今月の注目作
(2003 / アメリカ / ガス・ヴァン・サント)
"見ること"をめぐる映画

小林 泰賢(ビデオアーティスト)

 人間だけでなく、動物からロボット、 果ては惑星までをも徹底的に擬人化しないではすまないハリウッド映画の製作方法は、 物語への感情移入を最大の武器にした逃れ難い世界観を形作る。もともと感情移入とは、世界に対する畏怖を自分の扱えるものにしてしまい、 あたかも自分が愛される魅惑的な女性であったり、冷血な殺人鬼や神であったり、無用になったロボットや、 果ては風の吹き荒れる荒れた空であったりすることによって、世界を理解可能な、共感できる対象に変えてしまうことによって成立する。 そもそも人間というもの自体が感情移入の怪物であり、ハリウッド映画はそれを十分に研究した制作方法を作り上げることによって、 世界映画として君臨し続けているわけだ。そんな具合に感情移入がハリウッド映画の大きな武器であるとするなら、この映画「エレファント」 はそれに背を向けた映画だと言える。それだけで僕は大いに評価する。 もちろん登場人物に感情移入することが徹底的に廃されているというわけではないが、 感情移入を誘発する装置を極端に少なくしているのは明らかだ。物語を構成することを極力廃し、時間を構成することに重点を置いている。

 それぞれに平等に死の可能性が与えられている登場人物たちが、映画の冒頭の時点では誰が犠牲者になるとも分からず、 多少前後する時間の中で同じ空間と時間を共有しているということがわかる。その時間の大半は、少年達が犯行に及ぶ日の時間なのだけれど、 観客はそれすら知らされない。ザッピングする映像はその時間を濃厚にするどころか希薄にして行くように思える。 明確な隠された意味に近づきそうで近づかないからで、映像でわかるのはこの少年がこの少女と付き合っているとか、彼と彼が友達だとか、 彼の趣味は写真だとか。そこからこの事件の原因やらに近づくわけでもないし、特定の誰かの悲しみに肉迫するわけでもない。

 固定したけカメラの前でフットボールに興じる少年達、そこに体育の授業でマラソンをする自意識過剰気味の少女が前を通りかかり、 空模様を気にする。彼女は過ぎ去り、そのあとにアメフトの選手のような体格の良い少年が通り過ぎる。 カメラは彼を後方から捉えながら建物の中に入ってゆく。カメラはそこに据えられ、人物が通過するのを待ち、 何物も選び取らないかとも思っていると、一人の少年を追い始め人称性を獲得するかと思う。しかしそのカメラは彼だけでなく、 アノニマスな視点以上のものにはならない。学校の建物、廊下のパースペクティブをただ提示するだけだ。

 映画のなかで、登場人物たちの誰が犯行に及ぶのかがはっきりするのは、ピアノを弾く、 学校で虐めにあっている少年の部屋を訪れた友人がベッドに寝転がると、脇にあるラップトップのPCで射殺ゲームに興じはじめるシーンだ。 犯行に及んだ、虐めにあっている少年が射殺ゲームに興じているというのは、コロンバイン高校の事件に限らず、 僕らがメディアを通してこれらの事件の原因として伝えられたものそのままであり、なんら新しい発見もなく、 それどころかある意味ステレオタイプでもあるわけだが、この映画ではあえてそれを表現することを避けず、 逆に我々の知らないであろう新事実や、新たに構成された心理描写を加えることはしない。 通常なら凡庸にならざるを得ないこれらの表現がそれを回避できているのは、「エレファント」が見ることに開かれた映画だからだ。

 サントが「サイコ」をリメイクしたとき、インデペンデントの監督達は、サントがハリウッドに魂を売ったと揶揄し、一般の観客からは、 旧作のプロットをそのまま使った「サイコ」のリメイクはつまらないとくさされた。サント版「サイコ」 はインデペンデント映画の好きな誰からも愛されず、一般客からも無視された。確かにこの映画をまともな映画としてみるのは難しい。 多くの人たちがヒッチコックの「サイコ」の重要な要素である、ストーリーと語り口の秘密を知ってしまっているし、それ以降、 この映画のフォロワー達も数多く輩出されているし、現在この映画より観客のニーズにこたえる、扇情的でオドロしい映画は巷に溢れている。

 けれどもこの映画は、プロットだけでなく、ヒッチコックのショットをも再現しようとしたことによって、 いわゆるリメイクとは一線を画したものになった。それはヒッチコックの映画を技法や話法としてだけ分析できるものの範囲を超え、 映画の歴史や存在とかかわるものを表出した。

 バストショットのサイズはこの時期の映画特有のものであり、サント版でのほぼ同じショットの再現は、奇妙な感覚なしに見ることは出来ない。 被写体とカメラの位置、被写界深度のあり方など、技術的な説明の範囲を超え存在するその構図やらを知られざる時代の要請と考えると、 それらはどのようにして選ばれ、それらを失えばこの映画はどうなるのだろうかという疑問がわく。

 サントの「サイコ」は僕にそういう興味を抱かせた。昔の有名な映画を現在同じように撮った場合、 一体どうなるのかという疑問を実際の映像で見ることが出来るという、 ある意味ハリウッド映画を使ったハリウッド映画の贅沢な実験だったのではないだろうか。そしてそれは見ることを巡る実験なのだ。 観客が見るものは時代によって変化し、「サイコ」を当時見た観客と、現在見る観客とが完全に同じ視線を共有するのは難しい。 われわれの時代の、ごく一般的でそれゆえに権威をもった物語やショットが、いつ透明性や一般性を失うかわからない。

 「エレファント」の冒頭とラストに映るコマ落としの空の情景は、 事件の前も後も空の雲が流れてゆくことを象徴してるとでも解するのだろうが、流れる雲に気持ちを代弁するという常套句は、 何故かこの映画に似合わない。ほかで廃されている感情移入をここでは大いに許されているともとれるが、 逆にその常套句自体は本来何をも意味していないとも言える。映画が要請する悲しみや怒りの物語がなければ、それは本来空で雲散するしかない。 もしくは意味へ行き着かない視線の映画なんてものは、本来ありえないのだろうか。

(2004.4.8)

2005/04/26/00:45 | トラックバック (1)
エレファント ,小林泰賢 ,今月の注目作
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