あまり大きな声では言えないが、妄想は楽しい。大きな声で言えないのは、
あらゆる妄想は精神的なマスターベーションだからだ。
だから、ベタなほど楽しい。ご都合主義なほど楽しい。趣味に走り、偏見に満ち満ちているほど楽しい。
"韓流"が中年女性のマイ・ドリームならば、中年男子の本懐は、今や日経の顔、 オッサン向けハーレクイン作家の頂点に君臨する渡辺淳一御大が生み出す、愛欲純愛ワールドだろう。そして本作はその最高峰、泣く子も黙る 『愛ルケ』である。『花王 愛の劇場』以外では許されないはずのタイトルセンス。深い肉体関係を伴った純愛という相変わらずのテーマ。 真のエクスタシーを知るものと知らないものの闘いを描いたという作者のコメント(なんだそりゃ)。何から何まで「無茶」 の一言に尽きる作品だが、だからこそキングオブ・妄想。迷いのない力技、清清しいほどブレない軸が、 オヤジ達の絶大な人気を博したに違いない。
というわけで、妄想ゆえの趣味と偏見に走りすぎたのか、
ハハアと頷けばいいのか失笑していいのかわからないシーンも散見する。たとえば、主人公の小説家が行きつけのバーのママに、
人妻である(おまけに子供が3人いる)恋人が(ダンナではなく)
自分との行為で初めてエクスタシーを得たことを嬉しそうに打ち明けたり、それを受けてママが、「女は、
ソレを知っている者と知らない者に分けられる」発言をしたり。
こうした子供っぽい自慢や理屈っぽい分類癖、それ自体はまあどーでもいいのだけど、所詮、仲間内で耳打ちして笑う程度のネタ。
それが異様にカッコ付けされ、力の入った芝居で開陳されたもんで、腰が抜けそうになったわたくし。これは真顔のギャグなのか? まさか、
本気!?
それはともかく、渡辺淳一ワールドの魅力は中高年男子の妄想を純化して純化して純化しまくった、 その徹底ぶりにある。であるならば、映像化に際してもやっぱりキモは怒涛のエロスであろう。知ってしまったからには戻れない。 平穏な生活を大切にしていても、体中の血が沸騰するような一瞬のためになら、すべてを捨てられる――― 展開に客が共感できるか鼻白むかは、一にも二にも"禁断の実"にいかに切なくも甘やかな毒を付与できるかではないか。つか、 もともと観覧に際してはそれしか期待してませんでしたもん。
ところが。最初から最後までなんも盛り上がらない。全編の約半分がラブシーン(ベッドシーン)
という点でも話題になった本作だが、朝っぱらからテレビでこのシーンが延々流れても、一家揃って平然と美味しく朝食をいただけそうな無害感、
この色気のなさはなんだろう。
たしかに、キレイな絵面だ。寺島しのぶの身体もキレイだ。
ベッドシーンだらけの割にはなかなか脱いでくれなくて、
下着の展示会かと思うほどいろんなスリップを着用したままトヨエツの上でハアハアおっしゃっているが、とにかくキレイだ。でも、
キレイなだけだ。これでは、心の奥底に誰もが燻らせている激情の種火には届かない。妄想の海には飛び込めない。
かくして、性愛の果ての純愛を貫くため、 自分への愛情は疑うべくもないが決して一緒に死んではくれない男の「最後の女」になるべく、 あえて恋人を殺人犯にした人妻の凛然たるエゴはついに輝かず、そんな彼女を赦し、「選ばれた殺人者」 であることを高らかに宣言した小説家の姿にも、まるで説得力は感じられなかったのである。
踏み越えたその「一線」から始まる甘美な修羅。しかし、
愛欲の花が持つ蜜の味も棘の痛みもまるで看取できなかった本作が、どのような客層を狙ったのか、本当にわからない。若い女性?主婦層?
倦怠期の中年夫婦?
「そんな手、処女にしか通じんわ」というのは、最近読んだマンガの台詞。しかし、こんなキレイゴトは処女にも通用しませんて。
(2007.2.20)
愛の流刑地 2007年 日本
監督・脚本:鶴橋康夫
撮影:村瀬清,鈴木富夫
美術:部谷京子
出演:豊川悦司,寺島しのぶ,長谷川京子,仲村トオル,佐藤浩市,陣内孝則,浅田美代子,
佐々木蔵之介,貫地谷しほり,松重豊,本田博太郎,余貴美子,富司純子,津川雅彦 他
公式サイト
c2007「愛の流刑地」製作委員会
主なキャスト / スタッフ
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