今月の注目作
(2003 / デンマーク / ラース・フォン・トリアー)
小公女グレース

百恵 紳之助

 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「奇跡の海」「イディオッツ」など、 ある意味よくあるパターンの不幸話を徹底的やっちゃうことで、「ああ、やっちゃった・・・。でもなんだか爽快。てか快感」 と思わせてくれるのが筆者にとってのこの監督である。もっと言うと、主人公の身に降りそそぐ不幸よりも、その周辺にいる嫌な登場人物を見て、 「ああ、こいつヤダヤダ。・・・でも、もっと見せて・・・」と悦に入り、 精神的マゾヒズムを充分に満たすことをこの監督の作品を観るときの密かな楽しみにもしていたりする。

 ストーリーは今回もパターン。大人版「小公女セーラ」みたいなものである。ニコール・キッドマン扮するグレースはギャングと警察に追われ、 ドッグヴィルという小さな村、というか集落に逃げ込んでくる。ヨソ者など来たこともない集落だから当然そこの住民はグレースに警戒心を抱く。 でも、そういう場所には必ずや改革派の急先鋒みたいな奴でよき理解者のような奴がいるのものだ。偶然にも彼の名前はトムである。 トムはグレースを受け入れるために、まずは二週間だけ村の人のために懸命に働いて、それで信用を得よと提案する。 懸命に働いたグレースは何とか村に残れることになり、さらに頑張って次第に人気者となり、村人たちもグレースのことが好きになる。だが、 やっぱり一人だけいる悪者。警察に密告しないかわりにと言ってグレースをレイプしてしまう。さあ、ここからグレースの転落の始まり。 女たちからあらぬ嫌疑をかけられはじめると、いきなり奴隷のようにこき使われはじめる。トムの計らいで脱出を試みるも失敗、 果ては男どもの肉奴隷にまで成り下がる。しかしグレースはそんなに激しい拒絶は見せない(後に理由が判明)。 そんなグレースの肉体を男たちは若干恥ずかしそう求めるのだが、この場面も筆者の精神的マゾヒズムにビンビン響いた。 こういうときの男はホント恥ずかしい。「あ、ヤバ・・・」とちょっと映画館で恥ずかしくなり、薄ら笑いで誤魔化している筆者がいた。 だが誓って言うが筆者はこのような状況でレイプの出来る人間ではない。(いや、どんな状況でもしないけど)良い人ぶるつもりでなく、 女の人に「あんたもか・・・」などと思われてしまうんじゃないかという自意識が邪魔するのだ。(まあ、それが理性と言えば理性か)で、 そんな理由でレイプしないように見えるのがトムなのである。つまり今回の映画で、 筆者の精神的マゾヒズムを満たしてくれた役どころはトムである。

 事の最悪さに頭を抱えてはいるが、いざ二人で村を出ようとなったら案の定真っ先にやらせろ状態である。映画館でポッと顔を赤らめ「あー、 俺だ・・・」と思ってしまった観客は筆者だけではないはずだ。しかしグレースはそんなトムに、「今じゃなくても」と拒む。 もう結構な体勢まで来てしまったトムは理屈をつけて粘る。またも「あー、俺だ・・・」である。

 「そうしたいならすれば」と言われてしまうトム。トムの心中察するにあまりある。そこまで言われたらさすがにできんわ。 仮にやったとしても、トムは射精の達成感から二人で逃げるという案を、小賢しい理屈をつけて翻すはずである。案の定その後、 トムは何やかやと自分を正当化する理屈でしょーもないプライドを保ち、グレースをギャングに渡してしまうような奴なのだ。 単なる自己愛の強い小心者の甘ったれなのである。言っとくが筆者はトムほどではない。何とかやらしてもらったら、 後はグレースを一人で逃がす。と、思う。

 ほとんど内容と関係の無くトムに突っ込み入れているだけだが、とどのつまり、全体的にややノレなかったのである。 というのも筆者は最後まであの演劇の稽古場のようなセットに違和感を感じていたからだ。

 壁がないということは、人が何かをしているときに他の人の状況も観客に見えるということである。もちろん登場人物に壁はあるのだから、 そんなもんは昔話でも聞いているときのように想像の壁を作ってしまうものなのだろうが、モロに映像で見せ付けられているせいか、 常に画面の片隅の第三者にも目がいってしまうのである。で、そのうち想像の壁を作るというよりは壁の無い村に見えてしまうのである。 「お前ら実は見えてんじゃねーの」と思ってしまうのである。

 これは意識の壁がないということなのかも知れないが、とにかく筆者には村人たちは見えているように見えてしまったのだ。 その上で意識しあっていないというように。あえて壁がないことを強調した場面など、さらにこの思いを確信させるのである。話がそれるが、 ちょっと前に駅のホームとか電車の中で人が殴り殺されるなんて事件が何度かあったが、それに似た印象だ。 それもまた悲しいが人間の真の姿ではある。が、そのような意味合いが仮にあったとしても、やはり見えているわけがないのであって、 「登場人物(村人)には壁がり、でも筆者は壁はないように見ている。」という溝は埋まることなく、 すっきりと映画に乗ることができなかったのだ。頭かた過ぎなのかも知れないが、 それこそ演劇の通し稽古として観ていれば違和感なかったということだろう。まあ、完全に好みの問題なのかも知れないが、 筆者はお話とキャラクターでガンガン引っ張っていく冒頭のような作品の方が好きだというだけのことだろう。

 ただラストの逆転はセーラもびっくり!である。ギャングたちがドッグヴィルにやってくる。トムは「さあ、どうぞ」 といった具合にグレースを差し出すが、どうも様子がおかしい。ここに来てようやくその不穏な空気に筆者は少し退屈を脱し「おいおい、まさか! ?」とハラハラしはじめた。なんとグレースはギャングの可愛い一人娘だったのである!(後に、 だいたい読めるじゃんという意見に落ち込んだが)。ボスである父親はグレースに権力を譲ってもよいと考えているのだが、 グレースが全てを許してしまう人間であるところがどうにも許せない。(だからグレースはレイプをもさほど拒まなかったやっぱセーラじゃん!) 。グレースはドッグヴィルの人たちを許す、というか仕方の無いことと言ってそのまま残ろうとするが、なぜか月を見て躊躇してしまう。 そのグレースの気持ちのようなものがナレーションで語られていたような気がするが忘れてしまった。 というか今さらながらに身を乗り出した筆者にとってはよく分からなかった。「セーラはイジメていた人間を許したけど、お前どーすんの?」 とドキドキしているとグレースは逡巡した挙句、なんとドッグヴィルを壊滅させてしまうのである。なぜそのような結論にいたったのか頭には「? 」が浮かんでしまうのだが、彼女なりにドッグヴィルとの関わりは終わったらしい。

 セーラのラストにはやや溜飲が下がらなかった筆者も、このラストにはスカッとしたのだけれど、どうだろう?

(2004.3.07)

2005/05/01/11:54 | トラックバック (0)
ドッグヴィル ,今月の注目作 ,百恵紳之助
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