今週の一本
(2009 / 日本・韓国 / キム・ヨンナム)
友情でも愛情でもない、名付けられない絆の物語

寺本 麻衣子

『ノーボーイズ,ノークライ』1ファンタジーと現実の狭間を自在に行き来しながらも、現実をあぶりだす巧みさ。夢と現実、切ない愛情と生々しい性、純粋さと狡さといった、相反する要素が同居する世界。脚本家・渡辺あやには「ジョゼと虎と魚たち」(03)でその魅力にガツンとやられて以来、新作を心待ちにしている。「メゾン・ド・ヒミコ」(05)では奇抜な設定の中で光る生身を感じる科白が、「天然コケッコー」(07)では原作のエッセンスを余さず抽出した脚本が見事だった。
そんな彼女の脚本の良さは、海を越えて海外にも届いていた。韓国で「渡辺あやの脚本を映画化する」という企画が立ち上がり、現地の映画会社から彼女の元に脚本の依頼が寄せられる。しかもその内容は、“ラブストーリーではない物語を”というもの。渡辺あやはそのオファーに、日本人と韓国人、二人の青年の物語で応えた。日韓共作映画「ノーボーイズ,ノークライ」(09)は、二人の人間が結びついていくまでの過程を描く物語だ。

韓国からボートに乗って海を越え、闇組織に荷物を運ぶ韓国人・ヒョング(ハ・ジョンウ)。日本で荷物を受け取る日本人・亨(妻夫木聡)。組織で働く人間同士に過ぎなかった二人の関係は、人の形をした荷物を受け取った時から変わり始める。荷物の正体は、韓国人少女・チス(チャ・スヨン)。彼女は「失踪した父親を探し父娘ともども逃がしてくれれば大金を払う」と二人に持ちかける。亨は金目当てに組織を裏切り、ヒョングを巻き込んで彼女の父親を探そうとする。仲間でも友達でもなかった二人の人生が、並走し始めるのだった。

組織の中の“その他大勢”に過ぎなかった亨が突然ヒョングの人生に登場する始まりから、逃亡生活の中で徐々に互いを知り合うまでを、映画は二人にぐっと焦点を絞り追いかける。特に暴力、薬、闇といった要素を暗い色調の中で描いていく前半では、互いの境遇を知り合う様子が抑えた展開の中でじりじりと描かれる。
『ノーボーイズ,ノークライ』2亨は妹の二人の子どもと重病の赤ん坊、痴呆症の祖母のために金が必要だった。「みんなまとめて死なねえかな」と呟きながらも家族を捨てない亨を、ヒョングは理解できない。ヒョングは幼い頃母親に捨てられた過去を持つ。なぜ母親が病弱な弟だけを連れて行ったのかわからず、いつしか人を信じられなくなっていた。家族がおらず背負うもののないヒョングに、「お前は幸福だ」と亨は言い放つ。互いに心にかけた部分がありながら分かり合えずにいる中、物語が大きく弾ける。ヒョングと亨が「アジアの純真」を歌うカラオケシーンだ。
TVスポットにも使用されているシーンだが、ここに至るまでを知らなければその幸福感をしっかり味わうことはできないだろう。つのらせたイライラを一緒に歌にぶつけることで、二人が急速に心を通わせる様子を、歌う姿を見せるだけで見事に描いている。それまでは淡々としていたカメラも、感情が変化していく様を徐々に二人に寄っていく長回しで追い、次に互いに“何か”を見つけた幸せを残さず映しとろうとするかのように、円を描きながら二人の周りを楽しげに移動する。ふっきれたように飛び跳ねて歌う彼らの姿は実にキュートだし、それまでが抑えた展開だっただけに場面自体に爆発力がある。画面の色合いも鮮やかで見る側にも解放感をくれ、映画のクライマックスの一つになっている。このシーンは渡辺あやの発案によるものだというが、科白の良さが印象的な彼女の脚本において、科白を一切使わず山場を作っていることも興味深い。

後半二人は窮地に立たされ、命をかけた選択を経て物語は終幕へと突き進む。そして迎える渡辺あやらしさが存分に発揮されたラストシーンで、物語が再度大きく弾けるのだ。
このシーンでのヒョングの科白にはラストに至るまでの二人の関係が集約されていて、まさに“今までの物語はこのためにあった”というべきものになっている。その科白の中で、ヒョングと亨の関係が“何と表現すればいいのか分からないもの”と捉えられていることは重要だろう。打算で行動を共にし、危険を乗り越え、孤独を確認し合った末に得た二人の絆。それを表現するには、友達という言葉ではもの足りず、ビジネスパートナーという言葉では乾きすぎ、愛情という言葉では甘ったるい。ヒョングと亨の互いへの“優しさ”と彼らの置かれた状況の“残酷さ”が同居する実に渡辺あやらしい幕切れの中、名付けられないけれどかけがえのない関係が確かに生まれていたことが確認されるのだ。またそれまで物語に見え隠れしていた人魚のイメージを二人に重ね合わせることで、“ラブストーリーではない”はずの物語を思いがけずロマンチックにしている渡辺あやらしい妙技にも注目したい。

『ノーボーイズ,ノークライ』3「ノーボーイズ,ノークライ」に登場する人間関係は、どれも少し歪んでいる。ヒョングは家族を失った後、組織という疑似家族に属していた。亨が抱えている家族は、自分が作ったものではない。唯一家族らしい家族を持っていると思われるチスの父親も、組織から追われ姿を消している。求めても手に入らない家族、逃げ出したくても逃げ出せない家族。そんな中で、他人であるはずのヒョングとチスと亨の家族が一緒に食卓を囲み、賑やかにチヂミを食べるシーンが登場する。それを見た亨がじんわりと笑顔になってしまう様子には、家族や恋人や友達といった言葉で表現できない関係であっても、あたたかい人間関係は確かに存在することを伝えている。
“ラブストーリーではない物語を”というオファーに渡辺あやが提示したのは、性別や血のつながりや欲望に縛られず、自由に関係を築くことのできる人間同士の物語だった。「ノーボーイズ,ノークライ」は、既存のものではない人間関係の可能性を、安易な恋愛を挟まないストイックな展開の中で見せてくれる。そこにあるのは、これまで彼女が描いてきた様々な人間関係から装飾を削ぎ落した後に残る人間の姿であり、ぶつかり合ったり溶け合ったりする心と心の動きそのものなのだ。

そんな二人を演じるハ・ジョンウと妻夫木聡の演技が見ものだ。時に殴り合い時にケンカしながらも絆を深める過程に、説得力を与えたのは二人の熱演だろう。特に「チェイサー」で高く評価されたハ・ジョンウは、内に孤独を抱えているキャラクターを大きな体であくまでひょうひょうと演じてみせる、そのギャップが面白い。煙草を吸う口元や赤ん坊をあやす仕草など、細かな演技にもヒョングの存在を感じさせる。韓国語の科白に挑戦し今までになくダークな役柄に取り組んだ妻夫木聡も、投げつけるような調子で歌う姿も含め新境地といえる演技を見せていた。そんな彼らの掛け合いには力があり、ラストまで眼を離すことができない。

ただ、映画には二人の関係を追いかけるという主軸はブレないものの、それを描く際に生じている僅かな迷いを感じる部分があった。
ひとつは、暴力や闇社会といった“現実”と、ヒョングとチスと亨の家族らの不思議な関わりあいや人魚といった“ファンタジー”との兼ね合いだ。この映画は地味なくらい抑えて現実を描く部分とファンタジー的な要素がまぶされた山場とに大きな緩急がついていて、それがカラオケシーンやラストシーンの感慨を大きくする効果を生んでいるが、一方で“現実”と“ファンタジー”のどちらに比重を置くべきか迷っているようにも見える。渡辺あやの脚本の面白さはその世界が現実とファンタジーのあわいに位置することにあるが「ノーボーイズ,ノークライ」はいささか現実寄りで、日常を舞台としながらどこかキラキラしているこれまでの彼女の作品とは異なった仕上がりとなった。
『ノーボーイズ,ノークライ』4その原因が日韓の差にあると断言できないが、両国の予告編の違いは興味深い。アクションシーンや闇組織を連想させる場面をつないだ“現実”重視の韓国版に対し、日本版は渡辺あやらしい何気ないシーンのみをつないだ“ファンタジー”重視の内容で、二つは全く違う映画の予告に見える。タイトルも同様で、韓国版タイトル「The Boat」は映画におけるボートの機能に着目した即物的なものであるのに対し、日本語版タイトル「ノーボーイズ,ノークライ」はより緩やかにイメージを打ち出したものになっている。こういった同じ映画に対する異なる視線の存在が、その作られ方にどこか影響したのではないかと思えてしまうのだ。 また、タイトルの違いにはメタファーの揺れも感じさせる。ボートは映画後半において存在感を失い、泣くという行為も重要ではあるが“泣かない男なんていない”と提示するまでの広がりは持っていない。いずれの言葉もそれを手がかりにして映画を解釈することは不可能ではないが、“ボート”あるいは“泣く”というキーワードだけでは全体をまとめきれず、両者が物語全体を包み込むほどの象徴性を持ち得ていないことに気付く。
むしろここで思い起こされるのがラストシーンの“人魚”だ。最終的に重要な役割を果たすイメージが、明確に示された“ボート”でも“泣く”でもなく“人魚”である点に定まらなさを感じた。いずれのキーワードも詩的で魅力的なだけに、活かし方によっては映画の深みがより増したのではないかと惜しく思う。
とはいえキム・ヨンナム監督は、俯瞰の画を要所に使うことで視覚的な一貫性を持たせたり、色彩の明るさ暗さや空間の広さ狭さで心理を細やかに表したりするなど、全体として良質の映画をつくりあげている。逃亡生活での微笑ましい瞬間や笑いを誘う場面といった渡辺あやらしいシーンの表現も的確だ。繰り返すが、映画はあくまで二人の関係を中心に据えているので満足度に変わりはない。

二つの心がどのように出会い、ぶつかり合い、結びつくのか。じっくりとその過程を見せるこの作品は、安易に名付けることをためらわせるような絆のあり様を見せてくれる。二人の俳優の見応えのある演技と、そこに至るまでのもやもやを全て吹き飛ばしてしまう渡辺あやらしさが凝縮されたラストシーンを、ぜひ味わってほしい。

(2009.8.21)

ノーボーイズ,ノークライ 2009年 日本・韓国
出演:妻夫木聡,ハ・ジョンウ,チャ・スヨン,徳永えり,イ・デヨン,キム・ブソン,柄本佑,貫地谷しほり
脚本:渡辺あや 監督:キム・ヨンナム 撮影:蔦井孝洋 美術:磯田典宏
(C)2008「The Boat」フィルム・コミッティ
公式

8月22日より、シネマライズ、新宿武蔵野館、
シネ・リーブル池袋にて全国ロードショー!

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2009/08/22/09:29 | トラックバック (3)
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