顔立ちに簡潔な美をそなえた、ジョン役のジョン・ロビンソンが画面に現われると、妙に切ない空気がスクリーンに充満する。
顔に降りかかるつややかな金髪と、細身を強調する黄色いTシャツ。マティスの絵のモデルのように、個性的だが無駄のない顔の造作。
アル中の父を持つという設定も、優しい翳りとなってその清々しい官能をきわだたせる。
彼を前にしたガス・ヴァン・サント監督が、すっかり陶然としてキャメラを廻しているのは明々白々なのだが、その恍惚は一人ジョン・
ロビンソンに留まることなく、いつもと同じ日常を送る高校生たち、秋枯れた戸外の風景、学校の廊下、図書室、カフェテリアといった、
被写体のすべてに及んでいる。監督がキャメラを向けることにあまり乗り気でないのは、終盤訪れる無差別殺人の場面だけだ。
わずか81分しかない映画の意表を突く幕切れ。それは監督の「もう撮らなくていいよ」という生理的嫌悪の表明とも取れる。『誘う女』
(95)や『グッド・ウィル・ハンティング』(97)や『小説家を見つけたら』(00)といった凡庸な近作に、
監督自らが抱いていたにちがいないフラストレーション。それは「特に撮りたくもない場面」を、
シナリオが要請するままに撮らねばならないという、映画の体裁を整えるためだけの退屈な作業にあったはずである。
虐待された青年の孤独と苦悩を描くだけならともかく、誰が好き好んでミニー・
ドライバーの"お茶目な女子大生"ぶりなんぞ撮りたがるだろうか。ホアキン・フェニックスの裸だけならまだしも、ニコール・
キッドマンの裸には『アイズ・ワイド・シャット』を撮ったキューブリックほどの執着を感じられない監督は、『エレファント』において、
「この作品では撮りたいものしか撮らない」と決意してから撮影に取り掛かったにちがいない。81分という上映時間は、端的に言って美しい。
繰り返すが、誰がどう撮ろうが惨たらしくならざるをえない殺戮シーン以外、監督の忘我の吐息が漏れ聞こえないショットはない。
初めてキャメラを与えられた子供のように、フレームに映るものすべてに興奮している監督がそこにいる。
少年少女たちのちょっとした仕草や立ち居振舞い。同性愛についてのディスカッションに興じる彼らの生々しい表情。
カフェテラスのカウンターに並べられた大小の皿。ふっと画面に差し込んでしまう冷たい秋の陽射し。
そのような"なんでもないもの"のすべてが、今この世に誕生したばかりといった新鮮な驚きをもって余すところなく捉えられている。
考えてみれば、『ドラッグストア・カウボーイ』(89)『マイ・プライベート・アイダホ』(91)といった監督の初期作品には、
この種の驚きと詩情とがほの暗い翳りを帯びてあふれんばかりに漂っていたではないか。『エレファント』はガス・ヴァン・
サントの原点回帰の映画でもあるのだ。
キスをしたことのない二人の少年は、殺戮作戦を決行する朝、一緒にシャワーを浴びながらお互いの唇でキスを試してみる。
その新鮮な快楽に思わずのめりこんでしまう彼らは、これから人々を殺しに向かうからではなく、あくまで自分自身の死を意識したことによって、
同性愛的行為への畏れを払拭できたのだろう。ガラス越しにその哀切な光景を見つめる監督は、大量殺人の加害者、
被害者両面の心理を探ることではなく、死を覚悟した少年の行動のみにスクリーンに映し出すべき価値がある、とつぶやいているようだ。
現実に起きたコロンバイン高校銃乱射事件そのものは、単なる題材として、スクリーンから限りなく遠くへ追いやられてしまっている。
したがって、この映画があの事件の深淵を見極めようとしているなどと考えるのは、客の勝手だが愚かなことだろう。それはテレンス・
マリック監督の傑作『シン・レッド・ライン』(98)が、太平洋戦争そのものを描こうとしたわけではないのとまったく同じ道理である。
命を落とすことになる高校生たちの一日を、細部も鮮やかに再現してみせることで、監督は一編の詩のごときフィルムを作り上げた。
悲劇を予感した日常は、その一瞬一瞬が美しい。
(2004.4.7)
主なキャスト / スタッフ
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虚しくなるような青い空 E soramove
「エレファント」★★★ ガス・ヴァン・サント監督、 ジョン・ロビンソン、アレックス・フロスト主演 青い空 時折の歓声。 四角い建物が 光に満...
Tracked on 2005/06/08(水)08:20:59
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