『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 「ある視点」部門
『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』『楢山節考』の原作者である深沢七郎は、この作品で第1回中央公論新人賞を受賞した。3名の審査員はこぞって衝撃を受けたと言い、そのうちの一人が三島由紀夫であった。
今年のカンヌ「ある視点」部門では、三島由紀夫が民族派の学生とともに「楯の会」を結成して戦後の日本に警鐘を鳴らし、純粋な情念に殉じて割腹自殺を遂げるまでを描いた若松孝二監督の『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(以下『三島』)が上映された。残念ながら受賞は逃したものの、今年のカンヌは日本映画の出品が少なく、他にはアッバス・キアロスタミが日本で撮影した日仏共同製作の『ライク・サムワン・イン・ラブ』が同じく「ある視点」部門に選ばれ、三池崇史監督のミュージカル映画『愛と誠』がミッドナイト・スクリーニング上映されるにとどまった。そんな中、『三島』は自主製作ながらカンヌに強烈な印象を残し、大いに話題となった。私は残念ながらこの作品の上映前にカンヌを後にしており、現地で観ることは叶わなかったのだが、昨年の完成披露上映会で既に観ており、今世界に示すべき日本映画としてこの作品がカンヌに選出されたことには大いに得心したものだった。さらに『楢山節考』を観ると、今年この作品とともに『三島』が上映されたことには奇遇以上のものを感じた。もしかしたらティエリー・フレモー総代表の、2本を並べて上映したいという野望が働いたのかもしれないとも考える。三島由紀夫が映画『三島』で描かれる晩年の行動に至ったのは、深沢七郎が左翼による天皇・皇族の処刑シーンを描いた『風流無譚』を推したために、ともに右翼から追われることとなったのも遠因となっているし、三島と木下恵介監督はパリで親交があった。因縁の3人が時を経てカンヌの祭典で一堂に会する……、映画が運んだ奇跡に胸が熱くなる。だがそんなロマンティックな巡り合わせだけではない。『三島』には『楢山節考』に通じる気高い死生観と時代を超えて息づく日本人の魂が備わっており、これらが今年カンヌで一緒に上映され、力強く精神性に満ちた日本の民族性が今世界に表されたことに、私は誇らしさと感謝を覚えた。
映画『三島』は社会党委員長を刺殺した17歳の山口二矢が少年鑑別所で自らの命を絶つシーンから始まる。激動の時代を、その後も当時のニュース映像などを交えながら描き、しかし映像は常にセピアがかって沈鬱だ。画面からはみ出すような荒唐無稽な豊かさを持ち味としてきた若松監督が、その怒りのパワーは内面に隠して、時代に急き立てられて引き返すことのできない道を歩む三島の焦燥と暗い情念を描き出す。全共闘運動の高まる中、天皇を中心とする日本の伝統と精神を守るために自衛隊の正規軍化を切願し、彼らとの決起を夢見た三島由紀夫は、しかし強大な警察力の前にもはや自衛隊にその力はないことを知り絶望する。だが自分たちだけでも決起しようという楯の会の若者・森田必勝の熱情に突き動かされ、自らの命を賭けた一度限りの壮絶なパフォーマンスでその思いを完遂させる。
若松監督は、大作家でありナルシストでありスキャンダラスな噂にも絶えなかった三島由紀夫像の怪物的要素を削ぎ落とし、彼の「純粋さ」というエッセンスだけを切り取って、その謎めいた行動の理由を見せた。事実がそんなに単純なものではないことは若松監督も承知の上だ。監督の視点は時代そのもの、時代を生きた人々にある。三島と同じ時代に生き、思想的には真逆で当時彼を理解できなかった若松監督は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で左翼の青年たちの葛藤を描く中で、国を憂いて無償の行動を起こしたのは三島も同じ思いではなかったかと思い至る。そして結局どちらも思いを今に残せていないではないかと痛恨して、右も左も関係なく、その混迷の時代の中で信念を貫いた人たちの魂を救い上げることに、世界を自在に作り上げることができる映画監督としての能力を振るった。それは太平洋戦争に召集された新藤兼人監督が部隊の中で数少ない生き残りとなったことに生涯負い目を感じ、犠牲者たちに報いるために人生最後の作品として『1枚のハガキ』を撮ったことに重なる。自分の直感を武器に映画を撮り続けてきた若松監督が、透徹した文学者でもある三島の思想を丹念に追い、執念深く撮り上げた渾身の落とし前なのだ。
抑えられた色調の映画の中で、透明さに息を呑むシーンがある。決起を前に白装束を着た三島が真剣と扇を持ち能舞台で舞を舞うシーン。一切の無駄がなく研ぎ澄まされた美意識に溢れている。心静かに彼らは自決の準備を整える。『楢山節考』に描かれたつつましくも美しい人間の姿に深く感銘した三島にとって、死はあの老婆と同じように恐るべきものではなく、閉塞を打ち破り自らであり続けるために選んだ道だった。その自決から結局何も変わってはいない、という怒りとともに、若松監督は若い俳優たちを追い込んで生々しく彼らの魂を蘇らせた。海外での三島への関心というのは文学者としての彼に対するものがほとんどだと思うが、日本の政治の時代を描くこの作品にカンヌで熱いスタンディング・オベーションが贈られたのは、閉塞した現状への憤りが現代でも国を越えた問題としてあり、信念を貫く姿が人々を突き動かしたからだろう。現地で観た知人によると、上映後には報道のとおりすごい勢いで監督に駆け寄る女性の姿があったそうだ。70代半ばにして思想を超え人間の純粋さを描いた若松監督の新境地が、ごくニュートラルに評価されたことは素晴らしいことだと思う。
(2012.07.8)