井浦 新 (俳優・クリエイター)
映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」について【3/4】
2012年6月2日(土)より全国ロードショー
先日閉幕となったカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映され、話題を呼んだ若松孝二監督の新作『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』がいよいよ日本でも公開を迎える。晩年の三島由紀夫と、彼と行動を共にした「楯の会」の若者たちを、若松監督は連合赤軍の青年たちに寄り添ったように肉薄して映し、命懸けで変革を呼びかける男の姿は国境を越えて「美しい」と称賛された。新鮮な解釈での三島由紀夫を演じた井浦新さんに、カンヌ行きを控えお忙しい中、お話を伺う機会を得た。若松監督の熱い思いを受けての特別な演技体験や、監督の演出術について、そして筆者が前作『海燕ホテル・ブルー』公開時に若松組の「同志」とも言える大西信満さんを取材させていただいていたため、大西さんとのエピソードなども含めた魅力溢れる若松組の様子も語ってくださった。(取材:深谷直子)
――元々三島由紀夫への関心はあったんですか?
井浦 三島由紀夫は知ってしまっていました。60年代・70年代を掘り下げる中で。だからその知識を削ぎ落としていって、台本に描かれたある一人の男を自分はどう感じるのかというところに持っていきたかったんです。僕が読んできた三島由紀夫さんにまつわる本というのは、三島さんが生きているときに書かれたものもあるし自決してから書かれたものもありますけど、他人が見た三島さんなのでどうしても美化されていて。自分がその情報を持って演じたらきっと同じように美化してしまう、それをどうしても避けたかったんです。若松監督も三島由紀夫という一人の男を英雄にしたいために映画を撮るわけではなく、描きたいのはその時代そのもので、その時代を命懸けで生きた人間たちを撮りたいのであって。そこに僕が持っている情報はすごく邪魔をするんです。だから僕が持っている三島由紀夫像を削ぎ落としていくっていうことが準備段階でしたね。向き合ったのは台本だけでした。若松監督はよく「台本を信じるな」と言うんですけど、今回はそんな若松監督の下で、台本の一言一句を自分の言葉にするぐらい向き合うという準備の仕方でした。普通こんなに台本を読み込んで台詞が自分の言葉になってしまうぐらい入れるっていうことはあまりしないんです。台本の台詞やト書どおりにあえてやるお芝居の楽しみ方というのもあるんですけど、どうその言葉に血を通わせていくかというところに僕は面白味を感じていたので。だから監督の「台本を信じるな」という言葉は僕にとってとても腑に落ちる言葉で。
――若松監督のお芝居の持ち味ですよね。台詞を自分のものにして、現場の空気の中でアドリブが生まれていくというのが。
井浦 若松監督からしたら「役者なんだから台詞を覚えるのは当たり前だろう」というところからの話で、台詞を覚えた上で台本を信じるなということなんです。なのでそれができた上で台本を捨てて心で芝居しろっていうことなんだと自分は解釈しているんですけど。
――でも今回台詞の一言一句を自分のものにしたというのは、若松監督の作り上げた三島由紀夫像を完全にものにしたいと思ったということなのでしょうか。
井浦 僕が本当に撮影前も撮影中も意識していたのは、三島由紀夫さんではなくて若松監督でしたから。若松監督に向けて発していくお芝居であったし、若松監督がいるから意識を高いところまで持っていって、そこまで僕自身も跳べたわけだし。若松組でないとこの三島由紀夫は自分は絶対できなかっただろうなと思います。
――先ほど三島由紀夫を美化したくなかったとおっしゃっていましたが、私は逆に三島由紀夫に対して偏見を持っていたところがあったんですね。文学はすごく好きなんですけど、自決については、どうしてこんなことを?と分からない部分で。でも映画を観て初めて生々しい人間として見れたという気がしました。
井浦 当時でも文学のほうを好きだった方たちからしてみれば、政治的な活動のほうはやめてほしいという思いだったかもしれないですし、文学は好きだけど、やったことに対してはよく分からないという人が大多数だと思いますし。でもやっぱり文学も活動も一人の人間から生まれてきたものだから、両方を知ったときにどうしてこの文学が生まれてきたのかという本質を知るかもしれません。いろんな観方をしてもらいたいですね。映画として作っていてもベースにあるのは歴史として事実あったことであるわけで、あのような日本への思いを持って闘った人がいるということなんですよね。それは映画であろうと変わらないことで。もっと言うと若松監督が言いたいことというのはキャッチコピーにもなっている「どう生きるのか」ということだと思うんです。
――壮絶な生き方ですよね。自分の命と引き換えに世界を変えようというのは。演説から自決に至るまでのところは本当に悲壮で観ているのも辛かったですが、それを演じるというのはどうでしたか?
井浦 気持ちは荒れ狂っていないんですよね。演説のシーンを演る日も自決のシーンを演る日も静かな心でした。三島由紀夫さんが実際楯の会の若者たちと車に乗って「唐獅子牡丹」を歌って笑いながら市ヶ谷の駐屯地に向かっていく気持ちとなんかちょっとリンクして。死を覚悟した人間って眉間にしわを寄せて切羽詰まっているだけじゃない、あるところまで行ってしまうと、何かをなそうとする人たちの心ってもしかしたらものすごく清々しい思いなのではないかなって。初めて味わう感覚でしたけどね。市ヶ谷の駐屯地に向かって自決までのところはいちばん最後に撮っているんですけど、演説のシーンだけは撮影期間の真ん中のあたりで撮っているんです。自衛隊の訓練のシーンをまとめて撮るために2日か3日ぐらい『三島』は合宿があって、演説のシーンもそのときに撮ったんですね。そのシーンを撮る日の朝、ロケバスに向かって降りていったら下で大西くんが待っていて、何も言わずに握手を交わして、僕に敬礼をしてくれて、僕も敬礼で返して「じゃあ行ってくるね」って言って、大西くんはそのままずっと見送ってくれたんです。そのことがものすごく嬉しくて。大西くんが演じた倉持と三島さんもこんな関係だったらいいなあってちょっと思いながら。そういうこともあってか、これからあの演説シーンを撮るというのに緊張などもなく、どちらかと言ったらものすごく冷静な気持ちでロケバスに乗って現地に向かっていったのは覚えています。で、着いて本番が始まった瞬間に嵐のような気持ちに一気に動いていくという、そんな感じであのシーンは撮りました。なんせ若松組は1発目から本番が来るんです。じっくり芝居を監督とディスカッションしながら詰めていくというものではないんですよ。とにかく最初にする芝居、初期衝動を監督は撮ろうとするので、あのシーンも1発本番で。
――穏やかな気持ちから、一瞬で入り込んで。
井浦 入り込むと言うか、クランクインしたときから……、クランクインしていちばん最初に自分がした芝居に対して、監督はものすごく嬉しそうな顔で「OK!」って言ってくれたんです。そのOKをもらってからもう変な緊張とかがないんですよ。このまま突っ走っていくぞという気持ちで、役に入り込んでどうというのじゃなくて。撮影中は、集中力が途切れないようにという調整は意識的にしていたんですけど、でももう役柄に入り込んでというような状況ではなくなっていました。ロケバスに揺られていると市ヶ谷の駐屯地に向かっていく三島さんの気持ちになんかリンクしてしまうし、静かな気持ちで行けたし、で、着いて支度して「撮るぞー!」となったらいきなりその1発目に全ての思いを全部乗せて「解放!」する。自然と檄が溢れ出してきました。
――入り込んでいるんじゃなくて、もう本当に「なって」しまっているんですね。
井浦 なってしまってますね。
――『三島』では制服を着たり、自衛隊の訓練をしたりする集団行動が多く描かれるので、もしかしたらそういうことも現場での連帯感の要素になっているのかなと思っていましたが。
井浦 その要素じゃないですね。若松組の芝居に影響する繋がり方の要素というのは「合宿」なんですよ。『連合赤軍』も『キャタピラー』(10)も『海燕ホテル・ブルー』(12)もそうでしたが、撮影期間はみんなで合宿して、食事も寝るのも規律正しい時間の中で過ごしていく、っていうのが若松組の撮影の真骨頂であって。でも『三島』って実は合宿がいちばん少なかったんです。自衛隊の訓練シーンの3日間だけで、あとは全部関東近辺での撮影で、新宿に集合してロケバスに乗って現場に向かう、終わったら解散して家に帰って日常生活がある。そういうところがなんかいつもと違うなとも思っていましたし……、「あれ、今回の若松組はなんか違うぞ? あ、若松組なのに合宿じゃない!」って(笑)。現場が終わってから家に帰ってきてる若松組ってなかなかないぞ、と新鮮な感覚でした。でも今回に関してはそれがいい方向に作用したんです。なぜかと言うと三島由紀夫さんもそうだったから。昼間は楯の会で過ごしながら、夜は家に帰って家族と過ごすわけで、そこに自分の気持ちがリンクして。僕も現場で楯の会のみんなと会って、家に帰って家族と会って、三島さんはこんな気持ちだったのかなあと思ったんです。それを強く思えたからこそ……、これから三島邸を出て若者たちと車に乗り込んで自決に向かうというシーンを撮るときに、監督が「新、お前はこれから家族と別れるんだぞ。ドアを閉める前に振り向かないのか」と、唯一そこだけ自分の芝居に対して問いかけてきたんです。「えっ」と思ったんですが僕はそのとき「振り向きません」と答えました。監督は「そうか、分かった。お前がそう思うならいいよ」と。監督はもしかしたら振り向いた三島由紀夫の画がほしかったのかもしれないんですけど、僕は撮影期間はいつも家を出るときに、特にそういうシーンがあるときには、振り向かなかったんです。まだ家族みんなが寝ている中、その期間は子供の寝顔を見てから行くとかいうことができなかった。なんかもう心は家族と訣別しているんですよ。もしかしたら三島さんもこんな思いでいたのかなあと、毎日日常に帰るという状況の中で想像させられました。そういうこともあったからこそ、集中力が途切れないよういつもよりも強引に気持ちをキープしなければいけないっていうのが作用して、記憶がぼんやりしていたのかもしれないですね。
監督・製作・企画:若松孝二
企画協力:鈴木邦男 プロデューサー:尾崎宗子 脚本:掛川正幸、若松孝二 音楽:板橋文夫 ラインプロデューサー:大友麻子、大日方教史 撮影:辻智彦、満若勇咲 照明:大久保礼司 録音:宋晋瑞 音楽プロデューサー:高護 編集:坂本久美子 衣裳:宮本まさ江 キャスティング:小林良二 スティール:岡田喜秀
出演:井浦新,満島真之介,岩間天嗣,永岡佑,鈴之助,渋川清彦,大西信満,地曵豪,タモト清嵐,寺島しのぶ
若松プロダクション/スコーレ株式会社/2011年/日本/カラー/120分 ©2011 若松プロダクション