若松孝二(映画監督)
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
『赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言』
DVD発売をめぐって
2月27日DVD発売!
昨年大ヒットを記録し、若松孝二監督の集大成にして最高傑作となった『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、若松孝二の帰結ではなく新たな全盛期の始まりを高らかに告げる初々しい作品となった。今回、待望のDVD化に合わせて38年前に製作された『赤軍-P.F.L.P. 世界戦争宣言』のDVD化も実現した。若松監督に両作への思いと共に撮影の裏話からピンク映画、幻の企画、次回作に至るまで様々なエピソードを伺った。
若松孝二(映画監督)
1936年宮城県生まれ。高校退学後に上京。職を転々とした後にテレビ映画の制作進行となる。1963年に『甘い罠』で映画監督デビュー。以降ピンク映画を量産し、1965年には若松プロダクションを設立。『壁の中の秘事』がベルリン映画祭に出品され、一躍若松の名を有名にするも日本国内で国辱騒動が起こる。
若松プロでは大和屋竺、足立正生、沖島勲らが脚本、助監督で若松を補佐。また彼らの監督作を若松がプロデュースすることで60年代の日本映画に特異な才を輩出させる。
1970年、カンヌ映画祭監督週間での日本映画特集に若松と足立が参加。帰路パレスチナに立ち寄り撮影された記録が『赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言』として公開される。1972年にATGで監督した『天使の恍惚』は公開があさま山荘事件直後となり、その内容の過激さと共にマスコミからの非難を集め、ATGメイン館である新宿文化以外での公開が中止となる。
1976年、大島渚監督作『愛のコリーダ』をプロデュース。以降、一般映画に本格的に進出し『餌食』『水のないプール』『われに撃つ用意あり』『寝盗られ宗介』など話題作を発表。2008年、念願の企画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の映画化を実現。大ヒットを記録する。
その他の監督作に『血は太陽よりも赤い』『日本暴行暗黒史 異常者の血』『性の放浪』『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』『犯された白衣』『新日本暴行暗黒史 復讐鬼』『金瓶梅』『通り魔の告白 現代性犯罪暗黒篇』『狂走情死考』『ゆけゆけ二度目の処女』『裸の銃弾』『現代好色伝 テロルの季節』『理由なき暴行 現代性犯罪絶叫篇』『新宿マッド』『性賊 セックスジャック』『聖母観音大菩薩』『十三人連続暴行魔』『聖少女拷問』『スクラップ・ストーリー ある愛の物語』『キスより簡単』『エンドレス・ワルツ』『飛ぶは天国 もぐるが地獄』『完全なる飼育 赤い殺意』『17歳の風景 少年は何を見たのか』他多数。
プロデュース作に『堕胎』『裏切りの季節』『ニュージャック&ベティ モダン夫婦生活読本』『夜にほほよせ』『戒厳令の夜』『赤い帽子の女』他。
若松孝二 初期傑作選 DVD-BOX / DVD-BOX 2 / DVD-BOX 3 / DVD-BOX 4
――『実録・連合赤軍』は、ロードショー公開以降も団塊の世代を中心にした客層でロングランが続きましたが、団塊の世代にこの作品を通して監督が最も伝えたかったことは何ですか。
若松 街には監視カメラがいっぱいあるし、大学では構内にポスターも貼れない時代だからね。何でお前たち黙っているんだ、かつての元気の良さは一体どこに行ったんだって。この映画が出てきてから、そんな連中が顔を出すようになったけど、それまではみんな知らん顔して、今の若い奴は何もやってないとか言うだけ。あさま山荘事件を契機にして運動を止めたことがね、俺はいちばん腹が立つ。何故自分たちがやってきたことを誇りに思って俺たちはやったんだと言わないんだと。
――団塊の世代だけではなく、若い世代にも熱狂的に受け入れられていますね。
若松 同じ年頃の連中が何故こんなに燃えたのかということに惹かれるんだろうな。時代は違っても人は変わらないから、感動を与えたんじゃないかな。国家は歴史を隠そうとするじゃないですか。あさま山荘でも消そうとしたことを映画には時効がないからフィルムをかっぱらって焼かない限りは50年後も100年後も観れる。だからきちんとした形で残したかった。猫が死んだり、ガンで彼女が死ぬとか大層な映画作ったってしょうがないでしょう。余命がどうとか死ぬ奴は死ぬよ、運命なんだから。イラクだってガザだって何人死んでると思う。みんな殺されてるわけだからさ。
――そういう意味で『赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言』が今回DVD化されるのは象徴的ですね。若松プロダクション製作、共同編集-赤軍とクレジットされていますが若松監督はどの程度携わっているのでしょうか。
若松 DVDにしておけば残るしね。俺は金を出したのと、撮ってきただけの話で、足立(正生)がほとんど編集してる。最初は足立に騙されたようなもんだと思ったけど、パレスチナに行って向こうの人たちと会って撮ってる間に段々自分の物の考えが何て貧しいんだろうと。世界にはこうして国を追われて闘っている人たちがいる。俺が最初テレビか何かに売って金儲けをしようなんて思ったことがね、手前の恥を知れって思った。俺が出来ることは、俺は手を汚すじゃないけども、賛同する奴らに上映して歩けとバスを買って送り出すことだと。
――『実録・連合赤軍』は当初、足立正生さんが脚本を書かれるという話があったようですが。
若松 足立に書かせようと思ったんだけど、『幽閉者 テロリスト』みたいな観念的な映画にしたくなかった。60年代に何があったか、1972年までの学校では教わらない昭和史の一部を若い人たちにも分かるように作りたかった。だからインテリとか運動したフリをしている連中からはボロ糞に言われるとは思ってました。
――事件直後にあさま山荘事件を映画化しようと考えたことは?
若松 それはもう全然無かったですね。はっきり言うとショックだったんですよ。それに誰かが撮るんだろうと思っていたし、俺が撮るとその当時なら連合赤軍側からしか撮れなかったと思う。今撮ったからこそ、ただ起こった事実だけを撮ることができた。
――例えば若松監督の『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』の小平義雄事件、『新日本暴行暗黒史 復讐鬼』の津山事件にしても事件の再現というよりもあくまでモチーフとして使用されているという印象を持ちます。これまでは実録というアプローチには興味をお持ちではなかったのでは?
若松 『犯された白衣』では、新聞に載ってた看護婦寮で少年が何人も看護婦を殺して、少女を一人だけ殺さなかったという記事(リチャード・スペック看護婦大量殺害事件)を読んで、どうしてだろうと考えたらああいう映画になったんです。ただ、連合赤軍はある程度内輪を知ってますからね。ましてや俺自身が赤軍の黒幕と噂されたくらいだから、実録という形で描くことに抵抗はなかった。だからこの映画をやって売れなかったら裸になっていいやと思ってね、もう一度300万でピンク映画でも作って出直そうと。
――ご自分で製作費を出されているだけにリスクが大きかったかと思いますが。
若松 みんなボランティアでやらせてるんだろうとか言うけど、そうじゃない。ギャラに関しては共産主義をやったわけ。一か月に生活費がどれだけかかるんだとそれぞれ聞いて、子供が二人居て女房が働いてなくて家賃が幾らなら、月に何円保障しますと。彼女と一緒に住んでて家賃を折半しているから何円とか、上も下もなく一人一人の事情に合わせた。だからARATAが高くて誰が安いということもない。
――山岳ベースの撮影では3日の予定を1日で消化してしまったこともあったそうですね。
若松 それは予算の問題というよりも俺は元々撮るのが早いし、その頃になると俳優さんも顔つきまで全部連合赤軍の気持ちになってるから、テスト1回、本番1回でできちゃうんですよ。役者には、こっちは君たちの芝居を撮るのが商売だから自分たちで勝手に芝居しなさいって。そこまで持っていくのが大変だったけどね。
――最近の『17歳の風景 少年は何を見たのか』も含めて、近年の作品はドキュメンタリー要素が強くなってきたように感じます。脚本も以前に比べてそれほど細かく決めこまずに現場での処理を重視している印象がありますが。
若松 そうですね。特に『17歳の風景』はテストもないし、NGもないんです。走っていくのを撮るだけだったから。ただ、昔からきっちりした脚本なんてないよ。足立なんて全然きっちりしてない(笑)。だから今でも自分が撮って貰いたいところが全部カットされたって怒ってる。きちんとした脚本を書くのは、やっぱり大和屋(竺)だったな。
――この作品はビデオで撮影されているので、そういった演出方法が巧く作用していたように思いますが、ビデオを使用することで演出スタイルに変化は?
若松 カットが長くなったな。フィルムだともったいないから直ぐカットかけてたけど。もう一回撮り直したいなと思ってもOKと言っちゃってたのが、ビデオだともう一回行ってみようかって平気で言える。今後はビデオがいちばん良いと思う。フィルムじゃなきゃ駄目だなんて時代じゃない。
――撮影の辻智彦さんとは、『17歳の風景』『完全なる飼育 赤い殺意』『実録・連合赤軍』とコンビが続いていますね。
若松 辻さんはドキュメンタリー出身だから、テストでも何でも(テープを)回すんですよ。だから編集が大変になる(笑)。でも辻さんはこの作品で三浦賞を貰ったし、毎日映画コンクールの監督賞と撮影賞も受賞した。映画のキャメラマンだと例えば「天気が悪いから待ちましょう」なんて言うけど(笑)、俺は風景を撮るんじゃない、人間を撮るんだからって。
――そういう意味では60・70年代にコンビを組まれていた伊東英男さんは若松監督の意図を尊重して撮るキャメラマンだったのでは?
若松 伊東さんはそうです。ただ伊東さんはよその監督で撮るとカスみたいな映像を撮ることもある(笑)。「えっ、これ本当に伊東さん?」っていうぐらい監督によって違う。だから辻さんもよその監督でやってどうなのか。今度ウチの若いので一本撮ったやつの撮影をやってるから、どういうものになってるか。
――その作品は若松監督がプロデュースされるのでしょうか?以前もうプロデュースはやらないと仰っていましたが。
若松 若松プロの作品になってるけど、俺はやってない。プロデューサーをやると損するんですよ。自分の映画で一生懸命儲けた金を全部吐き出すことになるからね。残りの人生は自分の映画を撮りたい。
――『実録・連合赤軍』の後に直ぐBS-iの『東京少女』の撮影に入るフットワークの軽さが若松監督らしいなと思いました。
若松 テレビの30分モノであろうが一切関係ない。『東京少女 岡本杏理/2話「家出のススメ」』なんか16歳の子(福永マリカ)がホン書いてる。最初、その子が書いたシナリオを撮ってくれってプロデューサーが持って来たんだけど、読んだら酷いんだよ。こんなんじゃ俺は撮らない、(プロデューサーに)君たちがいけないんだって言った。こういう少女にテレビってこういうものだって言うからいけない。とにかくその少女に俺を会わせろって。会ったら可愛い良い子で、「君ね、親と喧嘩したことないのか?」って聞いたら「ある」って言う。「いじめに遭ったことあるか?」って聞くと「ある」って言う。「じゃあ何で自分の身の丈にあったことを書かないの?」って。スポンサーが携帯会社だから携帯電話使うところさえあれば良いから、後は好きなこと書いて持って来い。そしたらこのおじいちゃんが孫の映画撮ってあげるからって。そう言ったら段々その子の目が輝いてくるんだ。それで次に書いてきたやつ読んだら面白い。
――ピンク映画にも通じますね。低予算でも好きなことができるという。
若松 ピンク映画ってのは、裸がどこかにあれば良いから、それを逆手に使えば良いんですよ。金がないからこういう映画しか出来なかったってのは嘘だからね。なかったらないなりに考えれば良いんだから。『ゆけゆけ二度目の処女』でも屋上だけで撮ったら安くあがるなと。『処女ゲバゲバ』だって、足立が監督した『女学生ゲリラ』を撮った帰りに同じスタッフで3日間で撮ったものだしね。
――『実録・連合赤軍』の中で、永田洋子と森が共に寝ているシーンがありましたが、セックスまでは描きませんでしたね。今回、セックスを描かなかったのは何故ですか。
若松 嫌いなんだよ。セックスシーンなんてのは、ピンク映画やってる時から嫌々撮ってた。
――『天使の恍惚』ではATGの作品でありながらピンク映画のフォーマットがかなり入っていましたが。
若松 あれはお客さんへのサービス。今度の映画はサービスする必要がない(笑)。
――音楽について伺います。劇中で、『天使の恍惚』に使用されていた「ここは静かな最前線」が渚ようこさんのカヴァーで流れていましたが意図は?
若松 単に音楽を使う予算の問題です(笑)。『天使の恍惚』のバーのシーンであの曲が流れていて、渚ようこのカヴァーがあったし、その時代の話だから丁度合うなと。
――ジム・オルークさんがああいう抒情的な音楽をつけてきたのが意外でした。
若松 みんなジム・オルークの音楽じゃないみたいって言うからね、そりゃそうだって。五回も書き直しさせたんだから。何故かと言うと俺は映像に合った音楽が欲しいんであって、ジム・オルークの音楽を映画にしてるんじゃないんだと。ジム・オルークは映画が監督のものだって分かってるから、監督がこれで良いと言うまで作りますと。
――最近HOT WAXから初期作品のサウンドトラック集が発売されましたが、60年代も音楽に対する姿勢は同じでしたか。
若松 昔は秋山道男が色々やってくれたり、小水一男がジャックスを連れてきたりした。俺の映画で音楽が良いとみんな言うけど、ようは勘です。『餌食』のレゲエはボブ・マーリーが渋谷公会堂でライブやったのを見て刺激を受けた。これで映画撮ったら面白いって。
――『餌食』のお話が出たので伺いますが、昨年秋葉原で無差別殺傷事件が起こった時に『餌食』のラストシーンを連想したのですが、あの事件についてはどう思われますか。
若松 ああいう事件が起きると前から言っていたからね。格差の時代になってきているし、進学校出身で、弟が頭良くて……。俺は同じ東北だからよく分かるんだ。だけど、みんなそうじゃない?「俺はこんなに頭良いのに仕事がない」とか思ってる。映画屋だって言ってますよ。「農業高校一年しか行ってない若松がこんな映画撮って、何で俺らが撮れないんだ」って(笑)。もし秋葉原の事件を映画にするなら、何故こうなったかを描く。ある時、突然ストレスで頭にスイッチが入るんですよ。そうなるともう分からなくなっちゃう。だから親殺しとかみんなそうですよ。評論家や新聞記者は色んなことを言うけれどもね、警察は行き過ぎた事件を早く解決したいから理由をつけたがる。やった人は本当に分からないわけ。何であれだけのことをやったのか、おそらく彼は今頃悩んでるんじゃないか。
――現代の派遣切りなどの世相を背景にした作品を撮ろうとは思われますか。
若松 次回作は現代を直接描くんじゃなくて、連合赤軍より前にあった戦争を背景にして江戸川乱歩の『芋虫』を撮ろうと思ってる。原作が書かれたのは昭和4年だけど、太平洋戦争に置き換えて、一銭五厘(赤紙の送料)で徴兵されて中国に行った兵隊が女をいっぱいレイプして殺す。戦争ってのはそういうもんだ。そして負傷して勲章いっぱい貰って手足が無くなった芋虫になって帰ってくる。帰ってこられても女房とかからすれば困る。そして原爆が落ちてケロイドになって……。そういうの俺、若い人に全部見せなきゃいけないと思ってる。映画だったら観るからね。今、脚本が上がってきて準備してる。
――『芋虫』は佐藤寿保監督で一度映画化されていますが(『乱歩地獄』)、神代辰巳監督も生前に映画化を希望されていましたね。
若松 神代さんの脚本も読みました。みんな文学的なんだよ(笑)。俺はもしかしたら満州(中国)にロケーションに行くかもしれない。昔の風景も残ってるからね。
――戦前と言えば、若松監督は『愛のコリーダ』をプロデュースされる以前にも足立さんの脚本で阿部定事件の映画化を企画されたことがあったそうですが。
若松 足立の脚本は出来上がってね、これは相当面白いんだけれども、最後に阿部定がオチンチン切ったやつを懐に入れてね、ポンと現代になるんですよ。それでオリンピック競技場を一回りする。田中陽造に脚本を書いてもらった『痴人の愛』も、ラストは都庁の前を軍隊が行進していて、ナオミが歩いてくる。そういう権力への皮肉がないと燃えないんだよな。だからそこを駄目と言われちゃうとね。ゴールが見えないとスタートできないから、俺の映画でいちばん大切なのは出だしと終わりなんですよ。『実録・連合赤軍』でも最初に何の関係もなく行軍するところがあるでしょう。みんな何だと思うよね。でもその印象を最初につけておいて、後半にそうかと分からせる。
――奥山和由さんの松竹失脚で製作中止となった『痴人の愛』は実現して欲しかったですね。
若松 『痴人の愛』は、色んな人がもう一回やりませんかって言ってくるけど、金を俺の前で見せない限り俺は動かないって言ってる(笑)。そんな話はいっぱいあるんですよ。だから『17歳の風景』でも飲み屋で横に座った志摩さんってのが「若松さんですか?」「はい、そうです」「私はあなたの映画が大好きです。やりたい映画ないですか?」また酔っ払いがうるせえって思ってさ(笑)、「『17歳の風景』ってのを撮ろうと思ってますけど誰も金を出してくれませんよ」「幾らぐらいあればできるんですか」「まあ、三千万ぐらいあればできますね」「面白そうですね」「金出しますか?」って言ったら出すって言うからさ、「あ、そうですか。ありがとうございます」(笑)。1週間したら企画書送れって言ってきたんで、お金を送ってくれないと準備に入れないと言ったら、ポンと送ってきた。それでその後に『完全なる飼育 赤い殺意』の話が来たんで、どうせ新潟で撮るんだから帰りにもう一本撮っちゃおうと。
――先ほどお話に出た『女学生ゲリラ』と『処女ゲバゲバ』の2本撮りを彷彿とさせますね。若松監督の60年代の息吹が蘇ったようで次回作の『芋虫』も楽しみにしています。
若松 去年はピンク映画の監督たちが大ヒットを飛ばしてるんです。『相棒』の和泉聖治はピンク映画出身だし、『おくりびと』の滝田洋二郎がそうでしょう。若松孝二もそうだから(笑)。日本映画ってのは、みんなピンク映画のお世話になってるんだよな。
(2009.1.27 CCREにて)
取材/わたなべりんたろう・港岳彦・モルモット吉田
文/モルモット吉田 撮影/内堀 義之
編集:赤軍(共産主義者同盟赤軍派) PFLP(パレスチナ解放人民戦線)
日本語版音声:戸浦六宏 中島葵 重信房子 岩淵進 松田政男 足立正生
(C)若松プロダクション
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 2008年 日本
監督:若松孝二 脚本:若松孝二 掛川正幸 大友麻子
出演:坂井真紀 伴杏里 地曵豪 ARATA 並木愛枝 菟田高城 佐野史郎 原田芳雄
(C)若松プロダクション
2月27日DVD発売!
主なキャスト / スタッフ
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