イヴァーノ・デ・マッテオ (監督)
映画『はじまりの街』について【2/4】
2017年10月28日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー
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──身近な日常の苦労を描いている作品で、身につまされる切実さは前作『幸せのバランス』などと同様に心に重く響いてくるものがあります。ハッピーエンドで問題を解決させることがお好きではないような印象を受けますが、もしそうであるならば、その理由は何かありますか。
マッテオ この映画は愛についての物語だと私は考えています。暴力に晒された人々の愛についての物語です。と同時に、愛だけではなく、友情や連帯といったものも大きなテーマになっています。ただ、DVを扱った映画ではありますが、もしDVを中心に据えて描くと、ほとんどが肉体的な暴力や罵り合いばかりになってしまい、観ていてとても辛い覗き見趣味の映画になってしまいます。それは避けたいと思っていました。インターネットが普及しているいまでは、残念ながら人間は暴力に慣れてしまって、まるでそれが普通のもののようになってしまっている。みんな覗き見的な興味で物事を見ることにあまりにも慣れてしまっているように思えるのです。なので、今回はDVもひとつのテーマですが、どうやって人生を立て直すかということに目を向けました。立て直しの物語です。ローマで暴力によって破壊されてしまった家族が、その町を捨ててトリノに行き、子どもやその友だち、学校、あるいは母親や彼女の友人という社会的な人間関係を探りながら生活を立て直していくという話になっています。また、よそ者の話でもあります。ローマもトリノも同じイタリアの町ですが、全く異なる町であり、ヴァレリオ(アンドレア・ピットリーノ)はトリノでは完全なよそ者なわけです。売春婦の彼女も外国人で、家の前にあるレストランのオーナーのマチュー(ブリュノ・トデスキーニ)もフランス人です。孤独な人々の物語とも言えるでしょう。そのような人たちがどうにかして立っていようとしてお互いに肩を寄せ合いながら生きている。ヴァレリオも全く知らない町に来て、誰も知り合いがいない中で、自分の生活を再構築していくための拠り所を探そうと必死になります。なのでそういう意味で、見知らぬ地でなかなか友人もできないヴァレリオは自分より年上のストリート・ガールに寄りかかっていく。あるいは、自分の父親代わりというわけではないけれど、マチューにも寄りかかろうとする。あるいは、母親の友人のカルラ(ヴァレリオ・ゴリーノ)を自分の疑似おばさんのように慕う。いわば、ヴァレリオは自分の周りの世界をもう一度作り直そうとしているわけです。しかしそれは本当のものではありません。マシューは父親ではなく、カルラはおばさんではない。売春婦の女の子は学校の級友でもガールフレンドでもない。彼よりも年上の人たちがもう一度道に乗って行けるように手を差し伸べているわけです。だから最後にヴァレリオが同年代の子たちと走っていく場面は、彼を売春婦やマシューのもとから離して、同年代の子とまたつながりができるように、正しい線路に戻していこうという気持ちが込められています。あのような結末にはしていますが、あの子が一年経った時に本当に普通の男の子に戻れているのか、乱暴な子になっているのかはわかりません。もしかしたら父親がローマからやって来て母親を殺してしまっているかもしれない。そういう意味では安易にハッピーエンドにはできません。
監督:イヴァーノ・デ・マッテオ 「幸せのバランス」「われらの子供たち」
出演:マルゲリータ・ブイ「はじまりは5つ星ホテルから」「母よ、」、ヴァレリア・ゴリーノ「レインマン」「人間の値打ち」、アンドレア・ピットリーノ、ブリュノ・トデスキーニ
原案:ヴァレンティーナ・フェルラン 脚本:ヴァレンティーナ・フェルラン、イヴァーノ・デ・マッテオ
撮影:ドゥチオ・チマッティ 編集:マルコ・スポレンティーニ 美術:アレッサンドロ・マラッツォ
衣装:ヴァレンティーナ・タヴィアーニ 音楽:フランチェスコ・チェラージ
原題:LA VITA POSSIBILE/英題:A POSSIBLE LIFE 配給:クレストインターナショナル
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