今週の一本
(2005 / イタリア / マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ)
ノスタルジックな感傷を排した、誠実なジュブナイル映画

仙道 勇人

 馴染みの女の元からひっそりと去っていく男の心情を歌ったトム・ウェイツの名曲「ルビーズ・アームズ」 と共に、本作「13歳の夏に僕は生まれた」の幕は上がる。この曲はそう、確かに男女の別れを歌ったバラードだ。 男が女と別れなければならない事情はよくわからない。だが、はっきりしているのは、 この女の両腕が何度も与えてくれた温もりの記憶を反芻せずにはいられないほど、男は今なお女を愛おしく思っていること。しかし、 それでも(否、だからこそ、だろうか――?)女の元から立ち去らねばならないという、どうにもならない選択を強いられていること、 この二つだけだ。だから、この曲は男女の別れを歌ったものであると同時に、どうにもならない現実に直面した者の痛みを歌ったものでもある。 その意味で、さながら献詞の如くこの曲でオープニングを飾ったのは、蓋し正しい選択であったと言えるだろう。なぜなら本作もまた、 どうにもならない現実の厳しさを突き付けられた痛みに満ちた映画だからである。

 主人公サンドロは、工場経営者の父親を持つ裕福な家庭の少年だ。サンドロは父とその友人に連れられて、 自家製ヨットによる地中海クルージングに出かけるが、ある晩海に転落してしまう。海に漂いながら死を待つだけのサンドロを救ったのは、 たまたま通りがかった密航船だった。そこでサンドロは余りにも悲惨な光景を目にする一方、 ルーマニア人少年のラドゥと彼の妹アリーナに何度となく助けられる。過酷な密航船生活を凌いで、イタリア当局に無事保護されたサンドロは、 再会を果たした両親に命の恩人であるラドゥとアリーナを養子にして救ってくれるよう懇願するが……。

 この物語が、昨今ヨーロッパのあちこちで論争を巻き起こしている不法移民問題を土台にしていることは、 今更説明するまでもないことだろう。元々半島国であるイタリアは、長い海岸線の監視を徹底することが難しい為、 不法移民達から密入国の玄関口として目指されることが多い。東欧諸国などから密入国する場合、 地続きであっても監視の厳しい国境線を突破するよりも、イタリアを経由した方が密入国の成功確率が高いとされる。 一度EU圏内に入ってしまえば、ヨーロッパ内陸部への移動は比較的容易なことから、イタリアへの不法移民は絶えることがなく、 イタリアにおける移民問題は古くて新しい問題の一つなのである。
 そうしたイタリアの抱える現実問題を見据えた本作ではあるが、実は移民問題そのものをテーマにしているわけではなく、 あくまでも物語を紡いでいく一つの糸口にすぎない。寧ろ眼目は、それまで全く無縁だった移民という現実問題と直接関わることで、 サンドロ少年の目が少しずつ啓かされていく点にある。それまで信じて疑うことがなかった世界には別の一面が普通に存在する、 というありふれた事実を自覚すること。それはまさに現実からの厳しい洗礼であり、 それによってサンドロ少年の堅牢な世界が少しずつ揺らいでいく様子を、カメラは丁寧に映し出していく。

 その最初の出来事が、密航船から奇跡的に保護されたサンドロ少年が両親にする「お願い」である。 彼は自身の慣れ親しんだ世界の力で――即ち掛け値なしの善意で、命の恩人である不幸な兄妹を救い出そうとするのである。それはまさしく、 移民船という見知らぬ世界に放り出されたサンドロが、ラドゥ兄妹に窮地を救われたことの裏返しであり、 対比的な構図を用いることでサンドロとラドゥ兄妹の関係の変化を実に自然に描いていく。
 「養子にして一緒に暮らせばいい」そう両親に懇願するサンドロの姿は、 ある種捨て犬や捨て猫に対する同情にも似た気安さがあるのは明らかだが、サンドロ自身はそのことにまだ気づいていない。 気づかないほどに彼の兄妹に対する気持ちは真剣で、純粋で、幼稚なのだ。だが、大人である彼の両親は、 サンドロがこともなげに言った提案を簡単に肯くことはできない。 それに伴う金銭問題や社会的責任といった事情を勘案しながら動かざるをえないからだ。それは大人が果たすべき責務に他ならない。
 本作が見事なのは、当初は躊躇していた両親が、サンドロのひたむきな思いを汲んで、 何とか兄妹を手元に置けるように働きかけるようになることだろう。この種の作品にありがちな「大人の非情さ・無理解」 という局面に物語が収斂・矮小化されてしまうことを巧みに回避した上で、 別のアプローチによって事態をより現実的でより悪い方へと転がしていくのである。ラドゥ兄妹が移民収容センターから脱走してしまうのだ。 それはサンドロの両親が合法的手段を失うことを意味するが、 兄妹の更なる行動によって事態は取り返しのつかないところにまで追いやられてしまうのである。
 この一連の経過は、サンドロ少年が兄妹に差し伸べた無邪気な善意の敗北であると同時に、 少年が慣れ親しんできた羊水的な世界の終焉でもあるだろう。それはまた、社会に厳然としてある大きな矛盾の認識であり、 大人に対する不信であり、他者に対する失望であり、自分という存在の卑小さに対する絶望でもあるだろう。それら一切を集約しているのが、 カタルシスを敢えて拒絶したようなあの幕切れなのだ。

 確かに「鮮やか」と呼ぶには程遠い幕切れかもしれない。 人によっては消化不良で投げっぱなしと捉える向きもあるあるだろう。しかし、本作ではそれでいいのだ。その中途半端な居心地の悪さ、 やり切れなさこそがあの幕切れのサンドロの心境そのものであろうから。
 純粋で崇高とすら呼べそうな思いだけが空回りした少年の日、強大な現実を前に何もできない無力感に打ちのめされたあの日。 サンドロ少年の最後に差し出した心ばかりのパニーニには、その全てが込められていただろう。そうして己の無力さを噛み締めることで、 少年は少しずつ大人になっていくに違いない。次に誰かに捧げる時には、 みすぼらしいパニーニ以上の何かを差し出すことができるようになる為に。

(2006.6.12)

2006/06/12/17:20 | トラックバック (8)
仙道勇人 ,今週の一本
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