インタビュー
増田久雄監督

増田久雄(映画監督)

映画『E.YAZAWA ROCK』について

「アンナと過ごした4日間」公式サイト

2009年11月21日(土)
新宿バルト9ほか全国ロードショー

今年還暦を迎えた矢沢永吉。
72年にバンド、キャロルとして衝撃のデビューを飾った後、ソロ・アーティストとして30年強、シーンの最前線にたち続ける前代未聞の〝全身ロッカー〟。
実は、オレもニュー・アルバムが発売されれば欠かさず購入し、各種媒体で独特の人生哲学を語る〝永ちゃん〟にシビれまくっている一人である。そんな彼の1979年から30年間の軌跡を追うドキュメント映画が完成した。題して、『E.YAZAWA ROCK』。
監督は、矢沢のキャリアが最初のピークを迎えた80年に公開されたドキュメント映画『矢沢永吉 RUN&RUN』(監督:根本順善)のプロデュースを手がけ、その後も『チ・ン・ピ・ラ』『魔女卵』『ロックよ、静かに流れよ』など、音楽にもアンテナをはった作品を多く世に問い、近年は『ラヂオの時間 』『13階段』『g@me』などの話題作を手がける映画プロデューサー増田久雄氏。北原陽一の筆名で、脚本なども多く手がける増田氏にとって、『E.YAZAWA ROCK』は劇場映画初監督作となる。
石原プロモーション勤務から映画業界入りしたという増田氏は、それこそ映画界の数多のスターたちと仕事をしてきた。その彼が、〝音楽界のスター〟矢沢永吉の映画を作る動機というのは果たして?
取材当日、オレが持参したいくつかの矢沢アイテムを前に、話は始まる――(取材・構成:佐藤洋笑

増田 あ、『KISS ME PLEASE』持ってるんだ。これは、『RUN&RUN』やった直前のアルバムだよね。「過ぎてゆくすべてに」(※1)とか、この辺は、僕にとっても馴染みのある曲だね……。『RUN&RUN』もよかったよね!

――『RUN&RUN』は、この傑作『KISS ME PLEASE』が発売された79年のコンサート・ツアーから、同年9月15日のナゴヤ球場公演を中心に構成されたもので、オレの年齢(34歳)より少し上の世代はこの映画で矢沢さんのカッコよさを知った人も多いと思います。増田監督が当時、『RUN&RUN』のプロデュースを手がけたきっかけというのは?

『E.YAZAWA ROCK』1増田 当時、矢沢の自叙伝『成りあがり』(※2)がベストセラーになって、その本を担当していた小学館の編集者・島本脩二さんは僕の友人で、その本を贈ってくれたの。で、それまでは詳しく知らなかったんだけど、矢沢永吉って人は面白いなと知って、お礼の電話をした。で、〝面白いね『成りあがり』、矢沢の映画を作ったら面白いだろうね〟って言ったら、電話の向こうでほくそ笑んでいる感じがするわけ(笑)。
彼曰く、〝マッさんはそう言うと思っていた。すでに、『成りあがり』映画化の話が邦画各社から来ている〟って言うのね。でも、俺、それはダメだよって言った。だって、『成りあがり』を〝劇映画〟にするっていうのは違うだろうと。〝矢沢の格好いい、美しい、素敵な姿っていうのは彼がステージで歌っている時や、曲を作っている時じゃないか。ドラマ仕立てにして、矢沢を主役にして、彼に芝居させたってそんなのダメに決まっている。撮るとしたら、ドキュメンタリー映画しかないよ〟って言ったら、彼がまたほくそ笑んでいる感じが見えるわけ(笑)。
何で笑ってんのかっていったら、矢沢も同じ意見だと言うんだね。で、〝矢沢に一度会わない?〟と僕と永ちゃんを引き合わせてくれた。でも、初めて会ったときには、映画の話なんてしてないんだ。とにかくお互い知り合おうと、酒飲んだり、メシ食ったり。そのうち、半年ぐらいしてからかな。永ちゃんが二人で飲んでいるときに、〝もう矢沢さん増田さんはやめましょうよ〟って。〝もう永ちゃんで行こうよ。俺もマっちゃんって呼ばせてくださいよ〟って。そんなことで、ふっと心が寄って、映画やってみようよって話になったんです。

――いや、その『RUN&RUN』は、当時のライヴの様子の記録としての貴重さのみならず、当時の日本で、ロック・ミュージシャンとして生きていくことは楽しいばかりでなく、孤独や、周囲との軋轢も孕んでいるものだったことを見事に映し出した、時代の空気を捉えた傑作だと思います。で、そこから30年近くを経て、改めて『E.YAZAWA ROCK』を撮るには、どんないきさつがあったんでしょう。

増田 『RUN&RUN』の後も、永ちゃんが〝アメリカでレコーディングしてきたんだ〟って新曲テープを持ってきて聞かせてくれたりして。僕が、誰だったか忘れたけど、東京ドームに外国アーテストのライブに行ったら貴賓席のボックスで、偶然会ったりなんて付き合いが続いていたんだけど、彼は音楽業界、僕は映画界で世界が微妙に違う。時が経つにつれて、なかなか会う機会も減ってきて。それで、おととし、二十年ぶりぐらいにまた会ったんですよ。そこで、飲んでいるときに『RUN&RUN』の話になって、もう一回見てみようかって。
でも、俺は映画屋だから、DVDでテレビのモニターで見るのとか、嫌なわけ。〝永ちゃん、忙しいだろうけど、どうせならスクリーンで見ようよ〟って。それで、ある試写室を借り切って二人で見たんですよ。それで、見ていると、スクリーンには30年前、30歳のギラギラした矢沢永吉が出てくる。それはそれでカッコいい。で、隣で一緒に見ている永ちゃんもいて……これがカッコいいんだ。30年経って、顔に皺も出てきて、当時と見た目は違ってきているんだけど、本質的なものは変わらない矢沢永吉がいるわけですよ。そうすると、映画を見ながら〝懐かしいな、あのロケの時は永ちゃんとこんなことあったな〟なんて思い出しながらも、もう一方で、自分の中に浮かんできているの『E.YAZAWA ROCK』2〝もう一回、矢沢永吉を撮りたいな〟って、理屈抜きで、衝動的に。で、見終わって、『RUN&RUN』は、30年前の映画だけど、よく出来たドキュメンタリーだよね、なんて話になって、〝永ちゃん、もう一回撮ろうか〟って僕が言ったわけ。でも、そのとき、永ちゃんは〝やろう、やろう!〟じゃなかった。〝映画やるの、映画館でやるの?〟って、ちょっと待ってよって感じだった。

――そうだったんですか。矢沢さんは昨年(2008年)、初めてコンサート・ツアーを休止して一呼吸置き、還暦を迎える今年になって久々の新作アルバム『ROCK'N'ROLL』を自身で立ち上げたレコード会社から発売するなど、怒涛の如く、精力的に活動されています。それこそ、この『E.YAZAWA ROCK』も、見事なタイミングの公開なので、周到に準備されたものだとばかり思っていました。

増田 新しい映画の話をした時は、もう翌週か、翌々週には100回目の武道館(2007年12月、矢沢永吉は通算100回目の日本武道館単独公演の偉業を達成した。その様子は『The Real Eikichi Yazawa 100times in Budokan』と題してDVD化されている)に向けてのリハーサルに入るって時期だった。だとしたら、もうリハーサルから撮りはじめたかった。でも、永ちゃんは、思いもかけないことを言われて、〝え?〟って感じだった。その時、永ちゃんが言ったんだ〝俺がやっぱり映画はやめよう、ってなったら、やめてくれる?〟って。俺は、〝もし、そうなったら、すっぱり、撮ったものは捨てる。だから、とにかく撮りはじめよう〟って返事をして、そこかろからはじまったの。

――映画ありきの企画でないと伺うと、随分、リスキーに感じます。

増田 リスキーではあったんだけど……でも僕はとにかく作りたかったのね、矢沢永吉の映画を。そしたら、永ちゃんは、映画好きで、意外とよく見ているし、業界というか、興行のこともわかっているのね。永ちゃんに、この映画は、全国百館、二百館というような展開は出来ないと思うって話をしたら、〝いいんだよマッちゃん。単館からでいいじゃない。『ホテル・ルワンダ』もそこから始まったんでしょ?〟って言うんだよ。永ちゃんがそういう考えでいるのなら、配給会社とも現実的な話ができるわけでね。でも、永ちゃんから『ホテル・ルワンダ』がでてくるとは思わなかった(笑)。

――『RUN&RUN』でも印象的に挿入されたリハーサルや打ち合わせの様子が、今回の『E.YAZAWA ROCK』では、より前面に押し出されている感じがありました。なんといいますか、矢沢さんの作品だけではわからない、仕事に打ち込む様子が垣間見えて……

『E.YAZAWA ROCK』3増田 あのリハーサルについては、何日もかけて撮ったの。カメラは一台でね。あまり何台も入れると、リハーサルの邪魔になるので、こちらのマナーとしてね。毎年のように発売されている永ちゃんのライヴのDVDでは、そういうところはあまり見せていないでしょう。『RUN&RUN』の頃は、今のようにDVDなんかない時代だからね、ライヴの様子を中心に構成した。でも、今はそうした映像はあふれているので、今回の『E.YAZAWA ROCK』では、『RUN&RUN』や最近のDVDとの差別化を意識して、ライヴも映像の一部として、矢沢の生き様を見せる一つの要素として捉えたんだ。
あともうひとつ、永ちゃんはテレビで取り上げられることも多いけど、テレビで流れる今時のドキュメントとの差別化も意識している。ある例をあげると、永ちゃんが新幹線の中でお弁当を食べる時に箸包みをきれいにたたんで蓋の隅にキチンと挟む映像がある。そこに〝矢沢は几帳面だ〟ってナレーションが入るわけ……そんなの、見ればわかるじゃない(笑)。そういうのは、嫌だった。ナレーションで、作り手が強引に意味づけをするような造りにはしたくなかった。ナレーションを入れれば楽だけど、そういうことは一切していない。テロップについても同様で、英語の訳や、曲目など最低限のものしか挿入していない。永ちゃんの語りにしてもね、この場面に合わせたいので、こういう話をしてくれなんてことは一切しなかった。今回使っていないものも含む、膨大な量のインタビューの中から選びに選んで、構成しているんだ。また、『RUN&RUN』で使っている映像と矢沢の台詞は一切使っていない。そこから使ったら、ちょっとごまかしになっちゃう。それに失礼だと思ったんだ。永ちゃんのファンの皆さんに。

――今、パフォーマーとしての矢沢さんは、若者向けのロック・フェスにも積極的に出演して、その魅力をさらに広い層にアピールしています。その一方で、いわゆる『成りあがり』的な、矢沢さんの魅力のひとつでは間違いなくある、ド根性というか、独自の人生哲学はあまり伝わりづらい時代なのかな、と思ったりもしたんですが、この映画を観るとそんな小賢しい考えが吹き飛びますね。あの人柄は、やはり観る人を発奮させるものがあります。

増田 30歳の永ちゃんもカッコいいんだけど、30歳の時よりも40歳の時の方がカッコよかったんじゃないかと。そして40歳よりも50歳、というふうに……今思うと、その時々、会うときの永ちゃんが一番カッコよかった気がするね。だから、今、60歳の永ちゃんもかっこいいけど、65歳の永ちゃんはもっとカッコよくなっているんじゃないかと思うわけね。もちろん、その間でスターゆえの孤独って時代はあったと思いますよ。だけど、彼が映画の中で言っているけど、彼は一年間休んだ中で、いろいろ得て、その壁を越えたのかなって思うんだ。もうひとつ、永ちゃんは大きくなるんじゃないかな。それこそ、給食室の裏口からパンと牛乳をもらったという子供の頃の貧しい話しにしてもね、あれだけの成功を手にした人は触れたがらないし、映画の中で、永ちゃんが言っている様な言い方は、まずしない。ところが、永ちゃんは隠さない。隠すよりも、さらけ出す方がカッコいいことをわかっている。そこが永ちゃんのカッコよさだと僕は思うね。リハーサルのシーンでバスローブ着てやってるでしょう。あれ、その時、永ちゃんは熱出して、寒くてあのカッコしていたのね、実は。僕は、ドキュメントの監督として、そういう姿も追いかける。でも、もしかしたら、後で、あそこは使わないでくれって永ちゃんが言ってくるかなって思っていたんだ。あれ熱出して羽織っていたんで格好悪いから使わないでくれ、って。そういう心配も少しあった。スター俳優やアイドルにそういうのが多い。でも、それは杞憂だったね。そういう姿も見せるほうが自分なんだ、ということをわかっている。
『E.YAZAWA ROCK』4ここでね、ひとつ永ちゃんらしい話をすると、今回、僕はプロデューサーであり、監督であるわけです。当初僕はこの映画を、100回目の武道館公演、そのあとの休息で終わらせるつもりだったんだ。ところがね、永ちゃんが〝もう一年撮って欲しい〟こう言ったの。プロデューサー増田はとんでもないと思っている。更に一年撮影するというのはお金もかかるわけですし、もう、配給会社と宣伝の相談も進めているんだぞ、と思うわけ。でも、監督の増田はもっと撮りたい。映画をリッチにするには、〝画〟が足りないと思っている。そこで、両者がバトルするわけ。それで、どう講和条約を結んだかというと、永ちゃんの一言ですよ〝まだヤザワを撮りきれていない。それに、一緒に映画をやろうといいながら、まだ自分をさらけきってない。申しわけなかった。もっとさらけ出したいから、もう一年くれ〟と。その理由を聞いて、二人の増田がシェイクハンドしたのさ。もうこれを受けなかったら男じゃないよな、って(笑)。

――男気あふれる、イイ話です!しかし、この『E.YAZAWA ROCK』はドキュメントとして、実に誠実な造りになっていると感じます。それこそ、正攻法というか、王道の造りだからこそ、今、ロック・ドキュメントが氾濫している中で、実に新鮮です。

増田 今、誠実って言ってくれてとてもうれしい。一年間延ばした価値があったね(笑)。矢沢が生き残っている理由っていうのが、まさにそれなんですよ。自分の音楽や人生に対して、誠実かつ純粋。それに刺激されて、不純な僕が誠実に、純粋にこの映画を撮ったんですよ(笑)。映画評論家の白井佳夫さんがうまいことを言っていて、〝最近の評論家は間違っている。単に未熟なものを斬新なものだと誤解している〟っていうわけだな。僕は、この映画を成熟したものとして撮りたかった。だって、60過ぎた俺が未熟なモノを作ったら馬鹿だし、なによりも永ちゃんを撮る資格がない。だから、成熟しつつ新鮮な、斬新なもの。それを目指したんだ。そのために永ちゃんとはかなりコラボしてもみ合った。その誠実さが佐藤さんに伝わったってことだったら嬉しいな。

――被写体としての矢沢さんに増田監督が惚れ込んで、追いかけているのが伝わってくるんですよ。それが、言葉ではなく、映像から伝わってくるのが、こう、実に〝映画〟だなと。

増田 〝映画〟って映像だから、そっちがまず必要なんですよ。僕はね、裕ちゃんに、石原裕次郎さんに刺激されて、惚れ込んで映画の業界に入った人間なんで、〝映像としての魅力〟っていうのに一番反応するんだね。永ちゃんの音楽は勿論素晴らしい。また、永ちゃんと違うジャンルで素晴らしい音楽を作っている才能はたくさんいる。今まで僕の手がけた映画でも、ツトム・ヤマシタとか、PINKとかその時々の新しい、いい音楽を使っている。僕にとっての音楽は、映画にとっての音楽なんだ。音楽をどう映画に活かすかっていうのは凄く考えている。しかしね、ミュージシャンの存在そのものを〝映画〟にするっていったら、これは〝矢沢永吉〟以外に居ませんよ。あのパフォーマンス、表情、ヴォキャブラリー豊かな語り。これは、銀幕に映えるよ。……それにしても、僕は無宗教だけど、〝映画の神様〟っているんだね。30年前に、僕が60歳の永ちゃんを撮るなんて思ってないよ(笑)。永ちゃんだってそうだ(笑)。しかもメモリアルの60歳の年に。〝映画の神様〟がやれといってご褒美をくれたんだな。

2009年11月2日 銀座・東映本社で
取材・構成:佐藤洋笑

編註
※1KISS ME PLEASE』 1979年発表の矢沢永吉5枚目のオリジナル・アルバム。楽曲も粒ぞろいだが、矢沢のアルバムではあまりみられない凝った編集が随所に施され、そのアダルトな雰囲気とともにファンからの熱い支持を受けている傑作であり、異色作。「過ぎてゆくすべてに」は、本作のエンディングを飾る、矢沢自身の作詞作曲(自身のほとんどの楽曲の作曲を手がける矢沢だが、作詞も手がけるのは非常に珍しい)の名バラード。今回の映画には、貴重な79年ライヴのテイクや、後年の新録ヴァージョンが効果的に挿入されている。

※2成りあがり』 78年発表の矢沢の自叙伝。現在は角川文庫に収められている。
E.YAZAWA ROCK 2009年 日本
製作・監督:増田久雄 監修:矢沢永吉
プロデューサー:村山哲也 アソシエイト・プロデューサー:藤田俊文
撮影:瀬川龍 録音:高橋義照 整音:瀬川徹夫 編集:熱海鋼一
製作:映画「E.YAZAWA ROCK」製作委員会(東映/プルミエ・インターナショナル/トムス・エンタテインメント/東映ビデオ/ラテルナ)
製作プロダクション:プルミエ・インターナショナル 制作協力:音 配給:東映
(C)2009 映画「ROCK」製作委員会
公式

2009年11月21日(土) 新宿バルト9ほか全国ロードショー

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2009/11/23/19:44 | トラックバック (0)
佐藤洋笑 ,インタビュー
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