シネブック・ナウ
( 虫明亜呂無 / 清流出版)
美を語る美

佐野 亨

女の足指と電話機―回想の女優たち (単行本) おそろしいことに、この連載、昨年の8月から全く更新が滞っていた。  映画評論がいよいよもって衰退し、とりあげるべき映画本が見当たらなくなったため……などというのはもちろん真っ赤な嘘で、単に筆者の怠惰な性格ゆえである。
 しかし、その間ずっと「待っていた」一冊があったというのは嘘ではない。
 そして先月、ついにその本、虫明亜呂無の『女の足指と電話機 回想の女優たち』が清流出版より刊行された。

 ディープな本読み(映画オタクではない)なら、近年、清流出版が驚くほどシブい映画本を立て続けに刊行していることはご存知だろう。
 2007年には、花田清輝の映画論を集成した『ものみな映画で終わる』、今年に入ってからは、『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティ・ブック』、『昭和モダニズムを牽引した男 菊池寛の文芸・演劇・映画エッセイ集』が刊行された。
 花田清輝や武田泰淳、菊池寛がいまでもそれなりに熱心な読者を獲得しているのに比べ、虫明亜呂無はあまりにも忘れられた存在である。
 10年以上前に、スポーツライターの玉木正之の編纂で三冊のエッセイ選集が筑摩書房から刊行されたが、これもすでに絶版となっている(そののち、ちくま文庫に入ったが、やはり時をまたずして絶版、入手困難となった)。
 虫明亜呂無という文筆家は、一般にはスポーツエッセイ、スポーツ評論の第一人者として知られていると思うが、1960年代には、すぐれて実践的な映画雑誌「映画評論」の編集部に籍をおき、批評からルポルタージュまで、映画に関する文章を数多くものしていた。
ものみな映画で終わるタデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティ・ブック そのころの虫明氏の横顔は、同時期の「映画評論」編集部に出入りしていた脚本家・山崎忠昭の遺稿集『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版)に収められたエッセイで活写されている。この『日活アクション無頼帖』、そして前述した三冊を含む、清流出版のシブい映画本ラインナップは、高崎俊夫という一人の編集者の手になるものだ。
 玉木氏による三冊が、虫明氏のスポーツものを中心としたエッセイ集であるのに対し、この本は、自身も映画評論家として活動する高崎氏らしく、映画を中心に、文学、演劇、音楽などに関する文章がまとめられている。しかも、70年代後半に「スポーツ・ニッポン」で連載されていたカルチャー・コラム「うぇんずでい・らぶ」、「競馬ニホン」や雑誌「みんおん」に掲載されたエッセイなど、ほとんどが単行本未収論の文章だというのだから、うれしいではないか。

 虫明亜呂無の文章を特徴づけるものは、まずその美しい日本語(といっても、昨今流行りの「日本語ブーム」のようなインチキな代物ではない、近代日本のすぐれた随筆家の系譜につらなる、真の美文である)だが、なにより読む者を魅了するのは、行間からほのかに香り立つエロティシズムであろう。
 映画を語るときも、スポーツを語るときも、その色気ある文体はかわらない。というより、「肉体性」や「運動」をとおして事物をとらえる虫明氏にとって、両者はおなじ美しさをたたえるものである。
 本書のタイトルにもなったエッセイ「女の足指と電話機」は、六本木の自由劇場で行なわれた三浦洋一のひとり会「ストリッパー物語・惜別編」(つかこうへい作)にまつわるエッセイだ。

<舞台の上に、あおむけに寝た宇津宮雅代が、足指をそっくり三浦洋一にくわえられ、舐められるところがある。男女の愛欲が、ある緊張感を伴って表現される。と、三浦洋一のひもが、女の足をそのまま電話器にして、客引きの注文取りにつかう。ここが、舞台の演劇的ハイライトで、奇妙なセクシュアルな情景がかもしだされ「女」のなまの味が、観客をとらえる。ひもを軽蔑し、しかもひもから離れられない「女」が、かなり明白にクローズ・アップされてくる>

 この数行あと、<ひもは、ひもらしくあらねばならない>と書き出される一文は、まさに虫明文体の真骨頂といえよう。
 「回想の女優たち」というサブタイトルも、本書に収められたエッセイからとられたものだ(もとは単行本『クラナッハの絵』に収められた文章で、この本は数ある虫明氏の著書のなかで、筆者がもっとも好きな一冊である)。その書き出しはつぎのとおり。

昭和モダニズムを牽引した男 菊池寛の文芸・演劇・映画エッセイ集日活アクション無頼帖<美は安定しない。美は不安を誘う。/女優、また、然り。だから、彼女らの美しさは妖しい。翳りがただよう。/戦後の女優が、おしなべてスケールがちいさくなったのは、彼女たちが家庭に安定を求めたからである。/と同時に、彼女たちの美貌も消滅した。その意味では、彼女たちは、女優として、失格者である。だから、庶民の憧れではなくなった。庶民の夢を誘わなくなった>

 こうして、虫明氏が偏愛する戦前の女優たち――及川道子、岡田嘉子、そして、戦中の原節子、戦後台頭してきた宝塚歌劇の娘役出身の女優たちの存在感が、虫明氏ならではの「美文」で語られていく。
 ことにつぎのような文章は、氏のスポーツ評論をあわせて愛読してきたような読者にとって、非常に深い味わいを醸し出す。

<美人女優を使う映画監督も、カメラマンも彼女らを美人にしてやろう、美人に撮ってやろうなどと思って、映画を作っているわけではない。彼らが仕事で考えているのは、つぎのようなことである。/ひとりの女が食事をしている。食べ物を口にする。そのとき、彼女のこめかみの筋肉はどのように動いているか。映画監督の興味はひたすら、そんなことに集中している。その集中度が濃ければ濃いほど、彼女の美しさが映像化される。あるいは、カメラマンはライティングと絞りと、カメラのアングルで、どれほど彼女の腰の線が鮮明にフィルムに感光するかに才能をかたむけている。それが映画をつくる側の映画づくりの歓びであり、また、才能のありったけを絞りだす苦しみになる。この歓びと苦しみが深まれば深まるほど、被写体の女性は美しくスクリーンに映しだされる>

 虫明氏の文章を味読し、まさにそれこそが映画の魅力なのだ、と頷きながら、しかし、いまどれだけの映画人が映画のもつ「肉体性」を自覚的にフィルムに定着させようとしているか、そうした要求に応えうる女優がはたして何人いるのか、などと筆者は考えてしまう。

(2009.4.21)

女の足指と電話機―回想の女優たち (単行本) 女の足指と電話機―回想の女優たち
2009/04/22/18:16 | トラックバック (0)
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