福間 健二 (監督) 映画『秋の理由』について【4/5】
2016年10月29日(土)より新宿K's cinemaにてロードショーほか全国順次公開
公式サイト 公式twitter (取材:深谷直子)
――今回は男同士の友情が物語の中心にありますが、他の登場人物にもそれぞれパートナーのような友達がいますよね。ミクはこばやし食堂で昔の友達と再会しますし、美咲にも仕事仲間がいます。そういう人間関係も意識して描いているんですか?
福間 とくに意識しているわけではなくて、普通そうだよね、っていう感じなんですよね。「ひとりで生きていない」というのがあるとして、「でもひとりで生きている自分もいる」ということとの、その間をどうつなぐか?ということで、それはやっぱりまず身近にいる人との関係ですよね。
――映画の中にはお金にまつわることもたくさん描かれていますよね。生活のために仕事をして、貸し借りをして、それはきちんと返していく、と。
福間 現実ってそういうことだから、お金のことを全然関係なく話を作ってもしょうがないなと。こばやし食堂で、貧しい人にただでごはんを食べさせたりしている。でもそれだって利益が上がらないのにそういうことをやっているわけじゃないということは言ってもらおうとかね。
――村岡が見る難民の夢にも逞しさを感じました。
福間 それは実はシナリオが大体出来上がったなあというところで佐野和宏に送ったときはなかった部分です。送ったあと、僕は妻と一緒に前から予定していたセルビアとスロヴェニアの旅に行って、セルビアの首都のベオグラードの公園で、野宿している難民たちに出会ったんですよ。彼らの生活の悲惨さを見たというよりも、人が必死で生きていることのすごさを感じて、それがとても大きくて。でもベオグラードから帰ってきて新宿や渋谷を歩いても、あまりベオグラードと変わらないなというところもあるんですよね。そのことを意識しつつ、佐野和宏と脚本について考えていたときに、この作家の狂気にもう一つ膨らみを作りたいなと思って。僕がシナリオ的には「船倉」として書いた部分を、佐野和宏はある意味で天国だというふうに認識したと言っていたんだけど、本当に困っている人たちがいる場所かもしれないけれど、そこが安らぎの場所になることだってあるんですよ。いい加減にチャラチャラ生きている人たちの中にいて、そこに違和感を覚えている人間にとっては、そういう場所が本当に生きている場所なんですよ。そういう感じに彼は入っていってくれました。ミクもあそこにも居られる存在ですね。
――村岡は一度は死を決意するのですが、極限的な状況を越えたあとの表情はとても清々しいものでした。
福間 あのへんも佐野和宏にシナリオを読んでもらってから、彼が実生活で手術のあと感じたことをいろいろ聞いて、それを入れていますね。どうしても僕にとっては作家というと、友人で自殺した佐藤泰志のことがあって、佐野和宏が首を絞めるシーンは、佐藤泰志が首を吊った場所のすぐ近くで撮ったんですよね。あそこから帰ってきてほしかったというか。それを映画でやれました。佐野和宏という姿形をもって、それで彼だからこそ帰ってこれたんです。