映画祭情報&レポート
第22回東京国際映画祭(10/17~25)
TIFF2009コンペティション15本斬り!【2/4】

古川 徹

『エイト・タイムズ・アップ』
最優秀女優賞(ジュリー・ガイエ)受賞

今や不況や失業といった問題が世界中の映画に暗い影を落としているが、フランスも例外ではない。
離婚歴あり、家賃も払えず職探しに奔走する女性エルザ。資格もなく、英語が苦手な彼女に世間の風は冷たい。アパートの隣人マチューもまた同じ境遇であり、次第に二人の心は共鳴し、惹かれ合う。
シリアスなテーマを扱っているが、その語り口は軽妙でコミカルでである。やがて二人ともホームレスとなり、それぞれどん底の生活を送るが、エルザとマチューを演じる、ジュリー・ガイエとドゥニ・ポダリデスの演技は飄々としていて悲壮感がない。二人の微妙な関係はありきたりなロマンスには発展せず、感傷など微塵もない。不器用な二人の間の悪さが生み出すズレが微笑ましい。
全編を彩るポップな映像と音楽はテーマに不相応とも思えるが、むしろ笑えない状況を敢えて笑い飛ばそうというポジティブな正のエネルギーがスクリーンから伝わってくる。
底辺で生きる人々に向けられた暖かな視線はケン・ローチ作品を思わせるが、紛れもなくフランス映画である。フレンチ・コメディ特有の軽さが全編を覆い、救いのない状況を前向きに捉え、不況に喘ぐ人々への応援歌を奏でる。
タイトルの"Eight Times Up"は、日本の諺“七転び八起”きの“八起き”を意味する。“七転び”を省略したところに、作品のポジティブさが表れている。 愛すべきフレンチ・コメディである。

上映後のQ&Aで、本作が初長編作品となるシャビ・モリア監督は、国際映画祭のコンペティションなど無縁だと思っていたので、連絡をもらった時は間違いかと思ったと、来日の喜びを謙虚に語った。劇中でも歌舞伎に言及する台詞があるが、モリア監督は俳句にも高い関心があるという。日本の諺“七転び八起”をタイトルに引用するあたり、なかなか日本通のようだ。
一方、エルザを演じた女優ジュリー・ガイエは「こんばんは。お元気ですか。ありがとう」と日本語で挨拶し、会場を沸かせる。気さくな人柄が窺える。
ホームレスを演じたことについては、主人公エルザは出産後鬱状態に陥ったのではないかと過去を想像して役作りに生かしたと語る。
脚本に惚れ込んだジュリー・ガイエは、プロデューサーも兼ねている。新人監督のモリアにとって、彼女は映画業界の先輩であり、頼れる姉のような存在だという。作品のビジョンをしっかりと共有し、撮影中彼女に対しては演技指導など必要なかったとベテラン女優に敬意を表する。
終始和やかに進んだQ&Aで、二人の掛け合いは正に仲の良い姉と弟といった雰囲気だった。

『永遠の天』

幼少時代に不幸な出来事により両親を一度に失ってしまった女性シンチェンが主人公、1990年代初頭から2008年の北京オリンピックに至る中国社会の変遷を背景に、苛酷な運命に翻弄される姿を描く。
映画の冒頭のニュースでは、レスリー・チャンが『覇王別姫』の撮影を終えたことを告げいてる。その後、レスリーの死、SARSの蔓延、北京オリンピック……などの出来事を連ね、中国の急速な近代化とその歪みを主人公の青春期と重ね合わせる。
SARSによって中国全土がパニックに陥る場面など実に興味深いが、こうした社会的背景はさほど意味を成しておらず、映画の主軸はシンチェンと幼馴染ユエンとの通俗的なメロドラマである。主要キャストは美男美女揃い、露骨に感動を狙った無理な展開が散見される。
女性監督による初めての長編作品であり、感動作に仕上げようという狙いが映像からも音楽からも随所に窺えるが、逆にそれが物足りない。クローズショットを重ねていく単調な画作りは、涙腺を刺激することを目的とした連ドラと同レベルであり、映画でしか表現し得ないものが何も感じられない。映画的要素が希薄なため、映画館に居ながら映画への渇望を感じてしまった。

上映後、登壇したのは次の4名。リー・ファンファン(監督)、リウ・ドン(女優)、フアン・ミン(男優)、コウ・ゲンシン(プロデューサー)。華やかなQ&Aとなった。
リー・ファンファン監督は、16歳で作家デビュー、その後ドラマの脚本家を経てニューヨーク大学で映画を学び、本作で長編映画の監督デビューを飾った才女らしい。
劇中でレスリー・チャンの曲が使われているが、監督自身がレスリーの大ファンで、ニューヨークでもいつも彼の曲を聴いていたという。レスリーはアジアを代表する大スターで、彼の歌は心に響くので映画に使いたかったと語る。
本作は中国の杭州と北京が舞台になっているが、杭州出身の観客から杭州を舞台にした理由を質問されると、2年半ほど前に初めて杭州を訪れた時、水墨画のような美しい風景に感動して、この地で撮影したいと思ったと監督が答えた。
Q&Aに花を添えたのは、二人の若い役者だった。十代から二十代後半までを演じた二人は、それぞれ役作りについて、メイクだけに頼らず、年齢に合わせて内面から演じ分けるコツを明かした。
観客からの質問で、約20年に渡るドラマを2時間以内で描くことの難しさが露見する場面もあったが、編集でカットされた場面もあり、いずれDVDの特典映像で見て欲しいと軽くかわすファンファン監督、そのしたたかさが印象に残った。

『マニラ・スカイ』

フィリピンで実際に起きたハイジャック事件を映画化した本作は、下層労働者の過酷な生活と無慈悲な社会をスクリーンに容赦なく映し出す。
事件の犯人を主人公に据えて、犯行に至る経緯を再現していく作品は枚挙に暇がないが、大抵の場合そこに感情移入の余地はない。
本作の主人公も例外ではなく、病気の父に治療を受けさせたいという動機は切実なものだが、その言動は理解の範疇を超えていて、感傷など一切寄せ付けない。海外への出稼ぎの申請に当たり、些細な不備を指摘される場面、またコピー屋での順番待ちの場面で、すぐに理性を失い、周囲に怒りをぶつける偏狭性は、過酷な状況下とは言え、明らかに常軌を逸しており、自己中心的で著しく忍耐を欠いた人格が伺える。
こうした人物が安易に目的を達成するために仲間の誘いに応じて強盗団に加わる展開は無理がなく、スリリングである。しかしこの男、困ったことに傲慢な立ち振る舞いとは裏腹に小心者で、素人強盗団に加わったものの見張りの役割すら果たせず、事態を一層悪化させる。
ここまでの展開は見応えがあるが、その後ハイジャックに至る経緯が唐突であり、犯行が浅はかという以前に、目的と手段が余りにかけ離れている。父親の治療費を捻出するという目的に対してリスクが高すぎる。しかも場当り的な犯行ではなく、ラストシーンは計画性を匂わせている。
作り手には「これは事実だ」というエクスキューズがあるかもしれないが、実話であれ、フィクションであれ、映画である以上、観客を信用させる説得力は必須である。むしろ事実であるからこそ、犯人を信じがたい愚行に向かわせた“何か”を探し当てて提示する責任が作り手にはあるのでないか。見応えある犯罪劇であるが、それを欠いてしまった一点が悔やまれる。

『見まちがう人たち』

日本ではなかなか観る機会のないチリ映画だが、なかなか個性的で毒が効いている。
医療事業の民営化により発足した企業と巨大なショッピングモール、言わば資本主義の象徴というべき空間を舞台に、そこに勤務する社員とその周辺の人々を、巧みな人物相関図上で、テンポのズレたユーモアで包みながら描いた群像劇である。
手術によりわずかに視力を取り戻し、企業の広告に利用される男、会社を支えているプライドを持ちつつも、転属と称した事実上の解雇の憂き目に遭うベテラン社員、整形手術の社員割引を利用して豊胸を試みる女性社員、ショッピングモールの万引き常習犯の女性に恋した警備員……、一癖も二癖もある人々が織り成す群像劇は、露骨な拝金主義と外見偏重に翻弄される姿を絶妙のバランス感覚と乾いたユーモア・センスをもって描写する。 ダンボール箱を抱えて、近代的なビルから“転職支援課”の侘しい社屋へと行進する姿は、エリートを自負する社員にとっては正に“死の行進”である。豊胸手術の費用によってバストのボリュームがランク分けされる「美」と「富」の直結、盲目の時は保たれていたバランスがわすかに見えることによって失われしまう皮肉……、こうした事象が感傷を排して淡々と描写され苦笑を禁じないが、その行間には地球の裏側にも通じる現代人の不安が垣間見える。
絶妙の“間”と毒を含んだユーモアはアキ・カウリスマキ、遠近感を強調した奥行きのある画面構成はロイ・アンダーソンを髣髴とさせ、南米の作品ながら、どこか北欧の匂いを漂わせているのが興味深い。
劇中に騙し絵のようなショットが散見される。外見の美しさやお金など、目に見えるものを信じすぎて物事の本質を見失っていないか。そんなメッセージを感じ取ることが出来る佳作である。

『激情』 審査員特別賞受賞

情熱的、且つ暴力的、更に破滅的なラブ・ストーリーであり、上質なサスペンスでもある。
舞台はスペイン。コロンビアからの出稼ぎ労働者ホセ・マリアは、同じくコロンビア出身の恋人ローサが差別的な扱いを受ければ、相手を容赦なく打ちのめす気性の荒い男である。仕事を解雇され、恋人を侮辱された彼は逆上して殺人を犯してしまう。異国の地で彼が唯一身を隠せる場所は、ローサが家政婦を勤める屋敷の屋根裏部屋だった。ローサにすら知られず身を隠したホセ・マリアと彼女の奇妙な“同居生活”がスリリングに描かれる。
誰にも存在を知られず息を潜めてローサを見守り続けるホセ・マリアの孤独。男には女の姿が見えるが、女には男が見えない。男には女の痛みが見えるが、女には男の孤独が分からない。そのギャップが閉塞感を煽り、階下で起こる出来事、電話などの小道具を巧みに用いた展開が緊迫感を生み出す。見事なプロットである。
息を潜めて人知れず歪んだ愛情を注ぐ男の孤独は、昨年のコンペで上映されたイエジー・スコリモフスキ監督の『アンナと過ごした4日間』と対を成している。男の性格は対照的で、状況もまったく異なるが、愛情の対象を監視し、見守るその切実な視線は両作品に通じている。
惜しむらくはラストシーンである。昨年の『アンナ~』のラストシーンは1年を過ぎても未だ脳裏に焼き付いているが、本作のそれはインパクトを欠いている。残酷な結末ではあるが、作り手が登場人物に情をかけてしまったためにラストで失速した感が否めない。
サスペンス映画の傑作はラストシーンの衝撃と共に記憶に刻まれるものであるが、本作はあと一歩のところで及ばなかったというのが率直な印象であり、とても残念に思う。

(2009.10.30)

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第22回東京国際映画祭 (10/17~25) 公式
コンペティション部門
『エイト・タイムズ・アップ』( 2009年/フランス/監督:シャビ・モリア )
『永遠の天』( 2009年/中国/監督:リー・ファンファン )
『マニラ・スカイ』( 2009年/フィリピン/監督:レイモンド・レッド )
『見まちがう人たち』( 2009年/チリ=ポルトガル=フランス/監督:クリスチャン・ヒメネス )
『激情』( 2009年/スペイン=コロンビア/監督:セバスチャン・コルデロ )

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2009/11/02/00:16 | トラックバック (0)
古川徹 ,映画祭情報
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