「イカとクジラ」(原題そのまま)という妙なタイトルが冠された本作は、ウェス・ アンダーソンの海洋冒険ファンタジー・コメディ「ライフ・アクアティック」(04)で、共同脚本に名を連ねていたノア・ バームバックが監督、脚本した作品である。……と聞くと、タイトルがタイトルだけに「ライフ・アクアティック」 のような海洋モノをついイメージしたくなるが、本作は海とは全く関係ないニューヨークはブルックリンで、 離婚問題に直面したインテリ家族の葛藤を描いた小品だ。
1986年のある晩、ブルックリンのパークスロープで暮らす16歳のウォルト(ジェシー・ アイゼンバーグ)と12歳のフランク(オーウェン・クライン)兄弟に衝撃が走る。両親が離婚するというのだ。 嘗ては脚光を浴びていたが今は鳴かず飛ばずの作家である父(ジェフ・ダニエルズ)と「ニューヨーカー」 誌に掲載が決まり新人作家として評価され始めた母(ローラ・リニー)という対照的な立場ということもあり、 父母の仲は決して良好とは言えなかったがそれにしたって唐突すぎる。 今後は共同監護という形で父の家と母の家を行き来することになると宣告された兄弟は、突然の事態に戸惑いを隠せない。 それでも二人はなんとか状況に適応しようとするが、少しずつ問題行動が顕在化し始める。しかし、「独身生活」を謳歌し始めた両親は、 そんな二人の異変に気がつく余裕がなくて……。
この作品がユニークなのは、子供の視点を通じて「両親の離婚」
という極めて深刻な問題を正面から扱っている割に、悲壮感や悲惨さをそれほど感じさせないことにある。
両親の離婚という事態は勿論だが、共同監護の名目の下に「生活」が寸断されていく状況、
更には別れた両親がその後それぞれ恋人を家に連れ込んでよろしくやり始めるなど、描かれる状況は子供にしてみれば相当酷い。
酷いのだけど、その酷さを表面的にはウィットや蘊蓄に富んだ台詞や人物間の会話に含まれる微妙な齟齬によって浮かび上がらせており、
ここにノア・バームバックの手腕が見事に発揮されていると言っていい。
インテリやスノッブに対する風刺とシニカルな笑いがちりばめられた本作のスタイルは、なるほどNYポストで「2005年、最もウディ・
アレン的映画」評されるのも大いに肯ける。
ただ、それはあくまでも「ウディ・アレン的」であるにすぎない。本質的にコメディアンであるウディ・アレンは、 自ら道化を演じることで作品をコントロールすることが多いが、ノア・バームバックは対象をもっとクールに突き放して見つめている。この為、 本作には笑いはあってもスラップスティックな要素や演出は全く見られず、洒脱な印象を与える会話が淡々と繰り広げられる、 どちらかと言えば地味な作品と見なされるかもしれない。
それでもこの作品が観る者を惹きつけずにはおかないのは、
極めてニューヨーカー的な洗練を感じさせる雰囲気の中に、登場人物達が生々しく息衝いているからに他ならない。例えば、
息子のことを愛情込めて「チキン」と呼んでしまう母親の勘違いっぷりや、息子のガールフレンドに割り勘を要求し、
息子とのピンポン勝負に負けそうになってマジ切れする父親の大人気なさ、
父親の言葉を受け売りして自分自身が芸術を理解していると思いこんでいる息子の痛さなど、日常風景を淡々と描くだけでなく、
その人物の価値観が嫌が応にも裏打ちされるような些細な言葉尻や挙措が実に丁寧に積み上げられている。
そうすることで、ノア・バームバックは「父親」「母親」「少年」「インテリ」「スノッブ」「ニューヨーカー」といった存在を異化することに成功しており、その異化作用によって引き起こされる笑いが観る者を魅了せずにはおかないのだ。
また、本作を単なる揶揄や皮肉に留まらない作品たらしめている要素として、 作品の根底に少年の成長というドラマがきちんと織り込まれている点も見逃すべきではないだろう。 これが本作に心地好い鑑賞後感を与える要因ともなっているのだが、観終わった後に気がつくのは、本作のテーマの選び方、アプローチの仕方、 演出の手法、そして作品の雰囲気などが、レイモンド・カーヴァー辺りのミニマリズム小説ととてもよく似ていることだ。 大袈裟なドラマは描かれないが、日常的な題材を淡々と描いて行間に隠された「ある種の真実」を汲み取り味わう、 そんなタイプの小説が好きな人には堪らない一本であるに違いない。
(2006.12.4)
主なキャスト / スタッフ
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