映画祭情報&レポート
第4回UNHCR難民映画祭(10/1~8)
「彼らの世界」と「私たちの世界」

夏目 深雪

連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR)が主催する難民映画祭では難民を描いた20本ものアニメやドキュメンタリーを含む作品が上映され、入場料は無料の代わりに寄付が募られる。だが、寄付、チャリティー、恵まれない人へのボランティアといった行為は、日本で一体どのくらい定着しているのだろうか。2000年に入ってから世相は不況を反映してか保守的・内向きになったと言われ、しかも2009年は2008年に起きたリーマン・ショックの余波で未曾有の不況と言われた。洋楽よりはJ-P0P、洋画よりも邦画に人気があるような時代に、地球の反対側で苦しんでいる他国の人たちの苦しみに、果たしてどれだけの人が実感を持てるのか。

そもそも難民とは何なのか? 現代の日本に生きる私たちに、一体どう関わってくることなのだろう。一人ひとりができることとは一体何なのだろうか。それを特に映画を通して、この映画祭を契機に考えてみたいと思った。何故なら、UNHCRの親善大使を務めるアンジェリーナ・ジョリーのメッセージどおり、「映画は、世界各地における難民の多種多様な境遇や生き様を紹介できる重要な手段である」と、私自身考えるからである。
難民映画祭会場(ドイツ文化センター)にて
難民映画祭会場(ドイツ文化センター)にて
私がアフリカ問題に興味を持つようになったのは『ダーウィンの悪夢』という、自分自身の消費活動がアフリカの人々の生活に関わっている可能性を突きつけた恐ろしいドキュメンタリーがきっかけであった。パレスチナ問題に興味を持つようになったのは、『ルート181』という世の中の全ての矛盾について考えを巡らさずにはいられないような優れたドキュメンタリーを観たのがきっかけであった。そして「難民」そのものに興味を持つようになったのは、いくつかのトルコ映画(その一つは今年度東京国際映画祭で上映される『私は太陽を見た』というクルド難民に関する映画である)を観たのがきっかけだった。故郷の村を追われ、命からがら逃げ延びた女性がイスラム過激派に助けられ、その教えに洗脳され自爆テロを試みようとする過程に鳥肌が立ち、また難民たちが、故郷を離れ大陸を渡り、新たな土地で新たな生活を始めようとする瞬間の、喜びと希望に満ちた表情に胸を震わせた。

「難民」と一言で言ってしまうと漠然としすぎているかもしれない。それは多様な国家、多様な民族の、多様なケースがあり、一言で「こうだ」と言い切れるようなものではない。しかしだからこそ一つ一つのケースに可能な限り寄り添い、観客に思考を強いるメディアとして、映画は多分最も優れている。難民の映画を観ることは、個別にアフリカ問題を、パレスチナ問題を、中東の問題を扱うと同時に「彼らの世界」と「私たちの世界」との分断線をも指し示し、探り、揺さぶりをかける実践である。結局は構造の問題なのである。「彼らの世界」と「私たちの世界」は現代の日本にだって存在する。非正規雇用と正規雇用の間にある分断線、外国人労働者と日本人労働者の間にある分断線、それらを「ない」と見ないふりをするのではなく、一方は使い捨ての労働力として搾取され、一方は搾取し支配する側となる、一方では加害者でありまた一方では被害者であるその分断線を可視化し、その現実を踏まえたうえで自分に何ができるか思考すること――それを実際に様々な難民を扱った映画を観ることによって、自分に課してみたいと思った。

1日目:『西のエデン』

西のエデン
(c) 2008 KG Productions
10/2(金)、『西のエデン』から。今年のフランス映画祭で上映されていたものの、見逃していたコスタ・ガヴラス監督の新作である。冒頭、貨物船によって不法入国をたくらむ男たちの中で、ひときわ美しい男が目を引く。この美男が、本作の主人公、エリアスである。エリアスは拙いフランス語で友人らしき男に話しかけたりもする。警備隊に見つかり、危うく海に飛び込み難を逃れたエリアスが、泳いで辿り着いた浜辺は高級リゾートビーチであった。ヌーディストビーチであるのか、裸体の男女が日光浴を楽しむ浜辺で、エリアスは急いで同じように裸になり、リゾート客のふりをし始める。そうこうしているうちに不法な移民を取り締まる警官たちが、そのビーチにもやってきて、捜索を始める。

そしてエリアスの逃避行が始まる。言葉を奪われ(拙いフランス語がたまに通じる程度だ)、その美貌だけが際立ったエリアスは当然ながら非常に特権的な身体性を獲得する。マジシャンに気に入られて助手になったり、男に襲われたり、有閑マダムに匿われたりする。そのマジシャンに、「パリにきたらリド(有名なナイトクラブ)に来い」と言われたエリアスは、その魔法にかかり、あてのない逃避行はパリを目指す目的を持った旅になる。しかしながら有閑マダムにもらった大金を男に騙され失ったおかげで、その旅は相変わらず受け身で、その言葉の拙さのせいで男に騙されたり、その美貌のおかげで女に自分との定住を求められたりする。ただ受け身とはいえ実際にはエリアスは、美貌と強く美しい肉体を持った男性であり、それがストーリーに力強さとユーモアを与えてもいる。エリアスが片言のフランス語で「パリに行くんだ」と繰り返す度に、幾多の移民や難民たちがそのような夢を持ったであろうことが想起され、その自由さや希望に、観客たちも胸を躍らせたりもする。

印象的だったのは、エリアスは楽士の高級コートを盗んだり、それを同胞の移民に盗まれてボロジャンパーを盗み返したりするのだが、エリアスの纏うものによって人々の反応が変わる点だ。ボロジャンパーを着たエリアスは、話かけるだけで嫌な顔をされ、店先に佇むだけで手で追い払われる。しかし高級コートを着ている時人々は話を聞いてくれるのだ。「移民」や「不法労働者」がヨーロッパの都市では記号化していることを一瞬で示す秀逸なシーンだ。
困難をくぐり抜けてついにパリに着き、件のマジシャンと会えたラストは、移民や難民たちの厳しい現実を反映しているようでも、希望は残っていると示唆しているようにも取れる、非常に両義的なものであった。魔法は潰えてしまったようにも、未だエリアスの内部に燻っているようにも見える。両義的であったのはラストにとどまらない。全編をとおして、自身が移民でもある監督だからこそできたことであろう、切実さと抑制の効いたユーモアの絶妙なブレンドに嘆息した。鑑賞後観客に残されたゴツゴツとした手触りは、「移民・難民当事者の人生」そのものの感触であり、それはその観客自身のものであり得たかもしれないと実感できるほど、リアルなものであった。

レポート1 - レポート2レポート3

第4回UNHCR難民映画祭 (10/1~8) 公式
『西のエデン』( 2009年/フランス、イタリア、ギリシア/監督:コスタ・ガヴラス )

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2009/10/12/18:30 | トラックバック (0)
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