ところで筆者も「童貞」。をプロデュースされたクチである。いや「脱・童貞」をと言うべきか。早い話が童貞喪失の場をお膳立てされたわけである。二十歳の夏だった。場所は大阪。相手は素人の方ではない。田中登監督の名作『(秘)色情めす市場』の舞台となったあの町だと言えば、わかる人にはわかるだろう。わからない人は永遠に知る必要はない。童貞を捨て去る場面をここではいちいち記さないが、その儀式を終えた感想は「こんなもんかと思った」――などではない。きっぱりと、感動した。爾後、筆者は走った。夜もふけた色町を全力疾走し、通天閣の下までやって来て、やっと立ち止まった。その一部始終を、当時一緒に大阪へ遊びに来ていた脱・童貞プロデューサーのマナベさんがビデオカメラに収めていた。上気した表情の筆者がこぼれるような笑みを浮かべ、そのバックに聳え立つ通天閣をパンアップしたショットがラストシーンだったと記憶している。
今となってはそのテープはどこかへ行ってしまったし、マナベさんも震災で実家を焼失してからは地元・神戸で親孝行に励んでいると聞く。筆おろしの相手の女性のことを、今筆者は断片的にしか思い出せない。こちらを傷つけないように何かと気遣ってくれた、心優しい女性だった。ような気がする。こうしてまだ見ぬ女体を夢見る青の時代は終わった。笑いたければ笑え。
閑話休題。本作の主人公、「U」は童貞である。彼は童貞であることの苦痛から逃れるためか、あるいは生身の女性への恐怖心からか、女性への欲望と愛情をテレビや雑誌で活躍するアイドルたちへと見出した若者だ。しかし童貞である自分をドキュメンタリー作品の被写体にする勇気は、凡百の童貞にはあるまい。……とここまで書いて慌てて付け加えるが、これは彼が童貞を捨てるまでの物語なんぞではない。
作品は前作の主人公「K」のマンションを監督が訪ねる場面からスタートする。彼は前作の公開後、家族から苛烈なバッシングをこうむったらしい(当たり前だ)。筆者は前作を見ていないが、蛮勇を奮っての作品出演の報いは相当なものであったことが窺い知れる。しかし、とにかく彼はもう童貞ではないのである。そこで彼は知り合いの童貞、Uを紹介する。キャメラは間髪入れず彼の暮す秩父の山奥へと向かう。
山々に囲まれた古びた日本家屋。広い庭にはのん気そうな犬が繋がれ、ありふれた過疎地といった寂れた雰囲気を醸し出している。現れたUは、予想通り暗くて冴えない風貌の若者だが、笑顔に含羞をはらみ、少し可愛いところがある。まだ「可愛い」と形容できる程度の鮮度を保っている。しかしその行状はまったく可愛くない。清掃工場で働く彼は収拾した粗大ゴミを漁り、古いグラビア雑誌を勝手に持ち帰っては、アイドルの写真を切り取り、自分だけのためのスクラップブック作りに励むのである。
もちろんこれを「エロスクラップ」として世に知らしめたのはみうらじゅんだし、ゴミ漁りのヒントはUが尊敬する根本敬から得ている。雑誌「危ない一号」等で毒気を撒き散らした村崎百郎の影響も小さくはないだろう。Uは90年代サブカルチャーのほの暗い継承者として、21世紀の過疎地に棲息しているのだ。休日ともなれば車を駆ってブックオフめぐりだ。食費を削ってまでも、アイドルの写真集や漫画をどっさり購入する。おまえの人生にはそれしかないのかと問いたくなるくらい蒐集熱心だ。だが筆者は思う。自分の人生だって似たようなものだな、と。
絵に描いたような「下流社会」の住人であるUは、アベシンゾウ首相が唱える「美しい国」というフレーズに反感を示す。しかもmixiの日記の文章で(mixiに書かれた文章が、作中にごく自然に挿入される柔軟さに注目だ)。内容は「美しい国を謳うなら、アベシンゾウもゴミ漁りをするべきだ」といったもので他愛がない。U自身は現在の社会構造の必然性の上に微生物のように生息しているだけだ。しかしここで現行の総理大臣名と、あの馬鹿げたフレーズを持ち出した意味は非常に大きい。漫画や中古ビデオやグラビアで溢れかえったUの部屋と、その奇怪な行いと、秩父の鄙びた風景が、「美しい国」というフレーズの"夢物語"のような脆さ儚さをきっちり撃ち抜いているからである。そしてアベシンゾウが拾うべき"ゴミ"とは何であり、誰であるか。考えさせられる。
学者たちが巧妙なキャッチコピーをつけて本屋にばら撒き、消費者の溜飲を下げさせたり、共感させたり、怒りを煽ったりするような社会学的論文より、この作品ははるかに実証的である。今、この国で何が起きつつあるかを、そのリアルな空気感を、この作品は抱腹絶倒の笑いを豊富にまぶしながら、そのくせ底冷えするほど冷静に切り取っている。
家の中でのUは家族に対して横柄な態度を貫く。笑えるくらいの内弁慶である。横暴に振舞うUを、父も母も妹も猫も犬も放置している。家族の一員だからと赦している。その団欒のシーンが幾つか挿入されることで、彼のキャラクターが立体化される。若手によるセルフドキュメンタリー作品ではしばしば敵対する対象となる家族が、ここではUを大らかに包む好ましい「家族」として機能している(ように見える)のは、『あんにょんキムチ』や『セキ★ララ』において、「家族」という主題を追究してきた松江監督ならではのものだろう。多彩な情報を盛り込みつつ、被写体の"人となり"を伝える所作や言葉や佇まいを矢継ぎ早に挿入し、絶妙なタイミングでテロップを入れ、その場の空気を的確に捉えていく編集技術に瞠目だ。
監督によるピンポイントな「演出」は、クライマックスにどんでん返しを用意する。被写体から様々なリアクションを引き出すべく演出家が介入する「演出」はテレビのバラエティ番組では見飽きた手法と言ってもいい。しかしバラエティ番組ならばタレントなりナレーションなりスタジオの存在を必要とするだろうし、ニュース番組や真面目な"ドキュメンタリー番組"ならば、彼を断罪するなり社会構造のひずみを指摘するなど「社会派」に仕立て上げることが「商品」として求められるだろう。この作品はそうした桎梏からある程度自由である。商品からは悉く零れ落ちてしまうであろうディテールを豊富に取り入れることで、「下流社会」という現象に対して新しい光、新しい見方を与えている。人間を描く上では、捨てられるものなど何もないのだ。「ゴミの中にこそ宝がある」とは故・勝新太郎の言葉だが、それを地でいく作品作りである。
ラスト、彼の蕩けるような笑顔に少しだけ胸が苦しくなるのは、それがまさに「夢」のひとときにすぎないからだ。彼にも、そして腹筋が痛くなるほど笑った観客である自分にも、寂寞とした人生の荒野しか待ってはいまい。アベシンゾウの夢。Uの夢。打ち捨てられたゴミたちの夢。――押井守監督の某作品からの引用とは言え、完璧なタイトルである。
(2007.3.26)
童貞。をプロデュース2/ビューティフル・ドリーマー 2007年 日本
監督:松江哲明
公式サイト
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