話題作チェック
( 2009 / 日本 / 大森寿美男 )
原作よりもフォーカスされた、「信じる」ことの素晴らしさ

富田 優子

『風が強く吹いている』1(結末のネタバレあり!)
箱根駅伝と言えば、お正月の風物詩である。かくいう筆者は自他ともに認める箱根駅伝の大ファンだ。筆者の年末年始は箱根駅伝を中心に回っていると言っても過言ではない。母校が箱根の常連校ということもあって、どうしても応援に力が入るのだけど、各校の戦力分析から選手のエントリー状況などを年末につぶさにチェックし、明けて正月2~3日のレース当日の朝7時には起き、8時スタートに備えてテレビの前に鎮座し、レース展開を息を殺して見つめている。
そんな筆者の様子を知っている友人には「1日6時間近くよくずっと見てられるよねー。しかも正月から2日連続で」と半ば感心、半ば呆れられている。外国人の知人からも「ただ走っているスポーツをそんなに長時間も熱心に見ていられるなんて、自分の母国では考えられない」と驚きと賞賛(?)の目で見られている。

そう、駅伝とは基本的にはただ走るだけのスポーツだ。「走る」ことは最も原始的なスポーツだろう。極論から言えば、自分の身一つさえあればできることだからだ。だが駅伝は1人で走るマラソンとは違い、自分の区間を完走した先には次の区間を走る仲間が待っていて、襷を繋いでチームとしてゴールを目指すという、個人競技と団体競技がミックスされたスポーツと言える。その「襷を繋ぐ」という行為が心を打ち、多くの人に感動を与えるのだろう。筆者も箱根駅伝をこよなく愛する理由を上手く説明できないのだけど、シンプルなスポーツだからこそ、選手の思いがよく伝わりやすいと思うし、それで見ていて泣きそうになることもある。しかも「襷を繋ぐ」という行為は、自分のためだけではなく仲間のためでもあり、その分感動もひとしおなのだ。

大学対抗の駅伝は箱根の他に、出雲、全日本という全国の大学を対象にした大会もあるが、抜群の知名度を誇るのは、やはり箱根だ。東京・大手町と箱根の芦ノ湖を2日間かけて往復するという規模や箱根の山登りに象徴されるようなコースの難度に関しても、他のレースとでは意味合いが違う。
『風が強く吹いている』2本作は、そんな大学陸上界の華、箱根駅伝を目指す10人の若者の姿を描いている。それも、箱根常連校の陸上部員の話ではない。箱根駅伝に出場したことがない、というより陸上部の存在自体が知られていなかった寛政大学の、しかも10人のうち、4年生のハイジ(小出恵介)と1年生のカケル(林遣都)以外の8人は陸上経験ゼロ、しかもそのなかにはタバコ大好きのニコチャン(川村陽介)や漫画オタクの王子(中村優一)、司法試験に合格した法学部のユキ(森廉)など、陸上のイメージとはかけ離れたようなメンバーもいるくらいだ。そんな寄せ集めの若者の、端から見れば無謀とも思える挑戦。何しろ、シード校以外の大学は予選会を突破しなければお正月の本戦には出場できない。その予選会もシードを落とした常連校がしのぎを削るので、かなりハイレベルな争いになるのだ。とても遊びやきまぐれで目指せるような代物ではない。

原作は三浦しをんさんの同名小説。筆者は原作が大好きで、何度読み返しても自然にじわ~んと涙が出てしまう。ハイジとカケルを中心にした若者達の箱根駅伝への挑戦を軸に、様々な葛藤を経て限界に挑戦し、自分自身を見つめ直していく姿が、三浦さんのけれんみのない文章を通してストレートに心に届く。それと同時に、よくぞまあ徹底して箱根駅伝のことをリサーチしているな~と感心しきり。ストーリーのなかで箱根のコースをきめ細かく解説していて、箱根駅伝入門書にしてもいいんじゃないかと思うほどだ。

ただ、本作は小説とはいくつかの変更点はあり、原作ファンとしては残念ながらまったく不満がないわけではない。ハイジが「箱根駅伝を目指そう!」と面々に宣言したとき、陸上とは無縁の生活を送ってきた彼らにとって、それはまさに驚天動地であり、やがてそれぞれが結果的に箱根を目指すことを決意するまでの苦悩する(?)過程は、小説よりもあっさり描かれていて、いささか拍子抜け。もちろん映画は限られた時間のなかでストーリーを展開しなくてはいけないから、どうしても省略せざるを得ない場面は出てしまうのは仕方がないと納得はしているのだけど。
『風が強く吹いている』3また、カケルは高校時代には天才ランナーとして名を馳せたが、彼が起こした事件をきっかけにして、所属していた高校の陸上部は活動停止に追い込まれてしまった。そのことについて恨みを抱く高校時代のチームメイトの榊(五十嵐隼士)。彼は箱根常連校である東京体育大学に入学し、ことあるごとにカケルや寛政大のメンバーに突っかかってくるが、最後の最後、箱根駅伝のレース直前になって、カケルに理解を示し「いい人」に変貌してしまうのもやや違和感があった(原作では最後の最後までひねくれていたのに……)。
それから、個人的には原作で好きなキャラクターである、寛政大のメンバーに好意的な新聞記者・布田や雑誌記者・佐貫の登場がなかったのも少し残念だったし、10人の住む竹青荘の大家(津川雅彦)の飄々としたキャラクターもあまり生かされていないような印象だった。

しかし、それらは全体からすれば些細なこと。最も変更した点はクライマックスのシーンだ。小説のクライマックスは箱根駅伝の本戦でアンカーのハイジがゴールした後に、ライバルの東京体育大のアンカーがゴールして、レースの最終順位が確定した瞬間だが、映画ではハイジがゴールした瞬間がクライマックスに変更され、最終順位の確定については淡々と受け止めている。小説では箱根駅伝出場を目標とし、出場したら優勝!……とまではいかなくても、シード権獲得を目指す。だが、映画ではシード権獲得よりも、レース当日にどんなアクシデントが起ころうとも10人で襷を繋ぎ、とにかく何としてでもチームとして完走することのほうに重きを置いていて、むしろ結果は二の次という描き方になっていた。そのために、原作ではカケルしか察知できなかったハイジの「潔く残酷でうつくしい嘘」が衆目に晒されてしまう。

この変更はいったい何を意図するものなのだろうか。話の筋だけを追えばレースの結果もそれに続くラストも小説と同じだ。でも、クライマックスの持っていき方で、原作とは印象が変わってくる。
アンカー区間の10区(鶴見~大手町)を走るハイジだが、彼は高校時代から足の故障を抱えており、とうとう本番中にその怪我が悪化してしまう。レース前にはハイジはカケルに「足には全く問題はない」と言っていたのに……。ゴール直前、足を引きずりながら苦悶の表情を浮かべるハイジを見て、「ここまでやったんだ。もう充分だ」とユキが飛び出してハイジに駆け寄ろうとしたとき、カケルはユキを押し止める。
『風が強く吹いている』4実際の箱根駅伝でも、特に昨年は常連校3校が選手のアクシデントにより無念の途中棄権をしてしまった。途中棄権は起こってはならないことだが、決して珍しいことではない。監督などのチーム関係者がこれ以上走るのは無理と判断し、その選手に手をかけて走るのを止めさせれば、その時点で失格となり、途中棄権が成立してしまう。だから、ハイジがゴールまであと100mの地点まで辿りついていても、ここでユキが彼を抱きとめようものなら寛政大は途中棄権となり、公式な順位も記録も残されない。

このときカケルがユキを止めたのは、途中棄権の不名誉を恐れたのではなく、ハイジのためだ。ハイジ自身がこれで二度と走れなくなっても、今、この箱根を走るのを望んでいることを、カケルは感じているからだ。ではなぜハイジは完走することを望むのか?自分の無謀な提案によって仲間を箱根駅伝に巻き込み、それでも自分を信じてついてきてくれた仲間のためだ。
ユキがハイジの体を気遣い、止めさせようとする思いも当然分かる。もしここで棄権しても、「棄権は残念だったけれど、たった10人だけで予選会を突破し、本戦も出場できたのだからそれだけでも快挙だよ。良く頑張った」という評価は得られるだろう。だが、ハイジはそんな慰めやおためごかしは欲しくないのだ。仲間との信頼や絆の証を記録として残したい。走っているときは孤独だけど、ゴールには信じ合う仲間が待っている。5区の山登り(小田原~芦ノ湖)では体調不調の神童(橋本淳)に棄権しろと言うことができなかった。だから自分が棄権するわけにもいかない。10区まで必死の思いで襷を繋いできた仲間と、そして自分のために最後まで走ってやる。それがハイジの箱根駅伝に仲間を巻き込んだ責任なのだ。そんなハイジの、足の痛みと闘いながら、よろめきながらでも走り抜くという必死の思いがスクリーンから伝わってきて、まるで本当の箱根駅伝を見ているようで、胸が痛くなる。

原作のとおりに、ハイジが見た目には足の痛みも感じさせずゴールに辿り着き、レースの結果が確定して、10人全員が感情を大爆発させ咆哮するシーンがクライマックスであれば、ハイジの「潔く残酷でうつくしい嘘」を観客に明確に分らせるのは難しかったかもしれない。映画ではあえて、その嘘を大胆に表現することで、ハイジが求めていたものが何だったのかということが、はっきりと浮かびあがってくる。勝利することはもちろん必要だが、それよりも仲間と信じ合うことの大切さのほうを原作よりも、もっとフォーカスしようと、映画の作り手は考えたのではないだろうか。
この世知辛い時代、どうも人を信じるということが簡単にできなくなってしまった感がある。そんななか、ハイジの「きみを信じる」というストレートな言葉が何と心に響くことか。ハイジがカケルをはじめ他の9人を信じ、彼らもハイジを信じる。信じ合うからこそ、ハイジは自分の体を犠牲にしてでも、その証として、それを公式な記録に残すために、走ることを止めなかったのだ。
筆者はこのクライマックスの変更には、不満どころか素晴らしい判断であったと思う。シード権は獲れるのかどうなのか?というハラハラ、ドキドキ感は原作のほうが上だが、ゴールで10人が「信じる」想いを共有したことをより強調した映画には、観ている側にも10人の想いを分かち合わせ、それが訴えかけてくる力があり、胸を熱くする。それは前述した原作との違いに対しての些細な不満などを凌駕するほどのものだ。

『風が強く吹いている』5学生時代の部活などでは、仲間と一緒に何らかの大会を目指して厳しい練習をこなしてきたけれど、歳をとっていくとその頃の熱い想いがどんなものだったのか忘れてしまいがちだ。それに社会人になって日々の生活に追われていると(実業団などで活躍している人は別かもしれないが)、誰かと何かを一緒に挑戦する機会は、ほとんどないことに気づく。学生時代に仲間と同じ目標を掲げて挑戦した時間は何と濃密で、かけがえのない時間だったのだろうか。本作での寛政大の10人の箱根駅伝への挑戦を見て、そんなことを思い出して、懐かしい想いにとらわれる人も多いことだろう。しかもこの10人は完全無欠の人間ではない。全員が何かしらのコンプレックスや心に傷を持っていて、そんな彼らのなかに自分自身と似ているところを見つけてしまう。そうすると自然にその人物に肩入れしたくなり、共感し、応援してしまう。

そんな本作を支えたのが、何といっても小出、林をはじめとする、10人のメンバーを演じた若手俳優陣の好演だ。彼らは陸上のトレーニングを積んで撮影に臨んだだけあって、本当の陸上選手のように見えて、映画に現実味を与えている。特にカケルを演じた林の美しいフォームには鳥肌が立つくらい。また、10人それぞれが原作のキャラクターのイメージを壊さずに演じていて好感が持てるが、そのなかでもひときわイメージとぴったりだったのが、アフリカからの国費留学生ムサを演じたダンテ・カーヴァー。「ムサは黒人だから身体能力は計り知れない」と箱根挑戦の説得をするハイジに対して、「黒人が足は速いというのは偏見です」と静かに丁寧な日本語で反論する様子は、某携帯電話会社のCMに出演している姿とも重なって笑いを誘う。
また、レースを撮影するために延べ3万人のエキストラが動員された。ランナーが駆け抜ける沿道に詰めかけた観衆は、本物の箱根駅伝並みの多さで、しかもきちんと小旗を振り続けていたり、ランナーへの声援を送っていたりしてフェイク感を全く感じさせず、臨場感に溢れている。そういう土台があったからこそ、各区間を走るランナーの様子が引き立っている。ハイジと神童のアクシデントによる苦痛に「頼むから何とか頑張ってくれ!」と祈るような思いでスクリーンを見つめ、カケルのため息が漏れそうなほどの美しい走りに陶酔感を覚えることができた。

箱根駅伝の厳しさを知っている人からは、いくら「仲間を信じる」想いが強くても、それだけで本戦に出場できるほど甘いものではないはずだし、もはやこれはファンタジーだ、という意見も当然あるだろう。確かに、それは一理ある。だが、こんな寒々しい時代だからこそ人との絆をもっと純粋に信じてみたくなるし、限界に挑戦することの素晴らしさに素直に感動したい。そんな想いがぎっしり詰まった、心に響く秀作に仕上がっている。

(2009.10.22)

風が強く吹いている 2009 日本
監督・脚本:大森寿美男 原作:三浦しをん 音楽:千住 明 撮影:佐光 朗(JSC) 美術:小澤秀高
出演:小出恵介,林 遣都,中村優一,川村陽介,橋本淳,森廉,内野謙太,ダンテ・カーヴァー,斉藤慶太,斉藤祥太,和久井映見,高橋ひとみ,近藤芳正,寺脇康文,鈴木京香,水沢エレナ,五十嵐隼士,渡辺大,津川雅彦 (C)2009「風が強く吹いている」製作委員会

10月31日(土)より、全国ロードショー

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2009/10/23/15:39 | トラックバック (4)
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