暑いっすね。ヒトでさえウンザリする、亜熱帯日本のこの猛暑(&湿度)。 毛皮をお召しのワンコ共には最悪の季節でありましょう。夕方というにはまだ早い時間、 散歩にやってきた大きな秋田犬がスーパーの出入り口に座り込み、店内から流れてくる冷気にようやく人心地(というのか?これも) がついたような顔をして、飼い主がいくらリードを引っ張っても、「てこでも動きません」状態になっているのを目撃。また、 近所のシェルティなんざ、毛刈りされて種類もわからない生き物になっちゃってますけど。基本的に、犬は都会の夏に似合わない。
冒頭、鳥肌が立つほどのスケール&迫力で観客を圧倒する、ヘラジカの群れの大移動―― 自身も冒険家であるニコラス・ヴァニエが、 その手触りを知る者ならではの眼差しで極北の大自然とそこに生きる人々をドキュメンタリータッチで描いた『狩人と犬、最後の旅』 は、残暑期の興行に相応しい涼作である。ユーコンの雄大かつゴージャスな四季の様相や、「最後の狩人」であるノーマン・ ウィンターのシンプルで品格のある生き方等々、ネイチャー物としての見どころ&見応えは充分。ただ、幼少期より「シンデレラ」や 「白雪姫」ではなく、「白い牙」や「荒野の呼び声」を愛読していた筆者の感慨は、犬のシアワセって、こういうことだろうな――。 これに、尽きる。
極北の地で罠猟師として生きるノーマンは「必要な分だけ」獲物を捕らえ、毛皮を売って現金収入を得る。 自然と共生し、ロッキー山脈に生息する動物の一員として日々命がけの、そしてごく淡々とした生活を送る。ここでは、 れぞんでーとるなどに悩む必要(と余地)はない。自らの知恵と力で生き抜くこと。厳しい冬を乗り切ること。それが全てだ。動物として、 実に健やかな生き方である。
そんな暮らしの相棒は7匹の犬たち。もちろん、単なるペットではない。 山も湖も真っ白な雪と氷の世界と化す冬、ノ-マンは犬ぞりで猟に出る。犬たちは渾身の力でそりを曳き、 嵐の夜も文句ひとつ言わず戸外で身を丸めて眠る。彼らの冬毛はふさふさと密生し、マイナス40度の寒さをものともしない。 有能なリーダーが率いる群れに属し、苛酷ではあるが充分に適応できる気候風土の下、運動能力をフル稼働させる場が約束されている。 犬の人生(?)として、これ以上のものはないだろう。狭いマンションの一室で洋服を着せられ、散歩すらままならず「猫可愛がり」 をされる生き物は、もはや犬ではない。
ノーマンの仲間は犬だけではない。彼の生き方を理解&共感する働き者の妻や友人たち、 夏の猟には欠かせない馬もいる。が、極地の猟師からあえて「余分なもの」を一つずつ削っていけば、最後に残る究極のパートナーは、 やはり犬なのだ。事故死するまで常に主人にピタリと寄り添っていた賢いシベリアン・ハスキー、ナヌークとノーマンの見事な連携プレー、 深い信頼関係で結ばれた心の絆を目の当たりにして、羨望のため息を吐かない者はいないだろう。年長の旧友アレックスも、 「年を取るってことは、犬を御しきれなくなるということだ」と、老いの哀しみを端的に表現する。猟師が犬を手放す、 それは山を下りるときなのである。
そしてシアワセな犬の「相棒」は、もちろんこの上なくシアワセな人生を送っている。 表情に卑しさの欠片もないノーマンの顔は、実に綺麗だ。本当に大切なことを見分ける目を持った、 だからこそ謙虚で自信に満ちた男の貌である。街の友人たちがノーマンを愛し、様々な便宜を図ってくれるのは、 GPSやスノーモービルではなく犬とカヌーで猟をする「真の狩人」への敬意だけでなく、 ノーマンが彼らの夢の体現者に他ならないからだろう。
シンプルで幸福な生活――。こんな簡単なことがどうにも難しいのは、 生きる上での優先順位をなぜか間違えてしまう、ヒトという動物の愚かしさゆえかもしれない。
(2006.8.17)
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