思えば、犬童一心×渡辺あやコンビによる前作「ジョゼと虎と魚たち」は奇跡のような出来事だったのかもしれない。
足が不自由という理由で祖母によって屋内に隔離されて育ったジョゼと、
彼女の醸し出す一風変わった雰囲気に魅せられた青年の恋愛風景を描いたこの作品は、
身体障害者の恋愛/性という些か神経質にならざるをえないモティーフを扱いながらも、極々普通の、等身大の恋愛として描き切っていた。
重さと軽さが絶妙に融け合ったこの「ジョゼ~」のコンビが、
今度は同じマイノリティであるゲイをモティーフに選んだとあれば期待するなと言う方が無理と言うものだろう。
本作は父娘の確執を縦軸に、「メゾン・ド・ヒミコ」に住むゲイ達の人間模様を横軸に展開していく。
主人公の沙織は自分と母を捨てた父親を憎んでおり、24歳の今ではその存在を否定するほど恨んでいる。
捨てられたことで辛い思いを重ねてきたのであろう彼女にとって、どうしても承服出来ないのは父親が自分と母を捨てたのが
「ゲイとして生きたい」という理由だ。「捨てるくらいなら子供なんて作るな」「ヘテロとして生きていけないなら結婚なんてするな」――
沙織にとって、自分の思いを優先して父親であることを放棄した父・ヒミコは、周囲の人間のことを省みない自己中無責任男、
自分と母親を欺いた嘘つきに他ならない。その暗い思いはやがてゲイ全体に投影され、「ゲイは世間を欺いている存在」
「勝手気ままに生きる穀潰し」といったイメージで彼女の中で発酵し、ゲイそのものに対する容赦ない拒否感となったことは想像するに難くない。
その核心部にあるのは「自分は間違っていない」という思いであり、「にもかかわらず捨てられた」という現実が、
彼女に嘘や不正に対する潔癖さを養わせることになっていったのだろう。射すくめるような柴咲コウの強い眼差しは、
こうした沙織の内面に根付いた少女性を端的に伝えて一際強い印象を残す。
そんな沙織がホームの手伝いを通じてゲイ達の時に小憎らしく、時に可愛らしい素顔に触れ、
彼らも自分と大して変わらないのだという当たり前の事実に目覚めていくのが本作の骨子となっている。秀逸なのは、
ゲイ達とのエピソードの間に、沙織が知らなかった「母親の秘密」を織り込んでいることだ。
沙織が全く想像すらしなかった意想外の事実を暴露することによって、単にゲイに対する偏見を払拭させるだけに留まらず、
それまで彼女の心を鎧っていた確信が揺らぐ様を丁寧に掬い取ってみせるのである。嘘つきだったのは父親だけではなかったのだ。
この衝撃的な事実の発覚によって、沙織は初めて父親と向き合うことが可能となるわけだが、それによって両者が和解したり、
赦し合ったりといった陳腐な方向に流れることはない。が、赦すことなどできなくとも、両者が初めて同じ目線で向き合う瞬間が抉り出され、
そこに静かな感動が胸に広がらずにはおかない。
このように、本作を形成するエピソードの数々は実によく練られたものだと思う。春彦と沙織の細やかな交流と断絶を筆頭に、
ホームに悪戯を繰り返していた少年が、
春彦に凄まれたことで自らの内面に横たわるゲイ性を自覚してしまう(悪戯は近親憎悪だったのだ!)エピソード、
脳卒中で倒れたルビィを巡る一連の顛末などに流れる空気感、「ジョゼ~」で見せたあの独特の空気感は本作でも健在である。
だからと言うべきか、それなのにと言うべきか、重厚なテーマを描いているはずの本作には、終始異様な軽さがつきまとうのもまた事実であろう。
恰もジャブを連打されているだけのようなと言えばいいのだろうか、本作には決定的な何かが足りないのだ。
これは恐らく、本作の根幹を成すはずのゲイへの眼差しが余りにも表層的に過ぎるからではなかろうか。酸いも甘いも噛み分けたゲイ「老人」
の話であることを差し引いたとしても、である。やはり本作の場合、彼らが背負ってきたゲイとしての生き難さを見据えることなしには、
「メゾン・ド・ヒミコ」という場の存在のかけがえのなさを切実な形で浮かび上がらせることはできないように思う。
繰り出したクラブで嘲笑されるエピソードがあるが、はっきり言って余りにも戯画的で薄っぺらいし、
それによって卒倒するに至っては殆ど出来の悪いコメディにしか見えない。
もう一つは、台詞に頼りすぎて肝心な部分を映像で表現していないことだ。これは前述の卒倒するゲイ・山崎が、
綺麗なドレスを着たいが似合わないことを切々と語るシーンなどで顕著だが、台詞に頼られるとどうしても「説明」
という印象が強くなってしまうのは如何ともしがたい。わかりやすいが、映画としては物足りなさを禁じえないのだ。また、
倒れたヒミコの傍らで春彦が思いを吐き出す実に印象的なシーンがあるが、ここでも春彦が「愛なんて意味ねえじゃん」と呻くように言う時、
その「愛」とはどんな「愛」だったのか。正直に言って、筆者にはそれが全くわからなかった。勿論その言葉が発せられた背景は想像出来る。
愛する人が逝こうとしているにもかかわらず何も出来ない、してやれないという無力感、悲しさ、絶望感。
それらはオダギリジョーの表情から完璧に窺い取ることはできるだろう。だが、春彦は一体どのようにヒミコを愛してきたのだろうか。
それを全くと言っていいほど描かないのでは、「愛」という言葉も上滑りするばかりではないだろうか。
とはいえ、映像的な余白を大きく取ることで独特な雰囲気を醸された本作では、端的な台詞で心情を浮き彫りにしている部分も少なくない。
幕切れ近くで思いがけず会社の専務と不倫関係を結んでしまった沙織が言う「私が泣いてる理由は専務が思っているどれとも違います」
という台詞などは、それまで蛇蝎の如く忌み嫌っていた父親と自分が同じ地平に降りてしまったことを冷徹に伝えて絶妙だ。
本作の全てのエピソードは、殆どこれを沙織に言わせるためにあったと言っても過言ではないだろう。人が生きていくことに不可避的に伴う狡さ、
汚さを身をもって知った沙織に、帰るべき場所、身を寄せる居場所が確かに存在することを告げる本作の幕切れは、
だからこそどこまでも優しく暖かい。
(2005.9.9)
主なキャスト / スタッフ
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