる。この回帰に対する視線の温かさこそ、長崎俊一の映画の根幹につねに息づくものなのだ。

(2006.3.10)

2006/03/13/07:36 | トラックバック (0)
佐野亨 ,今週の一本
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