特別篇「映画本編集者に訊く・高崎俊夫」
取材/文:佐野 亨
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』編集部を経て、フリーの編集者に。『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティ・ブック』『昭和モダニズムを牽引した男 菊池寛の文芸・演劇・映画エッセイ集』『女の足指と電話機―回想の女優たち』『仮面の女と愛の輪廻』『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』『映画は遊んでくれる』(以上、清流出版)、『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版)、『ロバート・アルトマン―わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)などを手がける。
昨年、一部の本好きのあいだで話題となった虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機』。先頃、その予想外の反響を受けて、第2弾『仮面の女と愛の輪廻』が刊行された。これまでにも花田清輝や武田泰淳の映画論集を手がけてきた編集者の高崎俊夫さんに、映画本の魅力についてお話をうかがった。
シブい映画本
――清流出版で映画本を編集するようになったきっかけは?
高崎 社長の加登屋陽一さんが中条省平さんの本をつくりたいというので、面識があった僕が手がけることになりました。中条さんは同世代ですが、ジャズ、文学、映画も漫画も好きという彼の趣味性を生かそうと思い、1970年代に晶文社から出ていた『ワンダー植草・甚一ランド』を意識した『中条省平の秘かな愉しみ』『中条省平は二度死ぬ!』という二冊のバラエティ・ブックを編集しました。
その後、松本俊夫の『映像の発見』を清流出版で復刻し、松本さんが最も尊敬している花田清輝の映画論集を企画したら、またしてもOKが出た。その頃、特に『王になろうとした男 ジョン・ヒューストン』というめっぽう面白い自伝が、結構いろんなところに書評が出まして、清流出版のバリューも上がってきたんです。それからはかなり企画が通りやすくなりました。
――こういうシブめの本は、営業戦略的にも出すのが難しくなってきていると思うのですが……。
高崎 それはそうです。ただ、一気にバカ売れはしないけれど、神保町の東京堂書店みたいなうるさ型の本好きが集まる書店の売れ筋ランキングに長く居座る(笑)。そういう方向性でやっていくのが理想かな、と。
――昨年は虫明亜呂無の本を二冊編集されたわけですが、高崎さんはリアルタイムで虫明さんの文章を読まれていた世代ですね。
高崎 そうです。僕が初めて読んだ虫明さんの文章は、『話の特集』で連載されていたスポーツ小説。のちに『ロマンチック街道』として単行本にまとめられましたけど。私よりも少し下の世代の坪内祐三さんなんかは「話の特集はつまらない」と言うけれど、少なくとも1970年前後の『話の特集』は、とてつもなくスリリングな雑誌でした。だれかが書いていましたが、晶文社の編集者も「虫明さんはいずれやりたかった」と言っていたそうですね。
――サブカルチャーという言葉がいまみたいに平板なものになるまえ、それこそ晶文社に体現されるバラエティ豊かな活字文化が生きていた時代ですね。
高崎 僕らの世代にとって、当時、植草さんが書いていたジャズ、映画、ミステリというのは基礎教養だったわけです。そのほかに小林信彦さんや山田宏一さんといった刺激的な書き手がいて、一方では当時、吉本隆明に罵倒されていた花田清輝なんかも愛読していました。そうして出会った書き手の一人が虫明さんであった、と。いろんなところで読んでいくうちに、虫明亜呂無は昔、「映画評論」にいたらしい、ということを知って、古本屋でチェックする。リアルタイムでも、70年代の終わりに『スポニチ』で「うえんずでい・らぶ」というコラムを連載していて、僕はこれが大好きでスクラップしていたんですよ。
――それが今回の二冊に収録されているわけですね。
高崎 ええ。僕が『月刊イメージフォーラム』の編集部に入ったのは、80年代前半。ちょうど虫明さんが倒れられた頃で、たしかに雑誌でも名前を見かけなくなった。僕も原稿依頼をしたいなあ、と思いつつ、なかなかふさわしいテーマが思いつかなかったんです。そうして91年に虫明さんは亡くなってしまい、玉木正之さんが編集した3冊のエッセイ集が筑摩書房から刊行されました。ただ、僕には正直、物足りない気持ちもあった。スポーツ評論、スポーツエッセイの分野でたしかに虫明さんは一流だったけれど、それだけじゃない。映画や音楽、女性論などあらゆる分野で傑出した仕事をした人だし、「うえんずでい・らぶ」をはじめ単行本になっていない文章がたくさんある。自分が編集するなら、というのをどこかで考えていたのかもしれません。
人間をとらえる眼
――前著は短めのエッセイが中心でしたが、今回の『仮面の女と愛の輪廻』には、わりと長い文章も収録されていますね。
高崎 前の本で再発見は済んだから、今度は虫明さんの文章世界にどっぷり浸かってもらおう、と。密度という意味では、今回の本のほうが濃くなっていると思います。
――伊丹十三や円谷幸吉のポルトレ(人物スケッチ)も印象的でした。
高崎 中条省平さんが産經新聞のコラムで指摘してくれましたが、三島、伊丹、円谷というこの三人は、全員自殺しているんです。僕は伊丹さんとは、『お葬式』の製作ノートを『月刊イメージフォーラム』に掲載したこともあり、一時、交流があったんですが、いま思えばどこか<映画>との関係では無理をしていたような気がする。先頃、亡くなった加藤和彦なんかにも似た印象を抱くのですが、時代を劃したダンディ、というのは、どこか晩年が苦しいところがありますよね。僕が編集した今野勉さんの『テレビの青春』の最後に、「伊丹十三は、テレビの仕事を続けていれば死ななかったのではないか」という一節が出てくるんだけど、僕はあれ、正しいと思うんです。たぶん、伊丹さんにとっての不幸は、蓮實重彦さんに出会ったことだったんじゃないかな。
――ははあ、なるほど。
高崎 このあいだ、万田邦敏さんの本(『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』)が出ましたが、あれに収録されている「蓮實重彦現象」という文章は、僕が依頼して書いてもらったんです。当時の蓮實さんのカリスマ性は物凄くて、彼の言葉を金科玉条として奉る、万田さん言うところの「ハスミ虫」がたくさんいました。
蓮實さんに伊丹さんを紹介したのは、その頃『話の特集』にいた鈴木隆さんという人で、山田宏一さんの『友よ、映画よ』や蓮實さんの『シネマの煽動装置』の連載を手がけた名編集者ですが、彼がセッティングして二人を会わせたんですよ。当時の『話の特集』にその対談が載っていて、伊丹さんは、最近、観た映画を蓮實さんに報告するのですが、それはまるで小学生が夏休みの宿題を先生に見せているような微笑ましい光景でした。それこそ「元祖ハスミ虫」というくらい蓮實さんに傾倒していたんですね。『お葬式』のときの僕のインタビューでも「この窓のシーンはマルコ・ベロッキオに捧げてるんです」とか言うわけです。でも、あの頃、ベロッキオの映画は一本も日本に入ってきてなくて、伊丹さんも観ていないんですよ(笑)。
ただ、蓮實さんの批評だけ読んで心酔しているうちはよかったんだけど、伊丹さんは自身、映画を撮る側にまわってしまった。そして、『お葬式』の初号試写で、蓮實さんは「最低です」ってはっきり言ってしまう。一番、誉めてほしい人から、それを言われるのは残酷な光景ですよね。しかも、映画は空前の大ヒットだったでしょう。だから、なおさら彼としては分裂してしまったんじゃないかな。虫明さんの文章を読んでいると、そういう伊丹さんの繊細な傷つきやすい自意識を、当時すでに見抜いていたように感じます。
――虫明さん本人のポルトレともいうべき敏子夫人の文章がまた素晴らしいですね。
高崎 編集がすべて終わって、校了間際、一年ぶりに敏子さんにお会いして、雑談していたら、突然メモを渡されましてね。「こんなものを書いたんですが」と。大変な感銘を受けて、これはエッセイを一本とばしてでも入れなきゃいけないな、と思ったんです。
――「パンツさん」というあだ名が可笑しい(笑)。
高崎 虫明さんのダンディなイメージを相対化してしまう、みごとな「女房的肉眼」で書かれた文章ですね。
無駄の蓄積
――虫明さんの文章を読んでいて感じるのは、一つのテーマに関する文章でも、それだけを語るということをしないですよね。先日こんなことがあった、とか、これに似たこんなものがある、とか必ず脇道に逸れる。
高崎 文章が迂回し、周遊しているんですね。それがエロティシズムにつながる。いまの多くの書き手は、いきなり中身だけを書こうとするでしょ。脇道もじつはエッセンスなのにね。かといって、あれも知っている、これも知っている、という知識を誇示したり、奇を衒った感じはまったくない。自分の視角に入ってきたものをしっかり言葉にする。そういう文章はいま本当に少なくなっていますね。
このあいだ、芥川賞作家の堀江敏幸さんが毎日新聞で絶賛の書評を書いてくれましたが、彼なんかちょっと虫明さんに似たところがある。どこかで影響を受けているんじゃないかな。でも、彼などは稀な例外で、いまや、お勉強の成果みたいな、知識をふりまくような文章ばかりが跋扈しているでしょう。僕はそういう文章は生理的に駄目ですね。ハイハイ、よく知ってるね、というだけで。本当にくだらないと思う。これだけ情報があふれていれば、一夜漬けで書けちゃうし、知ったかぶりも簡単だけど、そんなのはすぐバケの皮が剥がれますよ。映画というものはもともと無駄なものなんだから、書き手もそうとう無駄な時間を蕩尽した痕跡が文章にあらわれなければ駄目なんです。無駄の蓄積があって、初めて文章に色気がただよう。
――情報が氾濫し、これまで観られなかった映画が観られるようになったことで、間違いを許さないような風潮も強まっていますね。
高崎 清流出版で『オペラとシネマの誘惑』という三谷礼二さんの遺稿集をつくりましたが、蓮實さんの学習院の先輩で映画の師匠だった三谷さんは「記憶違いのある名作こそが本当の名作だ」という至言を残しているんです。まさしくそのとおりで、あとからビデオでチェックしたら間違っていたとか、そんなことどうでもいいんですよ。映画というものは科学じゃないんだから、自分のなかで勝手に妄想したものであってかまわない。大学の先生がビデオで講義をして、重要なシーンでビデオを止めたりしてね。死体解剖じゃないんだから、そんなふうに映画を分析してもなんの意味もないですよ。そんな先生に教わっても、映画の楽しさなんかわかりっこない。映画は妄想だし、映画館はもともと<悪場所>なんだから。僕はアカデミックに映画を語ることに興味はないし、根本的に間違っていると思う。映画の危うさ、アブノーマルなものを匂わせてくれる文章が僕は好きだし、編集者として、そういう書き手をこそ紹介していきたいですね。 それから面白い文章を書く人は、どこか歪んでいるし、偏っている。たとえば、双葉十三郎さんは膨大な知識があるし、文章も達者で、バランスがいいけれど、僕なんかは<健康>過ぎて、あまり面白いとは思わない。やっぱり淀川さんみたいに歪みがないと駄目なんですよ。
淀川長治、植草甚一、草森紳一
――「キネマ旬報」に書かれた淀川さんの回想は興味深く読みました。「映画の伝道師」ではない、それこそ淀川さんの「歪み」の部分が垣間見えて。
高崎 僕はお会いするタイミングがよかったんですよ。80年代の頭にフィルムセンターで、伝説的なジョン・フォード特集があって、淀川さんと蓮實さんが初めて顔を合わせたところを僕は目撃していますから。淀川さんがそろそろ自分の美意識を露わにし始めた頃なんですよ。こりゃもう一押しだな、と思って、ウィル・ロジャース論を依頼したんです。彼は最初、しゃべって終わりだと思っていたんだけど、枚数無制限で書いてくれと頼んだら、狂喜されましてね。徹夜で原稿をあげてきた。僕も一読して、感動しましたよ。彼がその当時書いていた啓蒙的な文章とはまったく違う、迫力のある文章でしたから。じゃあ、というので今度はロバート・アルトマンの『三人の女』についての長文評をお願いしたんですが、これも凄い原稿でね。やっぱり特異な感覚を持ったアブノーマルな人なんですよ。もともと編集者だから、媒体への書き分けを心得ていて、『イメージフォーラム』ならマイナーだからいいか、と書いてくれたのかもしれませんが……。そのうち『マリ・クレール』で蓮實さん、山田宏一さんとの鼎談が始まって、これで全面展開ですよね。あれがなかったら、淀川さんはヒューマンで伝道師的な人として終わっていたかもしれない。
――それこそ、先ほど言われたような蓄積の成果ですよね。
高崎 そうそう。植草甚一さんにしたって、実家の商家を潰してしまうほど、蕩尽を重ね、膨大な本を買い、映画を観てきたわけでしょう。元手がかかっているんです。
――植草さんなんか、まさに「無駄」ですよね。膨大な蔵書も、彼が亡くなってしまったら、途端に散在してしまった。植草甚一の手元になければ意味をなさないものだから……。
高崎 植草さんの場合は、ジャズのレコードはたしかタモリが全部買い取ったんじゃなかったかな。植草さんの奥さんは本が大嫌いで、「見たくもない」というので(笑)、本は全部、二束三文で古本屋に売り払ったらしい。それはでも僕、正しいと思う。古本屋の棚に並んで、まただれかが買っていく。そこから新しい本の世界がつくられればいいのであってね。
――このあいだ草森紳一さんの蔵書が収蔵されましたが、あれは非常に稀なケースですよね。
高崎 草森さんはもともと映画好きだったけれど、映画に関する文章はあまり残していないんじゃないかな。『軍艦と草原』だったか、三國連太郎についてのエッセイが収録されていて、あれなんか面白かった。映画マニアとは違う、独特の観察眼があってね。僕は90年代頭にビデオ雑誌を編集していて、そのとき一回だけ、草森さんに書いてもらったんですよ。南北戦争を描いた『グローリー』について。初対面でなぜか近所の居酒屋に行くことになって、ジャズやミステリについて話していたら、「あんた、ちょっと高平(哲郎)に似てるね」と言われたことを憶えています(笑)。
編集者、アンソロジストとして
――高崎さんの編集された本を読んでいると、アンソロジスト的才覚というのも重要な文学的才能であるということがあらためてわかります。編集されるうえで特に気を配っていることはありますか?
高崎 その点は、長年の勘としか言いようがないですね。エッセイや評論というのは、最初に単行本になったときに、収録されている順番で憶えているものでしょう。その形が一つの作品なんですよ。それをバラして、違うものをつくっていくという作業は、やりがいはあるけれど、同時にとても恐ろしい。思い入れのある読者の目はきびしいですから。武田泰淳の『タデ食う虫と作家の眼』や上野昂志さんの『紙上で夢見る―現代大衆小説論』は、ベースになった本の構成を踏襲しているので、そういう意味ではやりやすかったですね。
――ラピュタ阿佐ヶ谷などの上映企画も担当されていますね。
高崎 いい映画はできるだけスクリーンで観てほしいですからね。田中登や荒木一郎の特集をラピュタでやって、荒木さんのときはかなり大きな反響をいただきました。最近では、瀬川昌治さんの本を出したときに、やはりラピュタで特集を組んでもらった。本当は、このあいだ刊行された『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』にあわせて、徳川夢声特集もやりたかったんですよ。でも、ちょっとタイミングがずれちゃったなあ。
――徳川夢声の本につづいて、芝山幹郎さんの新刊『映画は遊んでくれる』も刊行されましたね。
高崎 芝山さんとは、プレストン・スタージェス映画祭の時に、パンフレットで中野翠さんとの対談をお願いして以来の付き合いですが、このご時世ですから、なかなか映画論集がまとまらない。そこで清流出版に話を持っていったらOKが出たので、かつて出た『映画は待ってくれる』と対になるような形で一冊出そう、と。芝山さんの本は白っぽい装丁が多いでしょう。彼の好みらしいんだけど、今回はそれに逆らい、あえて黒にしてみたんです。『イースタン・プロミス』の写真を使って。たしか『キネマ旬報』の滝本誠さんと宇田川幸洋さんの対談で、ヴィゴ・モーテンセンの表紙で全国二千人の腐女子は絶対買う、と言っていたのを思い出してね(笑)。フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』とか『二十四の瞳』とか『オーソン・ウェルズのオセロ』とか、意外な古典映画についての文章も収録したんですが、そこにまた芝山さんなりの視点の面白さが出ているんじゃないかと思います。
――今後はどのようなラインナップが控えていますか?
高崎 いま手がけているのは、巌谷國士さんの映画論集です。70年代末に刊行された『映画の一季節』をベースに、その倍くらいの原稿を増補した本になると思います。
できれば虫明さんの本ももう一冊出したいですね。『仮面の女と愛の輪廻』でも少し触れていますが、単行本になっていない小説がまだ結構あるので、今度は小説集をつくりたい。
ほかには、イギリスの伝説的な撮影所「イーリング・スタジオ」に関する本も企画しています。日本には『マダムと泥棒』くらいしか入ってきていませんが、マイケル・バルコンというプロデューサーが1930年代から50年代にかけて、このスタジオで数多くのコメディ映画を撮っている。いわゆるイーリング・コメディですね。そのイーリング・スタジオの歴史を綴った本を、宮本高晴さんの翻訳で進めているところです。
( 2009.12.25 銀座にて )
取材/文:佐野 亨
主なキャスト / スタッフ
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