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『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』リバイバル公開によせて

『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』いま、新宿武蔵野館にておこなわれている上映企画「ZIGGY FILMS '70S <'70年代アメリカ映画伝説>」が、映画ファンのあいだで話題を呼んでいる。ロバート・アルトマン監督の『バード★シット』、ハル・アシュビー監督の『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』――どちらも一部で偏愛的なファンを獲得し、日本ではソフト化されていないことから伝説のカルト映画と称されてきた作品だ。
今回は、70年代の映画の熱気をリアルタイムで体感し、ハル・アシュビー作品をこよなく愛する(「キネマ旬報」最新号に掲載されている会見回想記も必読!)映画評論家の大森さわこさんに、『ハロルドとモード』についてご寄稿いただいた。(編集:佐野 亨

ハロルドとモード/少年は虹を渡る

( 1971 / アメリカ / ハル・アシュビー )
このカルトムービーを21世紀に見ることの不思議

特別寄稿:大森さわこ

映画評論家。1980年代より「キネマ旬報」「ミュージック・マガジン」「週刊女性」などに映画評や取材記事を寄稿。著書に『[映画]眠れぬ夜のために』『キメ手はロック映画101選』『ロスト・シネマ―失われた「私」を求めて』、訳書に『ウディ・オン・アレン―全自作を語る』『カルトムービー・クラシックス』などがある。

『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』2今年の夏、新宿では、70年代前半に作られた2本のアメリカ映画のリバイバル公開が始まった。7月3日封切りの『バード★シット』(70、ロバート・アルトマン監督)に続いて、17日からは『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71、ハル・アシュビー監督)が封切られる。そこでこの作品について、ちょっと個人的な感想を書いておきたいと思う。
70年代に封切られた時は興業に失敗した映画だが、80年代に入ってからアメリカではカルト的な人気を獲得し、封切りから10年以上たって、興業が赤字から黒字に転じたといわれる伝説的な作品だ。
ただ、日本ではビデオやDVDも発売されておらず、映画ファンの間では、長年、幻の作品と考えられていた。それを21世紀の今、映画館で見られるというのだから、今回のリバイバルは本当に貴重な体験になるのではないだろうか。

私自身は70年代にアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品群との出会いを通じて映画のおもしろさを知り、映画評論の世界に入っていったが、映画ファンである以前に、音楽ファンであった私がこの映画を知ったのは、実は音楽経由だった。
70年代の初頭、音楽界ではシンガー・ソングライターのブームが起こった。その中心的な人物は、先日、来日公演も行ったキャロル・キングやジェームズ・テイラー、それにエルトン・ジョンなどだったが、英国出身のキャット・スティーヴンスも、当時は人気があった。
私自身はキャットの歌が好きで、ヒット曲「ピース・トレイン」などが収められた彼のアルバム「ティーザー・アンド・ファイアー・キャット」は愛聴盤の一枚だった(今野雄二氏が解説を書かれたライナーノート付きだった)。そして、彼が音楽を担当した2本の映画が作られたということで、私はそのタイトルを覚えたのだ(キャットが音楽を担当したもう1本の映画は、イエジー・スコリモフスキー 監督の『早春』だった)。
キャットは音楽だけではなく、絵の才能にも恵まれていて、アルバムのジャケットのイラストも自身で担当していた。「ティーザー・アンド・ファイアー・キャット」には少年とオレンジの猫の絵が描かれ、どこか童話の挿絵を思わせる独特の詩情とユーモアがあり、その絵にも心ひかれるものがあった。
ただ、当時の私は九州の小さな田舎町に住んでいて、そんな町にはこの映画はやってこなかった。都市部で興業に失敗した映画は、残念ながら、田舎町では公開されなかったからだ。
その頃、注目されていたアメリカン・ニューシネマの大半は、興業がふるわなかった作品が多く、そうした映画は地方では公開されなかった。
『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』370年代中期以降には東京で学生時代をすごすようになり、田舎町にはこなかったニューシネマの映画群を見まくる日々を過ごしたが、権利の関係もあってか、この映画は名画座でかかることもほとんどなかった(唯一の例外が文芸坐でのオールナイトだったが、この深夜の上映は逃してしまった)。
結局、私がこの映画と遭遇したのは、東京12チャンネルのテレビ放映の時だった。どういうわけか、当時には珍しく字幕版で、午前中の時間帯に放映された。この時は、どこかシュールで、不思議な青春映画を見たな、と思った覚えがある。そして、音楽の素晴らしさも胸にしみた。
この映画の大人の童話を思わせるようなタッチはキャットの描く絵に通じるところもあった(この頃、キャットのイラスト集が海外で出版されたことを知り、その本を入手したいと思った私は日本のキング・レコードに「入手法を知らせてください」と手紙を書いた。すると、レコード会社の人が、無料でその本を送ってくれて、大感激した覚えがある)。
この映画の監督、ハル・アシュビーは、『ハロルドとモード』の後に、『さらば冬のかめも』(73)、『シャンプー』(75)、『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(76)、『帰郷』(78)、『チャンス』(79)などを撮り、70年代のアメリカ映画界を代表する才人監督のひとりとなっていった。
私自身は70年代後半から映画の文章を書くようになり、80年代に入ってからは、本格的に活動するようになっていた(フリーランスとして独立したのは81年からだ)。翻訳の仕事もしていた私は「チャンス」に関するハル・アシュビーのインタビュー記事を訳したが、思えばこれがこの監督について書いた最初の記事となった(「キネマ旬報」に掲載された)。
そして、遂にはアシュビー本人への取材も実現した。1983年のことだ。彼がライブ映画『ザ・ローリング・ストーンズ/レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』を撮った頃の話で、音楽ファンだった私はこの映画が大好きで、ドキドキしながら、アシュビーの滞在する帝国ホテルの一室を訪ねた記憶がある。当時、彼は50代だったはずだが、永遠のヒッピーおじさん、という印象で、いろいろなことを気さくな口調で語ってくれた(彼はその5年後にガンのため他界した)。
ハル・アシュビーは、70年代が全盛期で、80年代には代表作と呼べる作品を発表していない。ヒッピー的な自由なスピリットを持つ作品群は、70年代の自由な気風とは同調できたが、80年代のレーガン政権の保守的な動きとは合わなかったのだろう。83年に会った時も、「最近は映画の作りの自由が制限されている」と語っていた。
70年代はアメリカ映画界の才人と思われていたアシュビーは、その後、映画ファンからも忘れられてしまったが、一部の映画人の間では静かな評価を獲得している。たとえば、ショーン・ペン監督は『インディアン・ランナー』のエンド・クレジットで、思いを込めてアシュビーの名前をあげていた。また、アレクサンダー・ペインは『サイドウェイ』を撮る時、アシュビーの監督デビュー作『真夜中の青春』(70)の映像を参考にしたという。

『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』4『ハロルドとモード』の時代から、ずいぶん時がたってしまったが、改めて21世紀の今、見直してみると、かつてのアメリカン・ニューシネマへの思いやキャット・スティーヴンスのこと、ハル・アシュビーと過ごした貴重な時間など、さまざまなことが私の脳裏をかけめぐった。
思えば70年代は映画館で見ることができなかった。しかし、やっと、今になって大きな画面で、ハロルドとモードに出会うことになったのだ。
かつて、この作品を見た時、感情移入をしながら見たのは、バット・コート演じる青年、ハロルドの方だった。
19歳という人生で最も多感な年ごろ。金持ちに生まれ、物質的には恵まれているのに、なぜか、幸せではない。彼はこの年代の青年が漠然と感じる憂鬱や不満を代弁するキャラクターかもしれない(70年代の伝説的な男優、バット・コートはハマリ役だ)。
そんな彼の生きがいは、母親を相手に演じる自殺ごっこだ。あの手、この手で、母親の注目をひこうとするが、母親は適当にあしらう。やがて、ハロルドはまもなく80歳になろうとしているモードと出会い、彼女の自由な生き方に触れるうちに、彼女と恋におちる。
普通に考えるとありえない話だが、映画のトーンがファンタジー風なので、映画の物語としては信じることができる。
そして、今、見直してみて、私自身がより感情移入したのは、ハロルドではなく、モードの方だった。自分の死の時を意識し、物欲からも解放されたモダンな女性像。特にステキなのは、ハロルドから贈られた愛の指輪を海に捨ててしまうくだりだ。「こうすれば、指輪をなくさなくてすむでしょ?」と彼女は言うが、その潔さがかっこいい。自分もこんなおばあさんになれたら、いいなー、と(同性として)ふとあこがれてしまった(改めてみるルース・ゴードンには、不思議な色気があり、とても70代とは思えない)。
彼女を見ていて思ったのは、女性解放運動が盛んだった70年代という時代だ。
伝統的な家庭の価値観から解放され、女が自由に生きる権利を求めていた。そんな時代だからこそ、モードのようにのびのびとしたキャラクターが生まれたのだろう。そして、永遠の放浪児だったハル・アシュビー自身の自由な思想が反映された女性像でもあったと思う(アシュビーは、のちに「帰郷」で70年代のフェミニズム運動のシンボル的な女優だったジェーン・フォンダをヒロインに起用しているので、やはり、自由な女性像に共感していたのだろう)。
『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』5また、この映画にはハロルドの叔父として軍人が登場し、ハロルドを軍隊に誘うくだりがあり、彼のデスクの後ろには、リチャード・ニクソンの写真が飾ってある。この映画が製作された頃の大統領はニクソンで、彼の時代にヴェトナム戦争は泥沼化していたが、この映画では、当然、戦争は悪いものとして描かれ、軍人も風刺的にとらえられている。このあたりに、ヴェトナム戦争への(当時の)反戦のメッセージも感じ取れる。
また、この映画のブラック・ユーモアはどこか英国的なテイストも含んでいるが、アシュビーのフィルモグラフィーを調べ直してビックリ! 60年代は映画編集者だったアシュビーは英国のトニー・リチャードソン監督がイーヴリン・ウォーの風刺的な小説を映画化した「ラブド・ワン」(65)の編集者だったのだ(『ハロルドとモード』のブラックな視点は、アシュビーの後の代表作「チャンス」にも引き継がれている)。
70年代に見た時は、見えなかったさまざまな要素が、再見することで見えてきた。
そして、この映画を21世紀的な見方で見ると、こんな考えも頭をよぎった。もしかすると、モードは、実在の人物ではなく、ハロルドの願望が生んだ幻想の人物ではなかったのか……。
ハロルドがモードに会ったのはある葬儀である。死に憧れるハロルドは、死に最も近い人物(=老人)に頭の中で恋をすることで、自身の青春期の孤独に別れを告げようとしたのではないのか。これは“脳内モード”と“自殺オタク・ハロルド”の現実には存在しなかった恋物語かもしれない……?!(ふと『ラースと、その彼女』の面影もよぎったりして)。もしも、チャーリー・カウフマンあたりが、同じ内容を映画にしたら、現実と妄想の境目があいまいな恋物語にしてしまうかもしれない。
あまりにも不思議な恋物語ゆえ、かつては考えなかったさまざまな思いが頭をかけめぐった。
そして、見終わると、むしょうに切ない想いにとらわれた。この映画が青春の終わり(=エンド・オブ・イノセンス)をテーマにしているせいだろうか? それとも、この映画を初めて見た頃の自分自身の青春の日々があまりにも遠くにいってしまったせいだろうか?
そんな風にさまざまな思いをかきたてるハロルドとモードとの再会となった。
そういえば、この作品、日本では70年代に文学座が舞台化している(紀伊国屋の前を通りかかった時、看板を見た覚えがある)。モード役は長岡輝子が演じていたようだが、日本人が演じると、どんなモード役だったのだろう……?

(2010.7.15)

ハロルドとモード/少年は虹を渡る 1971年 アメリカ
監督:ハル・アシュビー 製作/脚本:コリン・ヒギンズ 製作: チャールズ・B・マルヴェヒル 撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:キャット・スティーヴンス 美術:ミカエル・ハラー 編集:ウィリアム・A・ソーヤー,エドワード・A・ワーシルカ・ジュニア
出演:バッド・コート,ルース・ゴードン,シリル・キューザック,チャールズ・タイナー,エレン・ギア,ヴィヴィアン・ピックルズ,
エリック・クリスマス,G・ウッド,ジュディ・エングルズ
1971年/アメリカ映画/91分/(c)1971 Pramount Pictures Corporation

2010年7月17日(土)より、新宿武蔵野館にてロードショー!

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2010/07/16/10:09 | トラックバック (0)
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