孫文
―100年先を見た男―
愛しているから、別離を選んだ
2009年9月5日(土)より、
シネマート新宿、横浜シネマリンほか全国にてロードショー
革命を己の務めとした男を描く
孫中山―――彼は、広く知られる偉人の一人だ。彼の反逆の精神は、当時の中国統治者への転覆だけではなく、人生の懊悩そのものを体現している。本作では、新しい角度から彼の生き方、理想、処世術、人生に対する態度に光を当てた。これは“全く新しい” 孫中山のイメージだ。彼は自分の弁舌だけで反逆を行い、死の恐怖さえ厭わなかった。彼は人の精神的境地の最高点まで到達し、それを見破りさえした。この類まれなる男は、金の如く閃く思想を持っていた。彼の知恵と慧眼は、現在、そして未来においても決して磨耗することが無い。
一人の偉大な女性の姿を描く
チェン・ツイフェン―――彼女は孫文の傍に鮮やかに存在した一人の女性だ。彼女に関する歴史的記述は少ない。彼女は1892年19歳の時に孫文と知り合い、その後1912年までずっと彼の傍に付き従った。 苦しい孫文への追随は、果たして革命のためだったのか、愛情のためだったのか……それは彼女自身区別することの出来ない感情だったろう。けれど彼女はこれだけは知っていた。革命なくして孫文はなく、孫文を愛することは、すなわち革命を愛することだった。つまり、孫文の革命は彼女の革命で、孫文の苦しみも又彼女の苦しみだった。チェン・ツイフェンは孫文に従った20年間、何の名誉も利益も求めなかった。彼女は穏やかな包容力を以って、私たちに何が本当に偉大なのかを示してくれている。
中国史以来、もっとも成功した融資を描く
孫中山は自分の弁舌だけで、海外華僑を説得し動かした。華僑の企業家たちは、彼の事業のため、再三に亘り投資、融資、献金を行った。自らの財産が傾いてしまうことすら惜しまずに・・・。 彼の魅力と弁舌の才能に、誰が匹敵するだろうか?
1910年、孫中山(孫文)は9回目の武装決起に失敗し、国外に逃亡していた。清朝政府は七十万両(註:一両は約50グラム)の白銀を懸賞金にして、彼の命を狙う。やむなく孫中山は革命地盤の日本を脱出し、マレーシア・ペナンで革命資金の調達を続けようとする。
チェン・ツイフェン……彼女は、孫中山の少年時代から今に至るまで、常に彼に付き従っている。
孫中山の命の安全のため、彼等はペナン最大の華人秘密結社・徐(シュ)ファミリーに匿われることになる。しかし、徐ファミリーの元締めの娘ダンロンの恋人ルゥオ・ジャオリンは、孫中山暗殺の密命を受けた清国の密偵だった……。
2009年9月5日(土)より、
シネマート新宿、横浜シネマリンほか全国にてロードショー
ウィンストン・チャオ3度目の孫文を演じる
本作で、ウィンストン・チャオは再び孫文を演じることになった。彼が“国父”を演じるのは、これが3度目となる。最初ウィンストンは、以前の焼き直しになってしまうのではないかと危ぶみ、出演を渋ったと言う。けれど脚本を読み終わると、彼は即座に出演を快諾した。
「この孫文は特別だ。生活感があり、人間的だ」
ウィンストンは、この全く新しい可愛げのある、親しみやすく、近づきやすい孫文像に喜んで挑戦した。そして、以前に演じた同じ人物を演じるからといって、彼は決して妥協しなかった。わざわざ本土(中国)の中央電視台に赴き、台詞の先生を請い、伝統的な台詞回し、発音、リズムを徹底的に学び、台湾訛りを克服した。(註:ウィンストン・チャオは台湾出身)
撮影現場でも、暇さえあれば台詞の練習をし、他人の台詞まですらすらと諳んじているほどだった。共演したウー・ユエが、「ウィンストンは本当にプロ意識のある素晴らしい役者」と彼を讃えるのも、不思議ではない。
ウー・ユエ 寛容を体得する
本作で孫文の革命上の伴侶チェン・ツイフェンを演じたウー・ユエは語る。
「撮影前、私はこの人のことをあまりよく知りませんでした。けれど資料を読んでゆくうちに、彼女はとても偉大な女性であることが分かりました。18年間、黙々と孫文に付き従い、何の見返りも求めず、孫文が総統になると、黙って彼の傍を離れたのです。私は何が本当の愛情で、何が本当の寛容なのかを身に染みて分かった気がします」
歴史的資料では、チェン・ツイフェンは学のない女性と記載されている。けれどウー・ユエは、知識と素養には二種類の概念があると考えている。
「知識はあってもそれが行動に表れない人や、素養は極々普通な人もいます。逆に学がなくても、教養がにじみ出ている人もいます」
彼女は、ツイフェンこそ、その後者だと確信している。
チェン・ツイフェンを演じている間、ウー・ユエは何度も「魂が身体に張り付いている」感覚を味わい、非常に役に投入できたと言う。ツイフェンの感情に対峙する態度は、彼女の恋愛観にまで影響を与えた。
「現代人は、益々つらさを受け入れることが出来なくなってきています。恋愛にせよ結婚にせよ、他人のために自分を捨てることが出来ないのです。私は、もしそれが本当に価値のあることだと信じることが出来たら、寛容の心を以ってそのことを処理する努力をしてゆきたいと思っています」
バックグラウンドについて
本作で描いた1910年7月から12月までは、孫文がペナンに滞在していた時期だ。この時期は孫文本人だけでなく、彼が指揮していた革命そのものが最も低潮で難しい局面を迎えていた。又、これは孫文の活動の歴史的記載が最も少ない段階だ。けれど逆境にあったこの時こそ、孫文は最も讃えられるべきではないかと我々は考えた。
同盟会が決起を起していたこの期間は、中国全土が非常に不穏な時代だった。下記に、関係する歴史的資料を挙げておく。
- 1908年12月2日、溥儀即位、西太后崩御
- 清朝政府、孫文のベトナム、香港、日本への入国を禁じる。革命活動の地盤を失った孫文は、やむなく国内革命の活動を同盟会の黄興、陸皓東、陳少白らに託し、自らは欧米、南洋への逃亡生活を開始する。
- 1910年正月、香港の同盟会南方支部が計画した広州新軍決起が失敗に終わる。これは孫文が指揮する第9回革命武装決起だった。
- 孫文の歴戦歴敗が同盟会内部に激しい矛盾を引き起こし、汪清衛を首謀とする過激分子が「中央革命」を主張し、暗殺を掲げ人心を奮い立たせる。汪は、1910年3月北京で摂政の王裁○(サンズイに豊)を刺殺するが、これも又失敗に終わる。
- 第9回決起は失敗に終わったが、広州新軍にはまだ革命の力が残っていた。孫文と黄興は書簡の往来で第10回の決起を計画する。1910年6月、横浜で乗船した黄興は船上で孫文と決起についての打ち合わせを行うが、船が着岸した時、孫文が日本警察に見つかってしまう。国外退去を命じられた孫文は、6月25日に日本を離れ、7月11日にシンガポールに渡り、7月19日にペナンへ到着する。
- 孫文はペナンで南方支部決起のための資金調達を開始する。しかしペナンの華僑たちは失敗続きの孫文の革命を信じることが出来ず、献金は少なくなるばかりだった。
- 孫文が人格的な疑惑を受け、革命党内部の争いが白熱化する。1909年8月、章太炎等が「孫文の罪行」という文書を散布し、彼の革命資金の着服を指摘し、総理職を罷免するよう要求した。併せて、1910年2月、東京に分裂同盟会が設立され、皇帝擁護派の孫文攻撃に勝るとも劣らない、孫文への誹謗が続けられた。
- 孫文と皇帝擁護派の争いも絶えることはなく、特に仲間割れ等で同盟会の革命活動が瀕死に喘いでいた時、皇帝擁護派の孫文攻撃は熾烈を極めた。彼等は思想論争だけでなく、欺瞞や密告の方法で孫文の革命活動を徹底的に破壊しようと策謀した。
- チェン・ツイフェンは孫文の革命の伴侶として、孫文革命活動の歴史的記載に度々登場する。彼女は革命党の人たちがピストルや弾薬を運ぶのを助けたり、彼等のために洗濯をしたり食事を作ったりして、孫文の人生の中で最も辛く失意の時期を寄り添い支えた。
- 1910年12月6日、孫文にペナン政府から出国命令が出る。彼はペナンを離れ、欧州へと向かう。
過ぎ去りし往事を描く
100年前の南洋は、中国の伝統的教育と西洋の植民地文化が溶け合っていた。当時のペナンの華僑たちが身に纏っていた雰囲気は、人を魅了する。彼等は一方では中国の伝統的教育の薫陶を受け、“度”を以って人と付き合った。この“度”が中国人たちの物言いと振る舞いを遠慮がちにし、親しい仲にも距離を、疎遠の仲にも親密さを漂わせた。彼等は多くの言葉を用いずとも、精神的に相通じることが出来た。又一方では西洋文化の影響の下、中国人は直接的な率直さも身につけていった。それは特に若い世代に顕著だった。このような時期と地域で、人々は自重し、人と人との関係は曖昧に、所謂中国人が言うところの「君子の交わり」が生まれていた。微妙な立場での目配せと微笑・・・。南洋のエキゾチックな舞台を背景に、こうした中国文化が一つの昇華点に到達している。
一世紀前のペナンは、あらゆる人種が交錯し、東洋の文化が混在していた。人々が醸し出す虚虚実実の態度はそうした中で琢磨され続けた。それは、最早遥か夢幻の中の国家だ。けれど我々はそのノスタルジックできらびやかな影を想像し描き出すことが出来る。一切が真実と言うわけではない。けれどフィクションと現実の距離が、却って“往事”の独特の雰囲気を作り出している。
中国の民族精神を描く
中華文化は数千年の歴史を経てきている。だが現在の豊かで物質的生活の中で、それは薄れてきてしまっている。私たちが他の民族の団結と求心力に感嘆するとき、そう遠くない昔に、我々の民族精神が中国人の団結と邁進を鼓舞してきた事実を思い起こすべきだ。
以前若者を対象に「最も尊敬する中国人」のアンケートを行ったとき、孫文の名がトップに掲げられた。これは現代人の最も直接的な心の声の表れだ。中国人の心の奥底で決して消えることの無い民族精神の呼び声だ――つまり、孫文とは、まさに中国の文化精神と、民族精神の体現なのだ。彼の闊達とした処世術、決して利口ぶらない深遠さ、理想を実現させるまでの不屈の精神、困難に対する落ち着き……これらのことが彼を中国の歴史上、最も魅力的な人物とせしめた。そして、彼の人格的な魅力は、人生最大の失意喪失の時期にこそ、最もきらめいたのだ。彼の民族覚醒意識と、当時の華僑の中にあった捨てきれない中国文化の精神が、ここにぶつかり融合し、民族団結の精神の火花を生み出した。この精神は今も昔も我々の励みであることに間違いはない。
監督:デレク・チウ 撮影:チェン・チーイン プロデューサー:リン・シーピン,ワン・ジェンチョン
出演:ウィンストン・チャオ,アンジェリカ・リー,ウー・ユエ,チャオ・チョン,ワン・ジエンチョン
2006年/中国/カラー/2時間7分/ヴィスタサイズ/ドルビーSR/原題:夜・明
提供:バンダイビジュアル 配給会社:角川映画 (C)深圳電影製片廠
http://www.sonbun.jp/
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