贅沢な、何と贅沢な作品だろう。
エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ。いずれもパルムドール受賞者(ケン・ローチは来月公開の「麦の穂をゆらす風」
でパルムドールを獲得)であるだけでなく、世界中の映画ファンから愛され続けている名監督達である。そして、
常に新作の公開が待ち望まれている監督達でもある。そんな三監督の作品が、短編とはいえ一遍に味わえるというのだから堪らない。文字通り、
本作は一粒で三度楽しめる映画好き冥利に尽きる作品である。
本作のように名のある人々が共同作業をした場合、それぞれの個性の強さから一体感の損なわれた、歪な作品になってしまうことが多い。
この「明日へのチケット」という作品に驚かされるのは、各監督の個性が十全に発揮されていながら、
同時に一個の作品としても極めて高い完成度を実現していることだ。
これは「ローマ行きの国際列車」という固定された舞台における異なる時系列を各人が描くことで、
個々の物語の独立性を確保するというコンセプトの勝利であることは言うまでもない。本作では更に、
各物語の登場人物を直接的に或いは背景として間接的に登場させることで、作品全体の一貫性を担保するという工夫が奏功している。
スコットランドからイタリアに向かって欧州を縦断する国際列車内での出来事を描いた本作は、そうした旅行ではごくありふれたものである
「移民のいる風景」を自然に取り込みながら、「移民問題」が今や特定の国や地域の問題ではなく、
全欧州的な共通課題であることを鮮やかに照射してみせているのだ。
エルマンノ・オルミが監督した第一話は、出張先のオーストリアからローマに帰る飛行機が全便欠航したため、 急遽列車で帰ることになった老教授の物語である。列車内の現実風景と老教授の空想を交錯させながら進行するこのエピソードは、 ヨーロッパ映画の芳醇な香気を存分に堪能させてくれる作品だ。誤解を恐れずに言えば、 目の当たりにする現象から人がイメージを紡ぎ出していく繊細な映像は、プルーストを髣髴させるような「文学的」な作りとでも言うべきか。 老教授の他愛もない空想と虐げられるアルバニア人家族という現実を対比的に描き、 老教授の倫理的な葛藤をそのまま人々(とりわけここではエスタブリッシュメント層を意識しているのだろう)が「移民」 に対して取るべき姿勢の在り方を静かに問いかけている。様々な象徴群によって織り上げられた重厚な作品だ。
アッバス・キアロスタミが監督した第二話は、 兵役義務の一環として将軍の未亡人の付き人役を命じられた青年の受難を描いた物語である。このエピソードは、 移民との関係を直接描いた他の二話と異なり、未亡人と青年の関係性が中心に描かれている。と言って、 移民問題と無縁の物語というわけではない。傲慢で厚顔無恥なキャラクターに仕立てられたこの未亡人の姿を通じて、 他者理解の難しさや他者に対する誤解が発生するメカニズムを暴き出しているからである。興味深いのが、他の二監督が「旅の非日常性」 を物語の核にしているのに対して、キアロスタミはそうした「非日常性」よりも、日常の延長として物語を構築している点だろう。その意味では、 他の二監督以上にリアリスティックな物語と言えるかもしれない。
ケン・ローチが監督した第三話は、スコットランド・グラスゴーを本拠にするサッカーチーム「セルティック」 の熱烈なサポーター三青年が、ローマで行われるチャンピオンズ・リーグの試合を応援に向かう途中で遭遇する事件を描いている。 スーパーの店員で貧乏な彼らによる、なんとも低俗でバカバカしい掛け合いが滅法愉快なエピソードだ。待望の応援旅行という陽気な雰囲気が、 乗車チケットの盗難事件に巻き込まれて一挙に暗転することになるのだが、 この盗難事件を引き起こすのが第一話で登場するアルバニア人家族なのである。 金に余裕のない三青年の移民家族に対する三者三様の姿を描きつつ、彼らが葛藤の果てに示す回答が何ともユーモラスで素敵だ。 悲喜劇的な事態を人情譚に落とし込んでみせるケン・ローチの職人的手腕は見事の一言に尽きる。
駆け足で各エピソードを紹介してみたが、この作品の中心に「移民問題」が中心にあるのは明らかだ。否、「問題」
として扱うと言うよりも、欧州市民にとっては最早移民は不可避の存在であり、
彼らとどのように共存していくべきかを模索する時期に入っていることを示していると言っていいだろう。
本作で三監督が一致して示しているのは、民族や人種、階級などによらない、個々人に対する「友愛精神」と「連帯意識」
の重要性に他なるまい。それらを如何にして日常で維持し続けるのか、その困難な取り組みの実践こそが問われているのかもしれない。
(2006.10.24)
主なキャスト / スタッフ
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