インタビュー
松江哲明監督1

松江 哲明(ドキュメンタリー監督)
Part2

公式サイト:http://seki-lala.com/
松江哲明ブログ:http://d.hatena.ne.jp/matsue/

松江 哲明(ドキュメンタリー監督)1977年生まれ。 日本映画学校の卒業制作として作った『あんにょんキムチ』(99)が、韓日青少年映画祭監督賞、 山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、NETPAC特別賞等を受賞し、国内外で話題となる。以降、 『カレーライスの女たち』『呪いのビデオシリーズ』『2002年の夏休み/沙羅双樹』などを監督。最近では『ビタースイート』『かえるのうた』といった映画作品の予告編制作のほかに、テレビ東京で放映されて議論を巻き起こした『森達也の"ドキュメンタリーは嘘をつく"』の編集も手がけている。なお『セキ★ララ』は、カンパニー松尾率いるAVメーカー、ハマジムから発売された『Identity』の再編集版である。

新作『セキ★ララ』について語っていただいた前回に引き続き、今回は作品作りにおける手法や心構え、人気ブログ「every japanese woman cooks her own curry」について、さらには好きな映画などについて大いに語っていただいた。

在日という出自

松江哲明監督6――『あんにょんキムチ』の本(汐文社)の中で、在日という出自を「ネタ」として使っていたと書いてあって面白かったんですが、表現者になりたい気持ちと、「在日」というアイデンティティに関わるテーマを表現したいという気持ちはどちらが先だったんでしょうか。

松江  「映画を作りたい」というのが先です。僕が日本映画を好きになったのは、アルゴ・ピクチャーズの影響なんですよ。『ザ・ 中学教師』(92、平山秀幸監督)とか『櫻の園』(90、中原俊監督)とか。 あの頃のヒーローは石井隆と塚本晋也と北野武と周防正行でしたし、滝田洋二郎や原田眞人の映画も好きでした。高校生の頃、 ああいった日本映画にガツンにやられて日本映画学校に入って。それからです、やたらと他者に在日をアピールしだしたのは。 なぜかと言うと、やっぱりあの学校の特殊な……変な「場」というか……分かりますよね?

――全国からよくもこんなのを集めてきたなっていう(笑)。

松江 あの独特の空気が基準になっちゃっているから、 「自分を出すのは悪いことじゃない。むしろ得なんだ」って。在日が武器になるというのは思いましたね。でも、 「映画を撮りたい」という気持ちが後で本当に良かった。先に在日云々が来ていたら、もっと違う映画撮っていましたもん。 「映画を面白くしよう」と思うより、メッセージを伝えたいからものを作る、みたいな。そうすると『あんにょんキムチ』 のユーモアや『セキ★ララ』にある軽さはなかったような気がします。

作品づくりについて

――監督の作品は全般的にとても見やすいというか、ソフトな感触がつねにあります。それは意識して?

松江 凄い意識しています。自分の作品は、ふだんドキュメンタリーを見ない人とか、僕の作品を見たことがない人に見て欲しい。

――いわゆる作家として、名前で見ろという感じではないと。

松江哲明監督7松江 ないですね。『あんにょんキムチ』 の時は妹をナレーターにして、できるだけ簡単な言葉を使ったんですけど、それは小学生が見てもわかるようにしたかったからです。『セキ★ララ』に関しても「わかりやすく」という点には気をつけています。わかりやすく……でもね、わかりやすく作ってもやっぱりわかんない部分っていうのもあるんですよ。現実が素材ですから。こちらの狙い以上に明快でないものが映っていると思う。だから面白いんですけどね。

――監督の作品は、トーンが非常によく統一されています。それはフレーミングだとか、 編集のタッチとか、字幕が出るタイミングとか全部そうなんですが、とても落ち着いていますよね。撮影の段階から 「自分の色を出す」という意識はありますか?

松江 でも相手には相手の空気があるし、僕には僕の空気がある。だから現場でもありのままですよ。カメラマンを立てる場合は、事前に自分の作品を見せています。それでカメラマンは僕のトーンを大体わかってくれる。あとは自分で編集をやっているというのが大きいと思います。

――カメラマンを立てるのはどういう時ですか。

松江 僕は近藤龍人(『ばかのハコ舟』『リアリズムの宿』『くりぃむレモン』等)とよく一緒に組むんですけど、彼は画のレベルが僕より圧倒的に上ですし、現場の空気をよく読み取って、ズームしたり、引いたり、背景を入れ込んで撮ったり、臨機応変に対処してくれる。だから、本当は全部カメラマンを立てたいんです。僕が自分でカメラを持つのは、作品に「自分の存在」が必要な時です。『セキ★ララ』の第一部に関しては、相川ひろみのカメラ目線が欲しかった。彼女と在日の話をする時って、僕ら二人の間にしか成立しない会話があると思ったんですよ。彼女はきっと僕を見て話すだろう、その目線は作品にとって凄く大きいものになるはずだって。だから僕が自分でカメラを持ちました。

――編集作業については?

松江 僕は編集でバンバン間を切ります。なぜそれをやるかというと、その「間」を見て欲しいからです。その間、被写体が何を喋ったのかってことを、ちょっと考えて欲しい。フレームに映っていないものを気にして欲しいということです。だから僕は被写体が発した大事な言葉って使わないんです。人が大事な言葉を言う時って、そうなる予兆をどこかで見せている。ふっとしたため息とか、何かをじっと見ているとか。そういう画があったら、何も言わなくても通じると思うんです。

フィクションについて

――『ほんとにあった! 呪いのビデオ8』(01)の終盤で、いきなり修羅場になるじゃないですか、仕込みで。見ていて「ひょっとしてフィクションをやりたいのかな?」と思ったんですが。

松江哲明監督8松江 実は過去に向井康介(『リンダ・リンダ・リンダ』)と書いた脚本もあるんですけど、今ではフィクションをやりたいということはない。映画のメイキングを撮るために劇映画の現場に行くことがあって、監督や役者さんを見ているのは面白いんですけど、自分が演出すると考えると楽しくない。ドラマって全部段取りですよね。ドキュメンタリーの場合は予測がつかない。未知の物に裏切られることのほうが僕には面白いんです。それに役者として出演したトシキさん(サトウトシキ)の撮影現場や、山下君(敦弘)の作品を見ていると、自分が同じ土俵でドラマを作れるなんて思いませんよ。山下君みたいな感覚って凄く分かるし、僕もドラマを作ろうとしたらああいう風にしたいと思うかもしれませんけど、できないですもん。敵わないと思います。だから山下君がたまに「刑事まつり」なんかで――。

――『その男、狂棒に突き』(03)とか。

松江 ああいうものを作っていると、ちょっとむかむかするんですよ(笑)。上手いし面白いと思いますけど、 あの程度のフェイクドキュメンタリーでは負ける気はしない。ドキュメンタリーだったら勝負できる気はするんですけど、ドラマで勝負しようなんて……思わないですね。

――今は「ドキュメンタリー・タッチ」の映画もけっこうありますね。

松江 でもそれは所詮"タッチ"です。役者が「普段と違う芝居です、自然風にやってます」みたいなことやって。そうしたものを見ても、「だからそれはドキュメンタリー・"タッチ"だろう」って。例えば『KAMIKAZE TAXI』(95、原田眞人監督)には、途中で(ドキュメンタリーの)インタビューシーンが入る意図がわかるじゃないですか。ドラマで描けないことがあるから、ドキュメンタリーが入ってくる。 そういうのはわかるんです。 でも"タッチ"の映画は作っている人達の自己満足にしか見えない。是枝(裕和)さんの最初の頃の作品、『ディスタンス』(01)や『ワンダフルライフ』(99)も嫌いだったんですけど、『誰も知らない』(04)を見た時はもうびっくりして、「ああ、ここまでやりたかったんだ」って……。あれは出演者が役者じゃなくて素人の子どもっていうのが大きいと思います。やっぱり被写体の人生がそこに関わってるって感じがありますもん。あそこまでやるのならわかるんですけどね。

――今年の春にテレビ東京で放映された『森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』に編集として関わりましたが、現場には一切タッチしていないんですか?

松江 してないです。森(達也)さんとも会っていない。

――ネタをばらすと、あの作品はフェイクドキュメンタリーじゃないですか。フェイクを編集する面白味というものはありましたか?

松江 あれに関しては不満があるんです。現場の演出がドラマの方法論だった。村上(賢司、撮影)さんとちょっと喧嘩したんですけど、フェイクって分かっているカメラなんです。別に全部手持ちで撮って欲しいとか、ズームして欲しいって話ではなくて、撮っている人の「動揺」が見えなかった。もともと台本があるんですけど、台本に書いてあることを「ドラマチック」に演出している。この場合、カメラがドラマチックにならなきゃいけない。それがなかったんで、ちょっとあの作品に関してはスタッフとしての反省というか、不満はありますね。しかし、日曜の昼間にテレビでああいったドキュメンタリー番組を流すという状況に参加できたことと、 普段から気の合った仲間たちと本当に自由に作らせてもらえた、ということに関しては未だに嬉しいですね。それもすべて替山さんという非常に面白いプロデューサーがいてくれたからこそ、です。

ブログ、真利子哲也、好きな映画について。

――以前どこかで「彼女と別れちゃって話す人がいないからブログやってる」みたいなことを仰っていましたよね。「新しい彼女できたらやらないから」って。

松江哲明監督9松江 いや、ホントですよ! でも、彼女できてもブログやる……やりますね。僕は自分のことを言いたがりぃなんですよ。自分が今日はどこに行ったとか、何食べたとか、そういうのを誰かに話したい。それを話す相手がいなくなったというのが、ブログを始めた大きな理由の一つです。それに、これはあまり話したことがないんですけど、従来ドキュメンタリーって大きなテーマじゃないと作品になりえない、みたいなところがあったじゃないですか。でも、普通の日常の中には、「小さな幸せ」だとか、「小さな"いいな"」 ということ、感動する瞬間があるはずなんです。世界平和を説くよりも、まず目の前にいる人が幸せかどうか。それを描くことも凄く大事なことじゃないかって……。もともと僕はドキュメンタリーでそういうものを作りたいと思っていて、『カレーライスの女たち』(03)や 『童貞。をプロデュース』(06)はそういう作品です。ブログではそれができると思ったんですね。でも今、ミクシやブログではそれが当たり前にできている女の子っているんですよね。彼女たちって物心ついた時から遊びの道具としてプリクラやデジカメや写メがあって、ものすごく自分の見せ方がうまい。文章も、面白い人は凄く面白い。そういうのを見ていると、僕が学生時代に思っていたような「日常の表現」が、今はもっと当たり前にできちゃう時代なんだなって。現在がそういう時代であるとして、じゃあ今後どういう作品を作っていくか。ブログはそれを考えるきっかけになっているところがあります。

――真利子哲也監督について。

松江 彼は凄いです。彼の映画を見ていると、 感覚が一個ちがうな、と思います。『極東のマンション』(04)とか『マリコ三十騎』(04)とか。 エンターテイメントをセルフドキュメンタリーで体を張ってやっていて。『極東のマンション』では、 自宅のマンションからバンジージャンプするんですよ、カメラ持って。で、最後に「ロープを緩めるのも縛るのも僕の責任だ」と言って終わる。凄くカッコイイ。途中いきなりカンボジアまで行っちゃうし(笑)。で、 その自意識の塊の映像を母親に見せたら、母親がダメ出しするんですよ。「あんたねえ、あんなことやって、お母さん心配だよ」「もっときれいに撮ってよ。カメラなんかブレブレでわかんないよ」「花とかね、もっときれいなものをお母さんは見たいの」(笑)。母親がそうやってダメ出しして、彼の自意識をぶっ壊す。それでもっと凄いのは、それが全部演出なんです。彼がすべて母ちゃんに仕込んで演出している。映画見てもそんなことわからないんですけどね。あの作品見た時に「ああ、凄いのがきやがった」って思いました。機会があれば、この『極東のマンション』と『マリコ三十騎』は見て欲しい。面白いですよ、真利子君は。

――最後に好きな映画を三本伺っているんですけど。

松江哲明監督10松江 一位が『キッズ・リターン』(96、北野武監督)。見た時期というのもあるんですけど、映画学校の一年生で、人生どうしようかなあ、なんてちょっと悩んでいた時、初日に観に行きました。号泣しましたね。悲しくなって。なんてせつない映画だろうって。たぶんあの二人はあのあとの人生でいいことないと思うんですよ。でもその本人の価値観で「それでいいじゃねえか」って思えちゃう。そこに励まされます。映画としては 『3-4X10月』(90)や『ソナチネ』(93)のほうがぜんぜんいいっていうのはわかるんです。ただあの時期に見たって言うのがね……。

――二番目は?

松江  『インディアン・ランナー』(91、ショーン・ペン監督)。僕は善悪を決め付けるようなものじゃなく、 登場人物がそれぞれの価値観を肯定しているような映画が好きなんです。弟のヴィゴ・モーテンセンと兄のデビッド・モースの間に、お互いのことがわからない、という壁がはっきりある。どうしてヴィゴ・モーテンセンがデニス・ホッパーを殺すのかもわからない。でもわかんないものをわかろうとするんじゃなく、わかんないままに描くじゃないですか。しかもそれが決して説明不足じゃない。最後はそれぞれがそれぞれの場所から「それでお前はどう生きていくの?」というところで終わっている。そこが見ていてウルッときますね。『キッズ・リターン』や『インディアン・ランナー』の人間の見方って、決して教科書には載っていないし、普通に生きていてもわからない。この二本の映画は、「人間をこういう風に見てもいいんだよ」「こんな生き方があってもいいんだよ」ということを教えてくれた作品です。だから絶対にこの二本は変わらないです。

――最後の三番目は?

松江 『悪魔のいけにえ』(74、トビー・フーパー監督)です。大好きです。映画を見ていて、あんなに恐ろしい目にあったことはないですね、本当に。僕の中で、映画の役割を変えました。面白いとかつまらないじゃなくて、何か違う次元のものを見せられたというか。映画という表現が人に与える影響、という意味で、映画の本質的な何かを表していると思うんですよ。犯罪の道具にすらなりえるんじゃないか、みたいな。リュミエール兄弟が『汽車の到着』を上映した時、客が本物の汽車だと思って劇場から逃げたって話に近いですよ。最近のJホラー、中でも清水崇の『輪廻』(05)や白石晃士の『ノロイ』(05)にも近いものを感じますね。

――今挙げられた作品を見ると、映画の予定調和を取っ払ったものですよね。

松江 そうですね。だから『三丁目の夕日』がいい、って人に会うと、(あんまり友だちになりたくないなあ)って(笑)。そういう人に『キッズ・リターン』なんか見せても、「いい/悪い」で判断されそうで……。今、映画ってそういうものになっちゃってて、「泣きに行く」とか、そういう次元ですよ。それでもいいんです。いざ見たときに、何か違うものが残るのであれば。なので僕は、せっかくお金を払っている以上、予想を超えるような「作品」や「表現」が見たいですね。

――ありがとうございました。

(5.15.ハマジムにて)

取材/文:膳場岳人、撮影:仙道勇人

セキ☆ララ
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あんにょんキムチ (単行本)
あんにょんキムチ

2006/06/13/17:05 | トラックバック (1)
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