今週の一本

エリックを探して

( 2009 / イギリス・フランス・イタリア・ベルギー・スペイン / ケン・ローチ )
ケン・ローチらしからぬ、何度でも繰り返し観たくなる、愛すべき映画

富田 優子

『エリックを探して』“You can change your wife, your house, your car, but you can never change your team.(妻や家、車は替えることができる。だが(応援するサッカー)チームは絶対に替えることはできない。)”
スコットランドのサッカークラブ、ダンディー・ユナイテッドの元チェアマン、エディ・トンプソンはこう語ったと言われているが、言い得て妙だ。筆者も大のサッカー好きなので、この気持ちは分からないでもない。私事で恐縮だが、筆者はイングランド・プレミアリーグのチェルシーのファン。PCの壁紙は主将のジョン・テリーで、毎日飽きることなく眺めている。確かによほどのことがない限り、チェルシーファンをやめることはないだろうなぁと思う。将来、仮に夫が替わる(替える?)ことがあったとしても……。
本作『エリックを探して』の主人公、英国マンチェスターの郵便局員エリック(スティーブ・エヴェッツ)は、チェルシーのライバル、マンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)のファンで、90年代半ばのフランス出身のスター選手エリック・カントナを、今でも熱狂的に信奉している。彼の部屋にはカントナのポスターがババーンと貼られ、10代の息子ライアン(ジェラード・キーンズ)とジェス(ステファン・ガンブ)の部屋にも、現在のエースストライカー、ルーニーのタオルマフラーが壁に飾られているなど、マンUグッズが溢れかえっている。エリックは2度の結婚、離婚をしているが、なるほど、それでもマンUファンをやめていない。

だが、エリックはただ暢気にマンUの応援をしているわけではない。最初の別れた妻リリー(ステファニー・ビショップ)のことで悶々としている。彼女とは娘のサム(ルーシー・ジョー・ハドソン)が生まれてすぐに別れた。それから約30年後の今、サムが子育てしながら大学に通っている都合上、孫のデイジーを預かることになったので、リリーと図らずも会う予定になっているのだ。しかし、エリックにはリリーと顔を合わせる勇気が出ない。
また一緒に暮らしている息子ライアンとジェスは、実はエリックの、こちらも別れた2番目の妻の連れ子で、血縁関係はない(しかも映画では特に説明はないが、見た目の肌の色で判断する限り、ライアンとジェスは異父兄弟のようだ)。そんな息子たちとはことごとく反目し、エリックの悩みの種になっている。彼の鬱々とした様子を心配した職場の仲間から激励を受けるのだが、状況は好転しない。そんな時、エリックの目の前に、何と憧れのカントナ(エリック・カントナ/本人)が現れるのだった……!

『エリックを探して』2突然現れたカントナは、エリックだけにしか見えない、いわゆる幻影だ。だが、エリックは恐れるどころか、大興奮。現役時代のカントナの華々しいシュートの数々が脳裏に鮮やかに蘇る。「サンダーランド戦、あのシュートは素晴らしかった。バレエみたいだった。一瞬、自分のクソ人生がどこかに消えていた。FA杯決勝リバプール戦、ベッカムのキックをGKが弾き、胸で受けてシュート、まっすぐゴールへ!ウィンブルドン戦、曲線を描くボールを先回りして回転、風向き、風速を予測し左足インサイドで絶妙にトラップし、完璧なボレーシュート!」高揚したエリックの言葉に合わせて、当時のカントナのシュートが次々に映し出される。もはやカントナのスーパーゴール集の様相を呈していて、観ている側としては、くぅぅぅーーーっ!!と悶絶して、天に両手を突き上げたくなるくらい。まさに血湧き肉躍る思いだ。カントナ引退後に背番号「7」を受け継いだベッカムや、現在もマンUの精神的支柱として活躍しているギグスの姿も確認できるが、彼らの若いこと!サッカーファンにとっては、必見のシーンだ。

それにしても、カントナのポスターに話しかけたら本人が現れるとは、何て羨ましい設定なんだ!筆者もPCのテリーに向かって微笑みかけているのに(というよりニヤけまくっているだけだが……)、いとしのテリーは一向に現れてくれない……。まあ、映画のなかのエリックと現実世界の筆者とを比べても仕方ないのだが、長年憧れていた選手が目の前にいて、自分だけに向かって話しかけてくれたらいいだろうなぁ、と妄想たくましく思ってしまう。そういう意味でも、本作はとても夢のあるストーリーだ。

監督は英国の巨匠ケン・ローチ。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『麦の穂をゆらす風』(06)、『この自由の世界で』(07)など、労働者階級の人々のリアルな生活を見つめ、決してハッピーエンドではなく、胸が締め付けられるような、ほろ苦い結末を突きつけられる映画が多かった。これらの作品が映画として優れているのは分かっているのだけど、夢のある映画とは言い難く、正直なところ、何度でも繰り返し観たい映画だとは思えなかった。
ところが、本作、英国の労働者階級の人々の暮らしを見つめるスタンスは、過去の作品と変わらないが、人生を諦めかけている冴えない初老の男の前に、スーパースター、カントナ(の幻影)が現れるという、いささか現実離れしたファンタジックな物語だ。その点はローチの過去の作品とは、テイストが異なるものとなっている。

『エリックを探して』3とは言え、それが荒唐無稽なものには思えない。それは、カントナが幻影であっても、魔法を使ったり、人智を超えるような能力を発揮したりして、エリックの悩みを解決するような話ではなく、あくまでもカントナが行うのは、エリックに対する助言だけ。それも「髭を剃れ」「勇気を出してリリーに会いに行け」「チャンスはどんな時にでもある」などと、極めてシンプルなものだ。そんな助言は、エリックだけではなく、自分の人生を思うようにコントロールできない自分自身に歯痒さを感じているであろう多くの人の心にも、自然に受け入れられる言葉ばかりだ。そして、エリックが勇気を持って行動に移すことで、我々も彼に共感したり、応援したいと思うような親近感を抱いてしまう。
また、人物描写や社会背景をきっちり押さえているのは、さすがローチ。エリックや職場の仲間のヨレヨレ感は、「こういう人、いるいる」と思うくらいリアルだし、マンUの試合をホームのオールドトラフォードで観たくても、チケット代は高騰し、労働者階級の彼らが試合のチケットを入手するのは、なかなか困難な現実もさらっと描いている。前述のとおりエリックの家族構成が(戸籍上だけではなく、人種的にも)複雑なことや、息子たちは学校に通わず、特にライアンはギャングとつるむ様子も、地に足がついている描写だ。そして、カントナが自分自身を自然体で演じていることも、本作の成功にプラスに働いている(まあ、本人だから当たり前と言われればそうなのだが)。だから、設定はちょっと突拍子もないが、不思議な説得力を持っている映画なのだ。

サッカーの試合は前半・後半それぞれ45分で、さらにロスタイムがつく。エリックの人生をサッカーの試合に例えると、後半20分にさしかかっている頃かもしれない。相手に大量得点を許しているが、技量もないのに個人技で何とか突破を図ろうとするものの、強力な相手DF(=人生の壁)にことごとく跳ね返されて、敗戦ムードが漂い始めるといったところか。
でも、あと25分(+ロスタイム)があれば、1つか2つか3つ(!)ゴールを決めることができるかもしれない。サッカーは最後のホイッスルが鳴るまで決して諦めてはいけない。それまでの失点(=人生における失敗や挫折)は取り戻せないけれど、意地を見せて、少しは挽回することは十分に可能だ。それを始めるのに遅すぎることはない。まさにカントナが言うように「どんな時でもチャンスはある」のだ。
それと肝心なのは、サッカーは1人でするスポーツではないということ。もちろん、1人のスーパースターの個人技で得点できるケースもある。だが、その彼にボールを送る他の選手もいるわけであり、個人の力も大切だけど、それよりも重要なのが、チームとしていかに力を発揮するかだ。カントナが印象深いプレイを語るシーンがある。それは、エリックが覚えているような鮮烈なシュートではなく、味方に出した1本のパスだ(この実写シーンにも興奮させられる)。彼は、信頼できる仲間との連携プレイにこそ、サッカーの価値があると語る。それはきっと人生においても、同じことではないのか?だからこそカントナは言う、「友達を信頼しろ」と。

『エリックを探して』4エリックは職場の仲間がありながら、彼らにこれといった相談もできず、1人で重荷を背負っていた。リリーとの関係も修復されつつあるように思えたある日、息子のライアンがギャングに脅され、とんでもないトラブルに巻き込まれる。もはや自分1人の力では状況を打破できないことを認め、仲間に助けを求めた。
家族を窮地に追い詰めるギャングたちへの逆襲に転じるエリックだが、その時の仲間たちのチームプレイ「カントナ作戦」が気持ちのいいこと!ギャングを暴力や凶器で痛めつけるような物騒なやり方ではなく、よくよく考えれば子供じみた仕返しだ。でも、いい年した大人の男たちが嬉々として「カントナ作戦」に加わっているのだから、面白すぎてお腹が痛くなるくらい笑ってしまった。エリックはライアンのために、職場の仲間たちはエリックのために、力を尽くす。誰かが誰かの支えになる、助けになることは何て素晴らしいんだろう、と登場する全ての人々がいとおしく思えて仕方がなかった。そして、皆で何かを成し遂げようとするワクワク感が羨ましかった。全員がマンUのユニフォームを着ているのだが、筆者はチェルシーファンにも関わらず、自分もマンUのユニフォーム着て、彼らの仲間になりたいとすら、不覚にも(?)思ってしまったくらいだ。

この「カントナ作戦」で、エリックはこれまでの負け組人生を、一気に勝ちに転じようと、一発大逆転を狙っていたわけではない。そもそもサッカーは、野球の満塁ホームランのように、大量得点を一気に稼げるスポーツではない。華麗なシュートでも、泥臭いシュートでも、コツコツと1点ずつ積み重ねるしかない。
エリックの人生は、大局的に見たら、負け試合で終わるのかもしれない。郵便局の仕事を定年まで続けても、それほど裕福にもならず、オールドトラフォードへ行く機会もそう滅多にないだろう。彼が何かの事業を興し、成功して有名になるという生き方も想像しがたい。スコアだけを見れば、例えば15-2くらいでの敗戦かもしれない。でも、「カントナ作戦」で得た1点は、エリックだけではなく皆のチームプレイがあってこその1点。そして、その甲斐あっての続く2点目は、破綻しかけていた家族の絆を取り戻せたことだ。その2点は生涯忘れ得ぬ、素晴らしいゴールだった、と誇らしく振り返ることができるだろう。それでもう十分ではないかと感じるのだ。

「チャンスはどんな時にでもある」。ロスタイムが終了するまでは、試合=人生を放棄してはいけない。そして、何度でもこの映画を観て元気を、勇気をもらいたいと、ローチの作品で初めてそう思った。家族を愛し、仲間を愛し、サッカーを愛し、たわいのない事にささやかな喜びを噛みしめる、そんな平凡な生き方でもいいじゃないか。人生の初歩的な、だけど人は忘れてしまいがちな大切なことを気付かせてくれて、誰もが笑顔になれる、愛すべき映画である。

(2010.12.23)

エリックを探して 2009 イギリス・フランス・イタリア・ベルギー・スペイン
監督:ケン・ローチ(「麦の穂をゆらす風」カンヌ国際映画祭パルムドール受賞)
脚本:ポール・ラヴァティ 撮影:バリー・アクロイド
出演:スティーヴ・エヴェッツ/エリック・カントナ/ジョン・ヘンショウ/ステファニー・ビショップ
配給:マジックアワー+IMJエンタテインメント 英語タイトル: LOOKING FOR ERIC 
2009年/イギリス・フランス・イタリア・ベルギー・スペイン合作/カラー/35mm/117分/ヴィスタサイズ/ドルビーSRD
(C)Canto Bros. Productions, Sixteen Films Ltd, Why Not Productions SA, Wild Bunch SA, Channel Four Television Corporation,France 2 Cinema, BIM Distribuzione, Les Films du Fleuve, RTBF (Television belge), Tornasol Films MMIX

2010年12月25日より、Bunkamuraル・シネマ、
ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー

この自由な世界で [DVD]
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  • 監督:ケン・ローチ
  • 出演:キルストン・ウェアリング, ジュリエット・エリス, レズワフ・ジュリック, ジョー・シフリート, コリン・コフリン
  • 発売日: 2009-04-03
  • おすすめ度:おすすめ度4.5
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ケン・ローチ 傑作選 DVD‐BOX
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2010/12/25/17:20 | トラックバック (6)
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