
誰の人生にもドラマがあり、その瞬間を積み重ねれば語るに足る物語になるものである。しかし、
中にはその軌跡を辿るだけで凡百の物語を軽く凌駕してしまうような、余人の想像を絶するような人生を送る者もいる。ジョナサン・
カウエットも、まさにそうした人間の一人と言えるだろう。
本作「ターネーション」は、31歳のジョナサン・カウエット監督が、 生前から現在に至る半生について赤裸々に振り返ったドキュメンタリーである。 imovieを駆使して僅か218ドルで製作されたことで話題を呼んでいるが、 それ以上に驚かされるのはジョナサンが11歳からプライベートフィルムを撮り溜めていたことであろう。 年若い日のジョナサンの言動をダイレクトに伝えるこれらのフィルム群を活用したことで、 本作は従来の自伝的ドキュメンタリーとは比べものにならない生々しさ―― 恰も彼のマインドマップをそのまま見せつけられているような生々しさを獲得しているのである。
カメラが時に冷徹に記録し続けてきたジョナサン自身の映像と資料的に引用される映像がコラージュされながら、
ジョナサンの半生が軽快なテンポで鮮やかに浮き彫りにされていく。家族との断絶、里親からの虐待、
ゲイという自身のセクシャリティによる軋轢と懊悩、安易な気持ちで手を出したドラッグがもたらした離人感、
自身の感性を涵養したアンダーグラウンド・ムービーやゲイ・カルチャーなど、そこには自らの骨を削り、
血を流しながら彷徨う表現者の足取りが確かに刻印されており、安っぽい「自分探し」とは一線を画している。
本作を特異なものたらしめているのはもう一つ、母親レニーの半生と彼女との関係をもしっかと見据えていることだ。
モデルとして活躍していた彼女に対する殆ど臆測によって貼られた精神病のレッテル、レイプ被害、
親権剥奪とその後も繰り返される精神病院への入退院――。作品ではジョナサン前史という形で彼女の半生が描かれるが、
寧ろジョナサン以上に凄絶な彼女の半生に言葉を失う者もいることだろう。2年間に渡る電気ショック療法による症状の悪化、
更にリチウムの過剰摂取による再悪化という経過を辿った彼女の存在が投げかけるのは、
精神病と見なされた者がその医療の過程で本当に精神を病んでしまったという事実であり、それは悲劇という言葉では片付けられないほど重い。
特に、時を重ねていくに従って嘗ての面影が殆どなくなるまでになる彼女の変容は余りにも痛々しく、ジョナサンならずとも
「なぜこうなってしまったのか」という疑問を抱かずにはいられなくなるに違いない。
本作が描くジョナサンとレニーという二つの魂の軌跡はそれぞれ全く異なったものだ。「精神病」と「ゲイ・セクシャリティー」と、 両者の抱える問題も自ずから異なる。しかし、本作から透けて見えるのは、二人が「精神病」や「ゲイ・セクシャリティー」 に対する誤解と偏見に翻弄され続けてきたという真実である。特に、 ジョナサンのように自身の存在を受容する世界と自己表現という手段を得ることが許されなかったレニーにおいて、 その感は一層色濃く現れていると言えよう。その意味で本作が描き出すのは、ジョナサン自身の個人史/ 家族史であると同時に現代アメリカが孕む病理でもあるのだ。本作に冠された「ターネーション(=天罰)」というタイトルは、「神の国(= 「義と平和と精霊による喜び」)」を目指して建国されたアメリカの現実の一端を暴露し、それが偽りの「神の国」 でしかないことを突き付けているかのようにすら思える。
しかし、それでいて本作にはそうした現実を声高に告発するとか、
自身と母親を痛めつけた社会に対する怒りや憎しみといった暗い情熱とは一切無縁だ。それどころかジョナサンは、
この欺瞞と悲劇に満ち溢れた世界のただ中にあって、なお世界の美しさを肯定しようとする。ここまで過酷な半生を辿り、
それでも世界を受け入れることができるのはなぜなのだろうか。恐らくそれは、ジョナサンが愛の存在を、
愛の絶対性を確信しているからに他なるまい。現在の彼を支えるパートナーの存在も大きいかもしれない。が、
何よりもジョナサンが自分自身の過去を検証する過程で、
単に過酷なだけではなくその中にも揺るぎない愛の瞬間が確かに息衝いていたことを発見したのではなかっただろうか。
作品の最後に、奪われた幼少時代を取り戻すように再び母親と暮らすようになったジョナサンが、 静かに眠る母レニーの側で微睡む姿が映し出される。そのラストカットを包み込む空気にはどこまでも優しく、限りない慈しみが満ち溢れている。
筆者註)
離人感とは、端的に言えば「自分と自分を取り巻く世界に対する現実感が欠落、喪失した感覚/状態」のこと。
この感覚自体はそれほど特異なものではなく、ある種の状況下に晒された人間はしばしば体験するものだが、
この感覚が慢性化しているものを離人性障害(離人症)と呼ぶ。離人症患者が訴える離人感の症状は多岐に渡り、
鏡に映った自己像を自分と思えない、自分がロボットのように思える、
あたかも幽体離脱しているかのように自分自身を傍観しているように感じる、自身の周囲・視界が靄のような薄い膜に覆われているように感じる、
触覚や痛覚の鈍化及び麻痺、また記憶の脱落などがある。この病気は一種の神経症とみなされており、
効果的な薬物療法は現在のところ確立されていない。
ジョナサン・カウエット監督はこの「離人症」と診断されたとされているが、筆者の私見によればこれには些か懐疑的である。と言うのも、
ジョナサンの離人感の引き金となったのは、
PCP(エンジェルダスト:強力な幻覚剤の一種)が塗布されたマリファナ吸引によるものとされているからである。
PCPの作用の一つにこの離人感があることはつとに知られており、
こうした薬品由来の離人感は化学物質が体外に排出されることで解消されるのが一般的。ジョナサン自身、
マリファナにPCPが塗布されていたことを知らなかったようなので、
精神科医にPCPを摂取したことを申告しなかった(できなかった)ためにこのような診断が下されたと考えるのが妥当と思われる。
離人症の治療を難しくさせているのは、このような明確な病因が見当たらないがためでもある。
この病気に罹患した場合、日常生活そのものが遊離した状態に陥るが、
そうした日常に関する言及が全くと言っていいほどされていないことも不思議である。
尤も11歳から自分の姿を撮り続けているという特異な習慣を有していたことは、
自己像の喪失である離人症との関連性において考察に値することではあるが。いずれにせよ、本作において注目すべきは「離人症」
についてよりも、あくまでも「ゲイ・セクシャリティ」であろうかと思う。
電気ショック療法……ある種の精神疾患に対するこの外科的療法は現在でも行われており、 一定の効果を挙げている。しかし、当時は患者に対する人道的な配慮は全くと言っていいほどなされることはなく、 レニーのようにこの療法によって症状が悪化することがしばしばだった。 これはロボトミー手術(大脳の前頭葉から神経を切除する外科手術で、これによって患者の人間的な感情も失われた)と並ぶ、 精神医療史の暗部と言える。
(2005.8.9)
『ターネーション』
監督・編集・主演:ジョナサン・カウエット
エグゼクティブ・プロデューサー:ガス・ヴァン・サント,ジョン・キャメロン・ミッチェル
出演: ジョナサン・カウエット,レニー・ルブラン,デヴィッド・サニン・パス,
ローズマリー・デイヴィス,アドルフ・デイヴィス
(c)Kenshu Sannohe
8/6より渋谷シネ・アミューズほかにてロードショー公開中
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