『ザ・ハント』 ~男優賞~
マッツ・ミケルセン、トマス・ヴィンターベア監督、トマス・ボー・ラーセンデンマークの気鋭監督、トマス・ヴィンターベアによる『ザ・ハント』は、噂により生じる集団ヒステリーを題材に人間心理の暗部を暴いて戦慄させる重厚な作品だった。幼稚園教師のルーカスが、親友の娘でもある園児のついた嘘から児童性愛者の疑いをかけられる。親友も園長も無実を訴える彼を信じず、噂はあっという間に駆け巡って、コミュニティ全体が彼と息子にまで敵意を燃やして排斥しようとする。窮地に追い込まれるルーカスに、それを冤罪だと知る観客は同情を覚えるが、一方で子供を標的にした犯罪は憎むべきものという真っ当な正義感を持つ人なら、果たして自分がそんな噂を聞いたときに偏見を持たずにいられるか……、と思いを巡らせ空恐ろしさを覚えることだろう。
タイトルになっている「ハント」とは主人公が趣味とする狩猟のこと。このモチーフは何重もの意味を持ち物語に巧みに活かされる。それは獲物を追い詰める原初的なスポーツであり、猟銃という凶器を使うため危険さを伴い、さらには仲間同士でその日の収穫について語るひとときまでを楽しむ紳士的な遊びでもあると言えよう。そんな腹蔵ない関係だった狩猟仲間たちまでもが手のひらを返したように冷酷になるのを見て、人間関係の脆さと人の理性の弱さに震撼する。平和に見えても誰もがストレスを抱え、より一触即発の危うさにあるのが現代なのだ。
嘘をついた少女は幼いながらもやがてことの重大さに気付き、真実をおずおずと語る。そしてルーカスの必死の訴えもついに人々の心を溶かして、居心地が悪いながらも以前と変わらない日常が彼に帰ってくるかに見える。だが思いも寄らない、そして判然とはしないラスト・シーンがまたも観客を突き落とす。噂という目に見えない暴力はどこでどう人を傷つけているか分からず、そして一旦広められたら回収し切れるものではないのだ。ヴィンターベアは記者会見で、「この映画はウィルスのように早く情報が流れる村の小宇宙にあります。インターネットによって世界は噂が飛び交う小さな村となりました」と、小さな町での事件としてだけではなく、情報化社会の底知れない不気味さまでも描こうとしたことを示した。そしてその後に「しかしこの映画で大切なのは人間の愛です。誤解があっても、寄り添おうとすることが大事なのです」と力強く語った。一般大衆の生活の実態をクールに描きながらも、奥底では人が本来持つ善良さを信じようとするヴィンターベアの思いが伝わるメッセージであった。
いわれのない暴力に一人どこまでも立ち向かうルーカスを演じたマッツ・ミケルセンの演技は鬼気迫るものであり、見事男優賞の栄冠も得た。会期前半での上映が終わると彼は帰国してしまっており、27日の授賞式には呼び戻されての出席となった。本人にとっても思いがけない受賞だったようだが、私としてはこの作品が評価されたことは大変嬉しかった。
『ラスト・アンド・ボーン』その他の受賞作で観ることができたのは、脚本賞と女優賞を獲ったクリスティアン・ムンジウの『ビヨンド・ザ・ヒルズ』とグランプリ受賞作のマッテオ・ガローネ『リアリティ』。
『ビヨンド・ザ・ヒルズ』は情緒不安定な若い女性が親友を頼って人里離れた修道院を訪ね、敬虔なコミュニティの中で孤立し悪魔払いの犠牲となる様子を描く作品である。閉じた空間での出来事を2時間半かけてじっくりと描き、シンプルながら緊張が途切れず、題材には『ザ・ハント』に通じるものがある。絵画のように美しい映像と強烈な自然音も印象的だった。
『リアリティ』は日本では昨年公開され評判となったガローネの前作『ゴモラ』とはまったく趣を異にする作品だった。テレビのリアリティ番組に出演した男が現実感を見失っていく様を、ナポリを舞台に鮮やかな色彩で描く喜悲劇だが、並居る強敵を抑えての受賞は私には意外に感じられたものだった。しかし会場外ではこの作品の招待状を譲ってという一般客がハリウッド作品以上に目立った。カンヌでは一般の観客が上映を観ることはできないのだが、正規の参加者から招待状を譲り受けて入場しようと待ち受ける人がかなり多くいるのだ。カンヌはイタリアと地理的に近いし、本国では熱狂的に支持されている監督なのだろうと感じた。また、審査員賞を獲ったケン・ローチの『ザ・エンジェルズ・シェア』とともにコメディだから賞レースからは外れるだろうという下馬評予想であったが、コメディ畑出身の審査委員長モレッティが、それに異議を唱えたということも考えられる。
『アムール』と並び下馬評での評価が高く、私も好きだったジャック・オディアールの『ラスト・アンド・ボーン』が無冠に終わったのは残念だった。5歳の息子を抱えながらカネも友もなく姉を頼って南仏に流れ着いた男が、シャチの女性トレーナーに出会う。それから間もなく彼女は不慮の事故から両脚を失うが、別世界の男との交流を通して絶望から立ち直っていく。男が身を投じていくストリート・ボクシングの世界の荒々しさとともに、孤独や生活することの苦しさ、若い男女の性への渇望も包み隠さず描いて、生命力に満ちた力作だった。激しく逞しいヒロインを演じたマリオン・コティヤールは脚のない描写も含めて素晴らしく、彼女の女優賞も堅いだろうと期待したのだが……。2009年にも『預言者』でハネケとパルム・ドールを競り合って敗れていたオディアールは不運としか言いようがないが、フランスでは既に公開を迎え、ヒットを飛ばしていると言う。日本でも驚きをもって迎えられる日を楽しみにしている。
『あなたはまだ何も見ていない』『ドッグ・デイズ』のウルリヒ・ザイドルの新作『パラダイス:ラヴ』は、ヨーロッパの富裕層の女性がケニアでアバンチュールに明け暮れる様子をセックス描写も執拗に描いた問題作。異国で老醜も忘れて解放感を貪る人間の性(さが)や、支配・被支配の関係など提起する問題は大きく、幻想的な映像も魅力的だった。『パラダイス』3部作の1作目となり、冒頭には他の作品からのシーンも収められていたが、知的障害者たちがゴーカートを激しくぶつけ合う、こちらも危うさに満ちた強烈な描写があって、圧倒され興味を惹かれた。公開されたら物議を醸すことは間違いないが、この個性派作家のシリーズ全てを観られることを願う。
ジョン・ヒルコートがオールスター・キャストで禁酒法時代の抗争を描いた『ロウレス』は暴力の中に古典的なロマンスの要素も織り込んで魅せる快作であった。人気小説を原作とする娯楽映画ながら現代のドラッグ戦争までを視座に入れ骨太だ。ミュージシャンのニック・ケイヴが脚本を手がけたことも注目された。
今年90歳を迎えたアラン・レネの『あなたはまだ何も見ていない』はトリックとフランス映画らしいエスプリの効いた刺激的な作品だった。ミシェル・ピコリ、マチュー・アマルリックらの名優が本人役で出演し、劇作家の訃報を受けた彼らが南仏の別荘に集められるところからミステリアスに映画は幕を開ける。深々とソファーに腰掛けながら、彼らは遺言として若き日に演じた芝居『エウリディス』のリハーサル光景の映像を見せられる。スクリーンに映される緊迫した芝居と、部屋での冗長な会話劇という2重構造はいつしか現実の壁も突き破り、一人、また一人と立ち上がって芝居を始めていく。画面分割などの視覚的な技法にも幻惑され、フィクションと現実、若い日の情熱と人生で重ねた経験とが交錯するレネならではの妙味を堪能した。これが私にとってカンヌで観る最後の作品となったが、カンヌの熱狂を後にし雨の中バス乗り場に向かう間も余韻が続いて幸せだった。