前述したようにブルース・リー特集も編まれた今年、TIFFではアート系の秀作も数多く上映されたが、全体的にはエンターテインメント色の強い映画が目立っていたように思った。初日に立て続けに『モンガに散る』、『ソーシャル・ネットワーク』という超弩級ドラマを観てしまったことの印象も強いし、巨匠たちの新作にしても、スコリモフスキの『エッセンシャル・キリング』は極限状態での壮絶な逃亡アクションであり、ポランスキーの『ゴースト・ライター』は二転三転するめまぐるしい政治スリラーだった。コンペティション部門でも、『ブライトン・ロック』という粋な60年代イギリスを舞台とするピカレスク・ロマンが光っていた。不景気への反動で、映画を観ているときぐらいはスカッとしたいということなのか。と言って安易に作られたものではなくて、緻密に練られて時代を映し、映画の可能性を押し広げてくれるような傑作揃いであったと思う。
『モンガに散る』
2010年12月18日(土) シネマスクエアとうきゅう他全国順次ロードショー
(c)2010 Green Days Film Co. Ltd.
Honto Production All Rights Reserved.アジアの風部門「台湾電影ルネッサンス2010~美麗新生代」のオープニングを飾った本作。今年の台湾映画として最高動員記録を樹立し、ジョン・ウーが絶賛、という評判も納得の鮮烈さだった。舞台は1980年代の台北の中心街・モンガ。母親と共にこの街に越してきた高校2年生のモスキートは、転校初日から不良たちに絡まれるが、大勢を相手に立ち向かう姿をドラゴン、モンクらに見込まれ、仲間になる。ドラゴンはモンガを仕切る極道・ゲタ親分の息子であり、義兄弟の契りを結んだモスキートは黒社会に足を踏み入れることになるのだった。
血気盛んな若者5人が雑然としたモンガの街を駆け抜けケンカに明け暮れる前半は、痛快な青春ムービーの趣だ。だがしがらみと陰謀渦巻く黒社会でリアルな人生を歩み始めると、彼らの純粋さなどいとも簡単に踏みにじられ、みるみる道を狂わされるのだ。映画は思いもよらぬ転調を見せ、若者たちの美しい友情と、血で血を洗う凄惨な抗争とが、残酷なほど鮮やかなコントラストをなす。
監督のニウ・チェンザーはホウ・シャオシェンの『風櫃(フンクイ)の少年』などに出演してきた俳優でもあり、台湾ニューウェイブの申し子として育ってきた。しかし国際的には高評価でも自国の観客から近づきがたい感覚を持たれるニューウェイブに、個人的には違和感を持つ部分もあり、そうした映画とは違う、情感と質感を持った笑えて泣ける作品を自分では撮りたかったと言う。そのとおり、もろく傷つきやすい青春に涙し、壮大なドラマに痺れる極上のエンターテインメント作品に仕上がっている。桜や下駄や刀など日本的なモチーフを散りばめ、一方でアクション監督に『オールド・ボーイ』のヤン・キルヨンを韓国から招くなど、伝統的な中国アクション映画にはなかった硬質な要素を取り入れる工夫も映画を骨太にしていると言えるだろう。
主演のイーサン・ルアン、マーク・チャオは、台湾のテレビドラマで注目され頭角を顕してきた若手俳優。ほか『九月に降る風』のリディアン・ヴォーンなど人気上昇中の俳優が集まっているが、アイドル的な見せ方はない。80年代のいなたいファッションに身を包み、汗と精液の臭いも振りまきながら、友情を守り、裏切り、混沌の街を疾走する。
路地を舞台に若者の目線の届くごく小さな世界を描きながら、壮大なスケールの世界を作り出し衝撃を与えた本作が、私にとっても今年のTIFFベスト映画だった。ノミネートが決まったアカデミー賞外国語映画賞にも期待せずにはいられない。
『ソーシャル・ネットワーク』
2011年1月15日(土) 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
(c)2010 Columbia Tristar Marketing Group, Inc.
All rights reserved.9月にニューヨーク映画祭でワールド・プレミア上映されるや評論家たちに「今世紀を代表する傑作」と絶賛されたデヴィッド・フィンチャーの新作が、特別招待作品のオープニングとして日本に一足早く紹介された。世界中に5億人以上のユーザーを抱えるSNS“フェイスブック”をハーバード大学在学中に創り上げ、またたく間に億万長者となったマーク・ザッカーバーグの物語が中心だが、羨むべきサクセス・ストーリーなどではない。友情と裏切り、カネに階級、野心、反逆、そして孤独……。マークと、彼にアイディアを盗用されたとするウィンクルボス兄弟、そしてマークに裏切られたと言う共同経営者のエドゥアルド。この3者の視点から、捉えどころなく複雑で痛切な人間ドラマを語ろうとする群像劇なのだ。
エゴイスティックな野心家の若者の物語なんて、別に新しいテーマではない。80年代のバブルの時代あたりから空疎で怪物じみたキャラクターはさんざん描かれてきていた。そしてこれまで主人公になってきたのは資産家の優等生であるウィンクルボス兄弟や、実業家肌のエドゥアルドのほうだったはずだ。だが社会的資質が意味をなさなくなるのがネットの世界。マークはまったくの偶然から人々が望むツールを発明してしまい、ゲームのようにその中で支配者を演じるようになっていく。もちろん完璧なものを作り上げようとする情熱はすごいし、居場所のなさに憤る気持ちは分かる。だがそうした生身の感情を超えたところで歯車が動き出してしまい、世界を変えるほどの影響力を持つようになればなるほど孤独になっていくアイロニーに胸が詰まる。
映画は“フェイスブック”立ち上げまでの回想と、現在進行形の裁判との2つの時間軸を行き来し、サスペンスフルに進んでいくが、フィンチャー監督が多用してきたスタイリッシュな映像表現はここにはない。完璧と言っていいほど練られた会話劇の脚本を、緻密に忠実に映像化していくのみだ。物語が唐突に終わるように感じられる点も含め、とても淡々と思い入れなく展開する。そこに捉えどころないネットの世界の闇が重なるように思え、震撼させられるのだ。やはり紛れもない怪作。1月の日本公開時には大いに話題を呼ぶであろう。
アーロン・ソーキンさん、ジェシー・アイゼンバーグさんオープニング作品なのでフィンチャー監督にはぜひ来日してほしいところであったが、次回作『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』の撮影中とのことで参加は叶わなかった。だが主役のマーク・ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグと、脚本家のアーロン・ソーキンの2名が来日し、グリーン・カーペットではひときわ高い歓声で迎えられた。タキシード姿のジェシーは、若手の人気スターであるにも関わらず、この華やかな場でどこか老成したような超然とした雰囲気を漂わせていて、映画への期待を高めさせてくれたものだった。
私は映画祭では公開の決まっていない作品をできるだけ多く観たいと考え、配給の付いた特別招待作品を積極的に観ようとはしないのだが、今年はオープニングにこの『ソーシャル・ネットワーク』、そしてクロージングにベン・アフレック監督の『ザ・タウン』と、少しでも早く観たいと思わせる話題の新作が揃っていて、非常に食指をそそられた。シネフィルばかりではなく、一般の映画ファンにも足を運んでもらうために、娯楽性にも優れた秀作を紹介しようという姿勢が全体から感じられ、意欲的な印象を受ける今年のTIFFであった。
ただしバランスが重視され過ぎて、新しい才能の発見という部分ではもの足りなさを感じる部分もあった。現在開催中の東京フィルメックスが、今年は例年以上に自由度の高い作品を多くラインナップしており、観ていて衝撃を受けどおしなのとは対照的だ。
だが、世界が注目する国際映画祭としての立ち位置を確立することが、目下のTIFFの目標なのであろうし、明らかに今年は礎を築けたのではないだろうか。骨太な海外の秀作を紹介するとともに、日本のインディペンデント映画の発信にも力を注いでいるのが感じられた。今年から「日本映画・ある視点」部門はぴあフィルム・フェスティバルとの提携を高めており、インディ映画と映画祭の関係を探るシンポジウムも開催された。模索を続け、第25回となる節目の2年後にはさらなる飛躍を期待したい。
(2010.11.26)
主なキャスト / スタッフ
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