今週の一本

殺人犯

( 2009 / 香港(中国) / ロイ・チョウ )
あの日に(ちょっとだけ)かえりたい

若木 康輔

『殺人犯』1今年に入ってからは、「新春特別企画・2009年マイベストムービー」に参加して以来、INTROに何にも寄稿していなかった若木でございます。急に思い立って、6月から公開される香港映画『殺人犯』について書かせてもらいます。
連続猟奇殺人事件を刑事が追うと、犯人は自分だと考えなければ説明のつかない状況証拠ばかりが見つかる。刑事は次第に精神的に追い詰められ……。〈ネタバレ注意〉などと遠慮しながら書くのはイヤなので、ストーリーに触れるのはこれでオシマイ。すでにどこかで見たり聞いたりしている設定ですが、オラ知らね、とばかりにガンガン強気で押していくサイコ風味のスリラーです。これが……、怖かった。かなり、ゾワ~ッとなりました。

ふだん僕は、およそこの手のジャンルには疎いのです。嫌いとか苦手というより、単に優先順位であまり上に来ない。一頃大いに流行った、複雑なプロットを仕込みに仕込んで観客に知恵比べを挑むゾ式になると、フシギなほど食指が湧きません。優先順位が低いと、愛着や積極性も当然薄くなります。たまに同傾向の映画を見て前半にやたら勿体つけられると、(あァもう! どうせ「意外なドンデン返し」が2、3回あった後に「予想もできない驚愕のラスト」が待ってンだろ。誰よりうまく驚いてみせてやるから、さっさと済ませてくれよ)なんて、ものすごく乱暴なことを言いたくなります。「オチが分かってるのにどうして同じ落語をまた聞くの」と言われて絶句したことがありますが、まあ、野暮に関しては、僕も人のことは言えないわけです。

ところが、『殺人犯』には唸りました。急に思い立って、と書きましたが、実は試写を見たのは3月。2ヶ月も前です。以来、ドヨンとした後味がいつまでも尾を引くので、そうか、これは評を書けという天の声だな、と考えを改めたのが、ついさっきなのです。
『殺人犯』2本作が同傾向のジャンル内ではどの程度のレベルなのか、ストーリーや仕掛けに新機軸はどれだけあるのか、についてはなんとも言えません。虚心で見たら「背筋の凍るサスペンスフルな展開」や「ラストに向けての衝撃の展開」にいちいちスナオにハマった、と言うのみです。それが本作ならではのオリジナリティなのか、あるいは、柳の下で捕まるドジョウとしてはもう数匹目なのかの判断は、モチはモチ屋。ジャンル映画に強い書き手さんのガイドを参考にして頂ければ、と思います。
僕自身が本作を見て恐怖を感じた、その芯の部分をよく反芻してみると、原因はストーリーや語り口といった部分には無かったのです。むしろ、その面白さの向こうに広がる風景が荒れ果てているのにショックを受けた、と打ち明けるほうが正しい。要するに僕は以下のように思い、そう思ったこと自体に戦慄したのです。
(……あァ、終わりだ。香港映画は、もう死ぬんだ……!)

自分としては、けっこうドキドキなセルフ問題発言です。
一応、生まれて初めて好きになった映画は『ドラゴン危機一発』だとか、80年代前半の東宝東和配給作品にはけっこう小遣いをつぎ込みましたとか、それなりに僕にも香港映画とのお付き合いの歴史があります。ただ、回顧してみれば同時に、韓国映画の大勃興以来、チャウ・シンチーがナニしてジョニー・トーがアレしたといった個々別の興味は別として、香港映画そのものへのサポーター意識はさっぱり薄れていたことに否応なく気づかされます。典型的な、浮動票層。香港映画の現状の困難が全編に塗り込まれているような『殺人犯』を見たショックは、この数年さっぱり応援していなかった申し訳ない気分と、セットになっているのです。では、困難とはなにか?

『殺人犯』3『殺人犯』は、〈脱・香港映画カラー〉に明らかにベクトルが向いている映画です。
① かつての〈香港映画らしさ〉を代表するスター、アーロン・クォックに、サイコティックで後味の悪い役柄を振っている。
② かつての個性だったローカルなユーモア(アクションのケレンも含む)を、一切封じている。
③ そこが香港だとすぐ分かるロケーションが周到に排されている。
際立ったポイントを挙げると、以上になるでしょう。アーロン・クォックの妻役の女優さんは、びっくりするぐらい細身でおキレイで、およそ所帯じみた匂いが全く無いから不自然なほどです(そして、それが終盤の伏線の一つに……これ以上はナイショ)。今なら、韓国の恋愛ドラマに呼ばれるタイプのそよとした顔立ち、雰囲気と思っていたら、台湾の女優さんでした。さらに国の判別がつかないのが、ロケーション。これはシンガポールかどこか東南アジアでロケしたのだと言われても、信じてしまいそうなほどです。

つまり、全体にとても汎アジア的な仕上がりなのですね。マーケットの視野を中国語圏全体に捉えて作られているのは、明らかです。
「製作総指揮 ビル・コン」のクレジットを見て、あ、そういうことかいな……と、僕はずいぶん納得しました。INTRO読者のみなさんにはあまり説明の必要はない人でしょう。『グリーン・デスティニー』(00)、『HERO』(02)などなどなどで天下を取りに取りまくった大プロデューサーです。僕は密かに〈アジアのラウレンティス〉とニックネームを献上しているのですが、今ではちょっと通じにくい皮肉かもしれません。
とにかく、現在の中国映画の大作路線の土台を作り、ハリウッドとアジア各国を結ぶ配給・流通のパイプを持つビル・コンならば、中規模スリラー1本作るのにもこれだけの計算をしてから現場に渡すのだと、よく分かりましたし、ある種の感嘆も覚えました。日本でどれだけの成績を上げるかは分かりませんが、プレス資料によれば、去年の夏にアジア圏で公開された時は内容が物議を醸し、中国本土での公開版は別のエンディングが用意されたそうです。審査に引っ掛かかる可能性は、きっと当初からの想定内だったはずです。

『殺人犯』4こうしたパッケージ戦略の見事さは、実際すでに興行面で成功しているし、僕自身、見ていて面白かったのだから、基本的には文句のつけようがありません。先ほどは、香港映画が死ぬなんて物騒なことを書いたものの、〈そこが別に香港じゃなくてもいい香港映画〉を作る道を、即、衰退の道につながると言い切ることもできない。人材も資金も大陸に集まる現在のアジア映画勢力圏のなかで香港の業界がサヴァイヴし、復活の時期を待つ手段としては有効なのかもしれない、からです。

しかし。ここまで理屈づけてみてもなお、香港映画はもう戻れない、産業として復活したとしても、昔のように直接的で無邪気な笑いや怒りは帰ってこないのだ、という思いは残ります。ショッキングなストーリーや汎アジア・マーケットの戦略は、人が作ったものです。しかし本作の奥で蠢いている本当の不安-昆虫の世界に似た非人間的なもの-は、若い監督はもちろん、ビル・コンすらコントロールし得ないところから生まれている気がして、仕方ないのです。
『殺人犯』には、製作中止間際にバタバタッと狂い咲きのように傑作を生んだ新東宝末期そっくりの、得体の知れない不穏さが宿っている。……年季の入ったシネフィルのみなさんならば、こう書けば、ピンときてもらえるでしょうか。
そうとう縁起の悪いことばかり書きましたが、映画もエゲツナイ内容が売りなんですから、おあいこということで。なにしろ、〈明後日には忘れる感動作〉も少なくないなか、イヤ~な気持ちを2ヶ月も引っ張る映画です。引きとしては、ヘタなホメ言葉より強いと思うんだよネ。

(2010.5.15)

殺人犯 2009年 香港(中国)
出演:アーロン・クォック,チャン・チュンニン,チョン・シウファイ,チェン・クアンタイ,チン・カーロッ,ジョシー・ホー
監督:ロイ・チョウ 脚本:トー・チーロン 音楽:梅林茂 製作総指揮:ビル・コン,チュイ・ポーチュウ
提供:アミューズソフトエンタテインメント 配給:ツイン
(C)2009 UNIVERSAL STUDIOS & HERO FOCUS GROUP LIMITED & SIL-METROPOLE ORGANIZATION LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
公式

6月5日(土)より、シネマート六本木他全国順次ロードショー!

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  • 監督:ダンテ・ラム
  • 出演:アーロン・クォック, イーソン・チャン, ユミコ・チェン, ダニー・リー
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  • おすすめ度:おすすめ度4.0
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2010/06/01/20:50 | トラックバック (1)
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