初めて東京国際映画祭(以下、TIFF)を体験したのは1987年だった。それ以来、数々の幸福な映画体験を筆者に提供してくれたTIFFは今回で22回目を迎える。
かつては、TIFF=Bunkamuraというイメージが定着していたが、この数年で段階的に渋谷から六本木への移行が進み、いよいよ今年はBunkamuraを撤退し、TOHOシネマズ六本木ヒルズとシネマート六本木が会場となった。
Bunkamura内のオーチャードホールにしても、シアターコクーンにしても、映画を鑑賞する場としてお世辞にもいい環境とは言えないが、そこに流れる映画館とは異質な空気を呼吸することでお祭り気分を味わい、それによって秋の訪れを実感していたことを思うと若干寂しさも残る。ポップコーンの臭いが漂うシネコンでの映画祭にはまだ少し抵抗があるが、スクリーンもスピーカーも椅子も快適な環境で映画を楽しめることをむしろ喜ぶべきだろうか。
昨年からエコロジーをテーマに打ち出して、ロゴもカーペットもグリーンに変わったTIFF。"Action! for Earth"の啓蒙を目的とした"natural TIFF"部門が新設され、環境への負荷が低いクリーン電力で上映することによって独自の方向性を示している。
他にも、招待作品、アジアの風、日本映画・ある視点、WORLD CINEMAなど多彩なプログラムを有するが、やはり映画祭の肝はコンペティションである。
高飛車な表題で甚だ恐縮だが、以下に記すのは今回のコンペにエントリーされた15作品についての筆者の主観的評価である。
20年以上TIFFに通い続け、チケット発売日となれば、チケットショップに朝から並んで、チケットを「取れた」「取れなかった」で一喜一憂するファンの一人として、各作品と真摯に向き合ったつもりである。作品によっては辛辣な内容になるが、ご容赦願いたい。
なお、今回のコンペでは全作品の上映後にQ&Aが実施されたが、筆者の都合によりQ&Aを観覧できた作品とできなかった作品があり、前者についてのみQ&Aのレポートを併せて掲載する。
『ACACIA』
辻仁成×アントニオ猪木の異種格闘技と言うべき本作は、話題性において今回のコンペティションの目玉と言える作品かもしれない。
時代から取り残されたような侘しい集合住宅。そこには老人たちが身を寄せ合うように慎ましく暮らしている。元プロレスラーの通称“大魔神”は何かと頼りにされる存在だ。ある日、彼はいじめられっ子のタクロウを助け、身を守る術としてプロレスを教える。やがて無責任な母親の育児放棄により、大魔神がしばらくタクロウの面倒を見ることになる。
高齢化社会、過疎化、育児放棄、ヤミ金地獄……などの問題を、シンプルなストーリーの中で奇をてらわずに描こうという作り手の生真面目さは感じるし、そういった現象の一旦を本作から垣間見ることはできる。しかし、それらの要素を主軸となるストーリーに絡ませて映画として昇華させる技巧を欠き、諸問題の上辺をなぞるに留まっている。
登場人物たちの心の痛みも極めて記号的である。タクロウと父親の予定調和のプロセスも余りに定石通りでどこか空々しく、今時の子供が大魔神との“鮫退治”に興じる無邪気な姿を見ると、作り手の洞察力に疑問を覚える。他にも不自然な場面が散見される。
言うまでもなく、現実のリアルと映画の中のリアルは別次元のものであり、どんなに非現実的でも映画の中ではリアルになり得る。極論すれば、映画作家は観客に嘘を信じさせる詐欺師であるべきと考えるが、生真面目な辻監督は詐欺師の才能を持ち合わせておらず、しかも洞察力に難があり、提示される嘘がどこか寒々しく、居心地が悪い。
アントニオ猪木が来場すれば、否応なしに会場のテンションは上がるだろう。しかも「ワールドプレミア」である。映画祭というお祭りを盛り上げるには、こうした話題性豊かな作品も必要かもしれない。但し、コンペでなくてもいいと思うが……。
『ダーク・ハウス/暗い家』
1970年代後半に起きた猟奇殺人の真相を追うポーランド製のスリラーである。
雪に覆われた一軒家で実況検分が行われている。容疑者の男は数年前に妻に先立たれたのを機に、家を離れて国営農場で働くことを決意。その道すがら宿を求めて立ち寄った農家で悪夢の一夜を体験する。
事件に至る経緯と、数年後に行われる実況検分の場面を巧みな編集で交差させながら、共産党支配下の時代の闇を露にする。
初めこそ猟奇殺人の真相に迫るサイコ・スリラーの様相を呈するも、それを捜査する警察と共産党の腐敗をも浮き彫りにする、二重構造を成している。
まず圧倒されるのは死の描写である。観客に心の準備をさせずに唐突にスクリーンに死を映し出す、その衝撃は圧巻である。雪に覆われた大地のまぶしいほどの白さと夜の闇、そのコントラストが視覚と感性を激しく刺激する。意表を突く巧みな編集は観客を翻弄する。そのテクニックには思わず舌を巻く。
やがて関心の対象は殺人事件の真相から、それを覆い尽くす時代の闇に向かい始める。大量の砂糖が紛失しても誰も行方を追わず、当時非合法組織であった「連帯」のメンバーが不可思議な事故死を遂げている。こうした理不尽な力に事件は呑み込まれようとしているが、真実に迫ろうと孤軍奮闘する警部補がいる。
陰惨な事件をめぐるスリラー、社会の腐敗を暴くサスペンス、そしてブラック・コメディ……、様々な側面を持ったユニークな作品であるが、難を言えば堕落した組織の中で孤立する警部補の信念が今一つ伝わってこない。彼の負の側面も含めて個性的な人物としてしっかり描き込まれていれば、ドラマ性に厚みが増して、見応えある作品に仕上がったのではないかと思う。
ヴォイテク・スマルゾフスキ監督の映像を構成するテクニックには脱帽するが、ストーリーを語る話術にやや難があり、スクリーンに今一つ引力が感じられなかった。
『イースタン・プレイ』
東京サクラグランプリ、最優秀監督賞(カメン・カレフ)、
最優秀男優賞(フリスト・フリストフ)受賞
首都ソフィアを舞台にしたブルガリア映画である。ルーマニア映画が世界的に脚光を浴びる一方で、お隣のブルガリア映画はと言うと、どうも心もとない。
本作はソフィアに生きる一組の兄弟を軸に展開する。兄、フリストは画家であるが、その才能を持て余しアルコールと薬物に溺れ、家族と距離を置いている。弟、ゲオルギはネオナチ・グループの一員となり、持て余したエネルギーを外国人排斥に向けようとする。
久しく疎遠になっていた兄弟を偶然めぐり合わせたのは、トルコ人家族への襲撃事件だった。ネオナチの一員として襲撃に加担するゲオルギと、トルコ人を救おうとして負傷するフリスト。国粋主義を軸に表裏一体の兄弟に、この事件は少なからず変化をもたらす。
ブルガリアとトルコの間には、歴史的に深い遺恨がある。共産主義の崩壊による民主化や貧困によって、トルコへの怒りが再燃し、極右勢力の台頭を許しているブルガリアの現状が背景にある。
襲撃事件を機に、ゲオルギは怒りを向ける方向に疑問を持ち始める。フリストは被害者の娘、ウシュルに恋をして、閉ざされた心を少しづつ開いていく。
本作が描くのはブルガリア社会の閉塞感であり、そこに希望を持てない若者たちの心の乾きである。更に、その結果として生み出されるアルコールや薬物への依存、外国人排斥などの反社会的行為を容赦なくカメラが捉える。地に足が付いたその真摯な描写に嘘は微塵も感じられない。
フリストがウシュルを追ってトルコを訪れるラストシーン。二人の間には大きな障害があり、決して彼らの幸せが約束されるわけではない。しかし、変化は確実に起きている。さりげないショットからこぼれ落ちるささやかな希望が深い余韻を残す。
本作は、フリストを演じクランクアップ直前に帰らぬ人となったフリスト・フリストフに捧げられている。薬物依存が死因らしい。役柄を地でいくようなアーティストだったが、映画のような再起を現実に果たせなかったのは残念である。
(2009.10.30)
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第22回東京国際映画祭 (10/17~25)
コンペティション部門
『ACACIA』( 2008年/日本/監督:辻仁成 )
『ダーク・ハウス/暗い家』( 2009年/ポーランド/監督:ヴォイテク・スマルゾフスキ )
『イースタン・プレイ』( 2009年/ブルガリア/監督:カメン・カレフ )
- (著) 辻 仁成
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主なキャスト / スタッフ
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