今月の注目作
(2003 / デンマーク / ラース・フォン・トリアー)
「主いい給う。復讐するは我にあり。我これを報いん」

膳場 岳人

 昨年秋に開催されたカール・ドライヤー映画祭でもっとも印象的だったのは、 一つ屋根の下で生じる人間関係への尋常ならざる固執である。中でも、老婆を妻として娶りながらも、若い恋人を妹と偽って同居生活を送る牧師 (『牧師の未亡人』、20)、同居する義理の息子との不倫に溺れる人妻(『怒りの日』、47)といった人物たちは、 暗に近親相姦を擬した恋愛関係を生きており、一見厳格なモラリストに見えるドライヤーが禁忌に戯れる、 恍惚とした溜息すら聞こえてくるようだった。彼としては後期作品群にあたる『二人の人間(44)』『奇跡(54)』『ゲアトルーズ(64)』 には室内劇の様式が露骨であることは周知の通りである。

 スウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマンの後期(定義は曖昧だが)作品群もまた、親子、夫婦、姉弟、 姉妹といった肉親間の愛憎やセックスを主題としており、やはり室内劇に近しい様式で物語を語っていることに気付かされる。こうした、 いわば室内志向ともいうべき主題/形式両面に亙る傾向が、北欧の高名な映画作家だけに顕著なのかどうかは、筆者の勉強不足ゆえに分からない。 しかし、国も違えば宗教観、女性観、演出論において隔絶する彼らは、「室内」が映画的に特権的な場所である一点において、 不思議な合致を見せている。

 さて、ドライヤーほど神がかってはおらず、ベルイマンほどの威厳もない永遠の映画青年ラース・フォン・トリアーもまた、 走る列車や不気味な大病院という密室、あるいは密室を模した僻地の閉ざされた共同体を舞台に、弱者を蹂躙する人間の醜悪さ、 それによって止揚される「神の存在/不在」という物語を妄想たくましく語ってきた。
 新作『ドッグヴィル』においても、訳あってロッキー山脈中腹の貧しい集落に助けを求めた健気なヒロインは、 住人の男たちから仄暗い情欲のまなざしを注がれ、「金を盗んだ」と言いがかりをつけられ、ついには首輪をはめられて監禁、 性のはけ口となって受難の日々を送ることになる。

 トリアー映画において、人間の醜さはもっぱら金銭欲と、欲望の排泄めいた性的虐待に拠って告発される。若くてとびきりの美女 (しかもハリウッドの誇る大スター、ニコール・キッドマン)を監禁してみんなで共有する――トリアーは自室でシナリオ執筆に没頭しながら、 その罪深きシチュエーションに激しく欲情しただろう。同時に、たえず背中に冷厳な視線を感じていたはずだ。 良心が痛むというレベルの話ではない。全てを見通す「神」の眼が、罪深き妄想の虜となった映画作家の背徳行為を見据えているのだ。 その慄きが、自意識過剰気味な彼の筆をしばしば暴走させることになり、幼くしてスパンキングの快楽に目覚めた少年などという、 可憐でよこしまなキャラクター創出に結びついたにちがいない。 そしてグレースが苦労して集めた陶磁器の人形を破壊した者へのおぞましき報復を、自らの残忍さに打ち震えながら構想したにちがいないのだ。 それはドライヤーが固執した、禁忌への憧憬にきわめて近しい官能性を帯びているように思える。

 グレース苛めにも飽きた頃、住民たちは彼女の首に多額の賞金がかけられていたことを思い出す。 金のための密告といういじましい行為によって、彼らは自ら"それ"を招き寄せてしまうわけだが、 それすらも創造主トリアーの贖罪願望の反映に見えてしまうあたり、この映画は妙に愛くるしい。スタジオ内に集落のセットを設置し、 家の壁やドアを取り払うという演出上のアイデアが、主題と形式との幸福な一致を見せるのはそのときだ。

 登場した"それ"はグレースを村人たちの手から救出し、手下の黒い天使たちは彼らへ銃口を向けて威嚇する。"それ"は自身の信念に基づき、 グレースに復讐を唆す。しかし、筆舌につくせぬほど虐げられながらも、グレースはグレースなりの信念から、村人たちの罪を「許す」と言う。 そんな彼女に対し、"それ"は「許しとは傲慢がなすもの」と諭す。
 グレースの「許し」は、全人類の罪を十字架にかけられることによって償おうとした(とされる)かの人を規範としているかのようで、 "それ"の態度は、かの人が登場する以前の旧い(とされている)神そのものだ。かくして新旧の神々は、 黒いカーテンに閉ざされた天界という密室で激しく言い争う。人間を律することと、その罪を寛容に許すことのどちらが傲慢なのか――。
 あっさり結論が下され、復讐の行使者として世にも恐ろしい命令を手下に下すとき、グレースはひどく恍惚とした表情を浮かべている。彼女は、 そしてトリアーは、禁忌そのものに身を投じることで、世界を律する創造主になったのだ。カーテンは開かれ、殺戮が始まり、火が放たれ、 ドッグヴィルは消滅する。モーゼスという名の犬を一匹だけ残して。

 それにしても映画の中で一つの集落を丸ごと消失させてしまうとは凄い。いや、消失したことを実感させることが凄いというべきか。 住民の中にはアメリカ映画史を背負っているような偉大な俳優が数名紛れ込んでいるのだが、トリアーの饒舌な演出の下、 その存在はすっかり影をひそめてしまっている。十九世紀文学風の古風なナレーションを効果的に導入したことで、語り口はより滑らかになり、 受難と復讐の聖書物語はひたすら快適に疾駆する。このすぐれてクラシカルな脚本を生真面目にロケーション撮影したり、『ギャング・オブ・ ニューヨーク』ばりの大掛かりなセットを組んで映像化したとて、ここまで深いカタルシスを感じさせることは難しかったのではないか。

 果敢なトリアーは、偉大なる先達たちが築き上げた「特権化された密室」という小さな世界を破壊せんと試み、 結局のところその不可能性を悟る。だが一介の映画青年から驕れる創造主へと成長を遂げたトリアーの姑息な挑戦はこれからが本番らしい。 彼の前作、前々作にげんなりし、今作を心から堪能した筆者としては、同じスタイルで撮られるという続く二作が楽しみで仕方ない。

(2004.3.7)

2005/05/01/11:52 | トラックバック (1)
ドッグヴィル ,膳場岳人 ,今月の注目作
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